ふること

多分、古典文学について語ります

雲居の雁と紫の上の共通点・最終回(2-3)。嫉妬プレイで倦怠期打破!

 

紫の上と雲居雁の共通要素、その3!

 

8,嫉妬深いところが愛嬌である、と描かれていること

紫の上については、「澪標」で明石の女の話を光源氏が紫の上に語る場面で、紫の上が不愉快さを隠せないでいるあたりの場面。

いとおほどかにうつくしうたをやぎたまへるものから、さすがに執念きところつきてもの怨じしたまへるが、なかなか愛敬づきて、腹立ちなしたまふを、をかしう見どころありと思す。

紫の上はたいそうおっとりしていて、愛らしく、柔和でいらっしゃうものの、そうはいっても執念深いところがあって、嫉妬なさるところがかえって愛嬌があって、(光源氏は)紫の上が腹を立てなさるところを、興趣あり見甲斐があるとお思いになる。

 

「若菜下」第五章

何ごともただおいらかに、うちおほどきたるさまして、子ども扱ひを、暇なく次々したまへば、をかしきところもなくおぼゆ。さすがに、腹悪しくて、もの妬みうちしたる、愛敬づきてうつくしき人ざまにぞものしたまふめる。

大将の君(夕霧)の三条の北の方は、何事にもひたすらおだやかで、おっとりとしたご様子で、子供の世話を暇もなく次々にしていらっしゃるので、趣のあるようなところもないようにお思いになる。そうは言っても、怒りっぽくて嫉妬なさるところが、愛嬌があって愛らしいご様子でいらっしゃるようだ。        

 ここ、紫の上に関する叙述と雲居雁に対する叙述、かなり似通っているんです。似通いつつ、同じ言葉を使ってみたり、微妙に変えてみたり。 

 

紫の上 雲居雁
おほどか おいらか・うちおほどきたるさま
執念きところつきて 腹悪しくて
もの怨じしたまへる もの妬みうちしたる
なかなか愛敬づきて/をかしう見どころあり 愛敬づきてうつくしき人ざまにぞものしたまふ

 
ここまで同じような描写となると、やはり作者の意図的なものなのかな、という気がしてきます。
雲居雁については、どちらかというと夕霧が「妻は可愛いけど、楽器が上手とかそういう優れたところもなくてちょっとつまらない」と考えているところなんですが。


とはいえ気になる所というと…

なんていうんですかね、このあとも雲居雁が出てくるシーンでは、彼女が嫉妬して怒って何か言ってるような場面が多いんですが、そのたびごとに若くをかしき顔してとか「をかしきさま」とか「にほひやか」とか憎くもあらず」「いみじう愛敬づきて」「匂ひやか」「をかしげ」「いとをかしきさまのみまさればなどなど…
嫉妬する雲居雁の様子を、かなり褒めてます。
ってか、妻が嫉妬している様を夕霧が可愛く思っている描写が、これでもかってぐらいシツコク出てくるんですね。

 

源氏が紫の上の嫉妬の様子を「をかしう見どころあり」と思っていたこととかも合わせると、どうもこう…紫式部さん、妻の嫉妬は夫婦仲のマンネリ打破にちょうどよい刺激と定義しているフシがある…。

 

特に、雲居雁の描き方というのは、子供の世話ばかり次々にしていて、「をかしきところもなくおぼゆ」と言いつつ、「さすがに」=「そうは言ってもやはり」という言葉で、「嫉妬する様子が愛嬌がある」と続くわけです。
「面白いところ、優れたところもないように思えるけれどやはり」なわけですよ。
ここ、嫉妬する様子が可愛いというのを女性の美点のように描いてますよね……

 

この描写の時点では、まだ夕霧と落葉宮との騒動は始まっていないので、雲居雁が嫉妬するというと対象は藤典侍ぐらいです。
この藤典侍と夕霧の仲というのは「夕霧」巻の最後の方にちらっと書かれているんですが、

この、昔御中絶えのほどには、この内侍のみこそ人知れぬものに思ひとめたまへりしか、こと改めて後は、いとたまさかに、つれなくなりまさりたまうつつ、さすがに君達はあまたになりにけり

昔、三条の北の方との仲が絶えてしまっていた頃は、夕霧大将は、この藤典侍だけを人知れぬ愛人として密かに愛情をかけていらっしゃったのだが、事情が改まって三条の北の方と結婚なさってからは、藤典侍への訪れもたいそう稀になり、冷たくなるばかりでいらっしゃったが、そうはいってもやはり、お子様たちはたくさん生まれていたのであった。


雲居雁と結婚した後は、訪れもたまさかになっていたけれど「さすがに=そうはいってもやはり」、子供は藤典侍との間にもたくさん生まれていた、と。

「さすがに」じゃねーよ、とツッコミたくなるところです。

ってか、紫式部さんの「さすがに」という言葉の使い方には、なんかこう「ホントにその言葉でいいの?」とツッコミたくなることが時々あります。でもそれでもやはり、そこは「さすがに」なんだろうなあ。

 

ま、要はアレですね、雲居雁と結婚して後は、藤典侍のところを訪れることも稀になったとはいえ、雲居雁は結婚して10年ほどの間に7人(1説には8人)も子供を産んでいるようで。
そんなに立て続けに生んでると、夫の夜のお相手どころじゃない時期も多かったんでしょうし、そういう時に藤典侍のところへ行って、せっせと交互に子供を作り続けてたってことなんでしょうね。
なお、藤の典侍との間には5人(1説には4人)。10年ほどの間に。
多いよ。
夕霧どんだけマメなん。

 

それでですね、その10年ほどの間、典侍へのヤキモチが夕霧と雲居雁夫妻の倦怠期防止の良いスパイスになってた、と。

典侍こそいい面の皮なんじゃないかと思いますが、まあ彼女は単なる夕霧の妾妻というだけではなく、公のお勤めを持っている人ですから、それでも良かったんですかね…。いや、良くはなさそうな素振りも見えますが、諦めてたんですかね。

 

紫の上も、少なくとも光源氏にとっては、紫の上の嫉妬が良い刺激剤になってたってことなんでしょうけれど。

9.夫の愛を確信して安心して長年過ごした後に、突然夫が皇女と結婚してしまうという危機に見舞われるということ。

そして最後のポイント。ここが大事ですね。
光源氏女三宮と。夕霧は、女三宮の姉の女二宮・落葉宮と。
(父が妹を妻にし、息子が姉を妻にしたってのはある意味スゴイ)
彼女たちの夫は、夫婦関係が揺るぎないものと彼女らが信じ込んで安心した頃になって、いきなり身分高い皇女と結婚してしまいます。


さて改めて、紫の上と雲居雁の共通点を復習してみましょう。

  1. 王族の高貴な血筋を引いていること。
  2. 母が父の第一の妻ではなかったこと。
  3. 「按察使大納言」というキーワード。
  4. 祖母に育てられたこと。
  5. 夫も早くに母と別れ、祖母に育てられた。
  6. 男女のことをそんなによく分かっていない無邪気なうちに、男と関係を持つに至ったこと。
  7. いじわるな継母がいること。
  8. 嫉妬深いところが愛嬌である、と描かれていること。
  9. 夫の愛を確信して安心して長年過ごした後に、突然夫が皇女と結婚してしまうという危機に見舞われるということ。


血筋は良いが、両親揃って育てられることがなく、父の正妻は実の母以外にいて、かつちょっと性悪。そういう事情などなどあり、祖母に育てられた紫の上・雲居雁
二人とも、夫にしたのは、母に早くに死に別れて祖母に育てられた当代随一の貴公子でした。
そして彼女らがローティーンの頃、最初の最初に夫と関係を持った時は、二人の間柄は正式な結婚といえるものではなかった(強調し忘れましたが、夕霧と雲居雁も、最初に肉体関係を持った頃は正式な結婚ではなく、その後親の反対で引き離されたわけです)。
そんな夫と引き離される苦労(雲居雁は親の反対で6年間、紫の上は源氏の須磨明石流離で3年間)を経た末、彼女たちはようやく幸せになり、確固たる妻としての地位を築き上げました。
そうして安定した夫婦仲にも安心しきって過ごしていた時に、突然、夫が自分より身分の高い皇女と結婚してしまいます。

…こうして書くと、本当に紫の上と雲居雁は、表と裏のように似た経緯を辿って夫婦の『危機』に直面しているんですね。

二人は、似ているようでいて、違うところが勿論たくさんあります。

そして、その「違い」の方に焦点をあてていくと、そこから浮き彫りになってくることは、紫式部が「源氏物語」という物語の構造から浮かび上がらせようと意図した大きなテーマそのものなのではないだろうか、と私は思うのです。


…というわけで、次からは「紫の上と雲居雁が対照的な部分」について語ろうと思う。

(長いな、この話……)