ふること

多分、古典文学について語ります

紫の上の不幸は「女が生きづらい世」ゆえのものだったのか?

古典鑑賞上、ときどき気になるのが「現代的感覚で男女関係・夫婦関係・結婚を捉えてたらちょっと勘違いするんではないか?」という部分です。

 

源氏物語を漫画化した「あさきゆめみし」は素晴らしい作品だと思うのですが(私が今でも原典の翻刻以外で読む源氏物語は『あさきゆめみし』だけだな…)、やはりどこかしら、現代の恋愛観・結婚観・男女観の強い影響を感じる部分があります。

一番違和感を感じたのは、夕霧が落葉宮との恋愛事件を起こした後に雲居雁が実家に帰ってしまった件で、光源氏が「おおぜいの子までなした仲なのだから、もうすこしおだやかなやりかたがあっただろうに」と、家出した雲居雁を非難し、それに対して紫の上が、落葉宮と雲居雁両方に同情して「拒み通しても憤っても結局男の意思に流されてしまう」「女の自由のないこの世」みたいな述懐をしている場面


ここは原典にはないシーンなんですよね。

あさきゆめみし」のこの場面は、「一夫多妻の時代だから、女が男に従わされる」「(王朝時代は)女の自由がない時代だった」といった印象を受けがちかなと思います。


でも、本当にそうなのかな?というのが、他の古典とかも読んだ上で抱く疑問です。

 

それより前に、まだ夕霧が落葉宮を口説き落とせずにごたごたしていた時期に、源氏がその件を心配して女達両方を気の毒だと同情しつつ、紫の上に「自分が死んだ後、あなたがあのように男に言い寄られたりしないか心配だ」というようなことを言って紫の上が顔を赤らめ、そのあと「女ほど生きにくいものはない」といったような述懐が述べられる場面は原典にもあり、「あさきゆめみし」でも再現されています。

但し、この場面は通説では「紫の上の女性観」とされているものの、紫の上ではなく光源氏の述懐だと解釈する説もあるのですが…

その場面は、原典ではこんな感じです。

 

「女ばかり、身をもてなすさまも所狭う、あはれなるべきものはなし。もののあはれ、折をかしきことをも、見知らぬさまに引き入り沈みなどすれば、 何につけてか、世に経る映えばえしさも、常なき世のつれづれをも慰むべきぞは。おほかた、ものの心を知らず、いふかひなきものにならひたらむも、 生ほしたてけむ親も、いと口惜しかるべきものにはあらずや。心にのみ籠めて、 無言太子とか、小法師ばらのかなしきことにする昔のたとひのやうに、悪しきこと善きことを思ひ知りながら、埋もれなむも、いふかひなし。わが心ながらも、良きほどには、いかで保つべきぞ」と思しめぐらすも、 今はただ女一の宮の御ためなり。(夕霧巻)

女ほど、身の処し方も窮屈で哀れなものはない。ものごとの情趣も折々のに興趣あることも、見知らぬふりをして引きこもり、沈んでいたりしたら、何によってこの世に生きている喜びを味わったり、無常な世の寂しさを慰めたりすれば良いというのか。おおかた、物の道理も分からず、つまらない人間になってしまうのでは、生み育てた親も残念に思うのではなかろうか。
心の中ばかりに溜め込んで、無言太子だとかいう、小法師たちが素晴らしいことの引き合いに出す昔のたとえ話のように、悪いこと良いことを考え理解しながらも黙ってうずもれているのも、つまらなくなさけないことだ。自分自身の心としても、どうやって良いふうに保つことができるものだろうか」と考えめぐらせるのも、今はただ、女一宮の養育のためである。

 

  • 夫に死別した後に浮名を立ててしまった落葉宮に関する話での続きだということ
  • 落葉宮が夕霧に「想夫恋」を弾いて聞かせた話を聞いた光源氏が、落葉宮を非難した場面がそれより前にある(実際にそうやって夕霧に琴を聞かせたことで夕霧の恋心を掻き立ててしまい、今回の醜聞につながったため、落葉宮の態度としては光源氏の指摘通り落ち度があったと言われても仕方がないわけです)こと

これらを考えると、基本的には「夫と死別した女が、もののあわれを解さない風を装って男と浮名を立てたりしないようにひたすら引きこもって過ごすというのも、生きる甲斐もなく難しいことだろう」という述懐のように思われます。
ただ、女一の宮の養育について思い巡らせているということは、夫と死別した女だけに限られるというよりは、もうちょっと一般化した「女の生き方」あるいは「貴女の生き方」についての述懐かと思われます。

それが光源氏の考えたことであったとしても、紫の上の考えであったとしても、意味としては「女が、引きこもって何も分からないふりをして過ごすのもつまらない。女の生き方は難しい」ということなのでしょう。

そこの解釈が、「あさきゆめみし」で紫の上が「女の自由のないこの世」を嘆く…というオリジナル場面に影響を与えているようではあります。

ここの部分は、どちらかというと帚木での女性議論や、光源氏が折に触れて理想の女性とは、と思案していた内容と対応している感じがします。

 

すべて、心に知れらむことをも、知らず顔にもてなし、言はまほしからむことをも、一つ二つのふしは過ぐすべくなむあべかりける」と言ふにも、 君は、人一人の御ありさまを心の中に思ひつづけたまふ。「これに足らず、またさし過ぎたることなくものしたまひけるかな」と、ありがたきにも、いとど胸ふたがる。(帚木)

「女は、なべて心に知っていることも知らない顔をしてふるまい、言いたいことも一つ二つは言わないで過ごすべきでしょう」と言っているにつけても、源氏の君は、ただ一人の方のご様子を心の中で考え続けなさる。
「物足りないようなところも、また行き過ぎたところもなくていらっしゃるものだ」と、めったになく素晴らしく思えるにつけても、たいそう胸が塞がる思いである。

やたら風流ぶってみたり、知ったかぶりをしたり、出過ぎた振る舞いをするよりは、女は言いたいこともいつもいうのではなく少しは言わずに我慢するぐらいの方が良い、という女性評について、光源氏が、藤壺宮を思い浮かべて、たしなみ深いのにそれを出しすぎることもなく、理想的で素晴らしい…とうっとり胸を痛めている場面です。

まあやはり、価値観として「女性がでしゃばりすぎるのは良くない」「物の情趣も風流も、分かった風をしすぎるのは良くない」というものがあったのでしょう。
ただそれって、なんかこう…枕草子で描かれた世界観への批判みたいにも思えてきますが。

 

また、家出した雲居雁光源氏が非難するという「あさきゆめみし」の場面は、夕霧の場面にはないのですが、帚木で夫の浮気に怒って家出する妻を非難する場面があるので、そこに引っ張られているような気がします。

 

また、なのめに移ろふ方あらむ人を恨みて、気色ばみ背かむ、はたをこがましかりなむ。心は移ろふ方ありとも、見そめし心ざしいとほしく思はば、さる方のよすがに思ひてもありぬべきに、さやうならむたぢろきに、絶えぬべきわざなり。すべて、よろづのことなだらかに、怨ずべきことをば見知れるさまにほのめかし、恨むべからむふしをも憎からずかすめなさば、それにつけてあはれもまさりぬべし。多くは、わが心も見る人からをさまりもすべし。(帚木)

また、愛情がおざなりになって移ろってしまった人を恨んで、態度に表して離れてしまうようなことも、またばかげたことでしょう。心が移ってしまったとしても、なれそめの頃の気持ちを大事に思えば、そういった定まった縁として思って続くこともあるでしょうに、そのように背かれるとかえって反抗心で仲が絶えてしまったりするのです。
なべて、どんなことでも穏やかに、恨むようなことがあっても知っている様子のみ仄めかし、恨み言をも憎らしくない程度にちょっとだけ言う程度にすれば、それにつけて愛情もまさるというものです。たいていは、男の側の浮気心も、妻の態度で直っていくものでしょう。


夫が浮気しても、女があからさまに態度に出して、家出したり何だりして男に背くのはよくない、という論。まさに「あさきゆめみし」の場面で源氏が雲居雁のことを非難したときと同じ論調です。
これは「箒木」で左馬頭が論じ立てて頭中将が賛成していたところですが、光源氏は聞きながら寝たふりをしていて、賛成していたわけではありませんが、通年としてそういう感覚はあったかも知れません。
どうでしょうね、光源氏は浮気に怒る紫の上を「可愛い」と思ってたぐらいですが…
 

ここらへんを総合して、

「拒み通しても憤っても結局男の意思に流されてしまう」「女の自由のないこの世」

という女性観が「あさきゆめみし」で語られたことになるんだろう、とは思うのですが。

しかし、原典の記述を背景にしているとしても、私自身は個人的にそこ、違和感があるんですよね。

 

家出しちゃった雲居雁
確かに、それまで雲居雁に悪いことしたなと落葉宮に手を焼きつつ彼女を思い出したりもしていた夕霧も、いざ家出されると腹を立てて喧嘩をし、脅しがましく「そんなにいうなら別れてみましょう」などと言って、そのまま別れかねない勢い。
まさに「さやうならむたぢろきに、絶えぬべきわざなり」を地で行くなりゆきです。


しかし雲居雁が結局夕霧と別れたかというと、別れていません
経緯は全く描かれていないのに、この二人、いつのまにやら「幻」巻あたりではしれっと元の鞘に収まっていることが示唆されています。

髭黒大将の元北の方が家出した時、一度だけ迎えに行ったあとは大将も寄り付かず、そのまま別れてしまったのに比べて、妻の家出までの経緯は似ているにも関わらず、結果は正反対なわけです。
意地を張って家出して、家出したからにはおめおめ帰ることもない、と雲居雁の父大臣も言っているので、まあ何かしら夕霧の側が折れたのかも知れませんし、妄想を働かせるなら、雲居雁なら三条の邸に残してきた上の子たちの誰かが風邪でも引いたという知らせを受ければ、慌てて帰宅してしまいそうでもありますが…。


いずれにせよ、雲居雁の面子が潰れる形で復縁というのはありえないですし、夕霧は落葉宮と雲居雁と、「15日ずつ交互に通う」という配慮をすることになります

女三の宮より立場の劣った妻として、自分から女三の宮に挨拶に出向かなければならなかった紫の上と比べて、雲居雁は少なくとも落葉宮とは対等の立場であり、下手に出る必要はなく、また東宮妃の母として、たくさんの男の子たちの母として、れっきとした権勢を持つ「北の方」であり続けます。

帚木で「妻が怒って家出したりしたら、かえってそれをきっかけに反抗心起こして男は別れちゃうんだよ」なーんて言われてますが、夕霧はさすがに雲居雁とは別れられなかったんですよね。

別れなかった理由は直接的には描かれていませんが、ごたごたする中で

・実家が強く、かつ夫の新しい妻に脅しをかけるぐらいのやり手

・后がねの女の子たちを含めて、子供がたくさんいた

・何だかんだで夫の愛情がすっかりなくなっていたわけでもなかった

ということは「夕霧」巻で描かれているので、そこらへんを背景に、何かをきっかけにしてよりを戻したのでしょう。

 

落葉宮が無理やり夕霧の妻にされたのは「男に流された」とも言えましょうが、彼女は一度結婚してしまっていた上に、後見がろくになかったからそうならざるを得なかった。
紫の上は、実家の父が面倒を見てくれず、子供もなく、光源氏の愛情に頼って生きるしかなかったから、光源氏の立場を尊重し、女三の宮に自ら挨拶に出向いて下手に出るしかなく、悲願の出家すらさせてもらえなかった。

雲居雁は、後見も強く、子供もたくさん産んでいたから、立場が強かった。


結局、「女は事を荒立てず、穏やかに振る舞い、自己主張しすぎない方が良い」という男の論理や思惑で話が進んでいったかと思うと、結論は違う。


立場が強い女は、結局のところ、わりあい好きにできている。

 

紫の上が最後まで出家すら許されなかったのに比べて、女三の宮は、若い身空で光源氏が反対しているにも関わらず、父朱雀院の手で強引に出家を成し遂げてしまっています
そういったところにも、「女だから」というよりは「立場の差」、単純に「強いか弱いか」といった要素の方が「女だからこその不自由」とか「不幸」よりは大きいのではないか…という気もします。

源氏物語上でも、女が男に振り回されるばっかりじゃなく、男が女に振り回されるパターンだってないわけじゃない。

藤壺の宮は、その気がある時だけ源氏と寝て不義の子作っておきながら、自分と子の立場が悪くなると考えたら、あっさり態度を変えて冷たくなり、源氏を捨てるために出家しちゃっています(まあ悪い言い方をすれば、ですけども…)。

 

朧月夜尚侍は、愛人を持ちながら帝の寵愛も得て宮中でブイブイ言わせていたり。
光源氏には振り回され続けているようでいて、結局最後はさっさと出家してしまい、光源氏に痛烈な一言を残して悔しがらせ、かつ紫の上には羨ましがられています。
彼女は子供もおらず、晩年は一族の勢いも衰えていますが、かといって何の資産も後見もない立場に比べると、自分の意志で出家できるぐらいの自由はあったのでしょう。

 

他、男に振り回されそうになりながらも、そこそこ我が道を行っている場合もあります。

たとえば宇治十条の大君、中の君。


彼女らは、紫の上と同じように後見が薄く資産もろくにない身でありながら、大君は、夕霧が落葉宮にしたぐらいのレベルで経済的にも周囲にも結婚に向けて薫に追い込まれておきながら、自分の意に染まぬ結婚するぐらいなら死ぬ、とばかりに、意思を貫き通してさっさと死んでしまいました。
中の君も、夫にれっきとした正妻ができながら、良いタイミングで子供を産んで地位を確立しちゃったり、けっこううまくやっています。

 

資産とかがなくても、身の処し方で強く振る舞うというのができないわけではない。
藤壺宮には、光源氏に応じてみたり、拒み通してみたり、光源氏を従わせるだけの「強さ」があった。
空蝉や宇治大君にも、男を拒み続けるだけの「強さ」があり、それ故に男にとって「忘れられない女」になっています。

 

 

結局、「男の意思に流されてしまう」「女の自由のないこの世」といっても、落葉宮が夕霧の意のままにされた「自由のなさ」や、紫の上が光源氏に振り回されるしかなかった「自由のなさ」は、どっちかってゆーと「女だから」に帰結するものではないんじゃないかな。


その時代の貴族社会は女性も資産を持つことができたり、子供を産むこととか、教養があることとか、いろんな要素が、女性でも社会で生きる上での「力」となる時代ではあったと思うのです(貴族社会限定での話だけど)。

女性なら、教養があってもなんでも無駄だったわけじゃない。

女御として宮中生活するにも教養は必須、高貴な女性に仕えるにも教養の高さは評価され、紫式部が「この子が男なら」と父に嘆かれたという漢才ですら、その漢才を愛でられて女官として重んじられ、摂政関白の正妻となった高階貴子のような人もいるのです。

地位があったり子供があったりという、その当時の女性が持つことができた力をも持てなかった「弱者」が、いわば弱肉強食みたいな形で男の意思に流されたり、自由がなかったりするだけなんじゃないの。
と思うわけです。

まあそれって当たり前のことですよね。
資産でも地位でも美貌であっても頭脳・教養であっても、何かしらの「力」があるものが強いのは当たり前。
現代だってそういうのは変わらない。
ただの弱肉強食。

 

ただ問題は、美貌も教養も嗜みも家政能力も何もかもが優れていて、夫の愛情も篤く、「理想的な貴女」だった紫の上が、光源氏と正式な結婚をしておらず、光源氏から独立した資産がなく、子供もなかったことで、そんなにも「弱者」であらねばならなかったのかということ。


たとえば女三の宮と紫の上の身分差が決定的だったのかについて。

太政大臣の娘である雲居雁が落葉宮と同等だったこととか(但し落葉宮は品位はなかったかも知れません)、現実の歴史で、藤原師輔の正妻や藤原兼家の正妻とされた人が受領階級出身だった一方で、師輔や兼家には内親王の妻もいたことを考えると、もちろん品位を有する内親王と孫王との差はあれど、夫に内親王の妻ができたからといって、元からの妻が必ず格下げの扱いになるとは限らないのではないかと思われます。

他の物語では、うつほ物語でも清原俊蔭のむすめが女三の宮を差し置いて「北の方」扱いされていたり。

じゃあ何で紫の上と女三の宮の差が歴然となったかというと…
一番大きかったのは、紫の上が女三の宮と同じ六条院に住まざるを得なくて、一つの邸に住む以上、妻としての序列がつかないわけにはいかなかった、ということなのではないかと思います。

六条院に光源氏が妻たちを集めて住まわせていたのは、実際に平安時代にはあまり見られなかった例だ…というのはよく指摘されるところ。
光源氏が集めた妻たちは、いずれも他に頼れる身寄りがいなかったり、独立した資産がなかったり、身分が低かったりする妻たちであって、本来、普通に資産を持っていたら、おめおめと男の邸に引き取られて住まうなどといったことにはならなかったでしょう。
男が複数の妻を持っていた場合、その妻の序列というのは、子供の任官のスピードといったところではっきりします。正妻として扱われた妻の男子の方が出世が早く、かつ、天皇東宮へ入内する娘は、まず基本的には、正妻として扱われている妻が産んだ娘です(というか逆に、后がねの娘を産んでいるから正妻として扱われた、ということも多くありそうですが)。
例外ももちろんあるんですが、入内するような娘は家として大事に扱い、里邸は実家の寝殿に設けるものですし、その母親は入内した娘に付き添って参内して世話したりしますので、母親の地位も大事なわけです。

逆に、妻たちが別の邸に住んでいれば、子供の扱い以外に普段の生活で妻間の序列をはっきりさせるということもあまりなかったかも知れません。

むしろ、現実ではあまりなかった「六条院」という設定は、「妻の序列」を「紫の上が女三の宮に挨拶に出向く」という形ではっきりさせるための道具立てだったのかも、とも思います。

 

結局のところ、女三の宮降嫁後の紫の上は、弱者として描かれているといえるのではないでしょうか。

落葉宮の件を鑑みて光源氏が「私の死後あなたがどうなるのか」と紫の上の心配をしている場面は、

  • 源氏は、自分が死ぬまで紫の上の出家を許すつもりはない
  • 光源氏が死んだら、紫の上は落葉宮のように状況的に追い込まれて再婚させられかねない弱い立場である(特に、源氏の死後に残された夫人たちの面倒を見るであろう夕霧が紫の上に想いを掛けていることを読者が想起すれば、夕霧が無理筋を通そうとするのも『ありうること』と思えるはず)

という現実を紫の上に突きつけます。
ある意味、落葉宮は紫の上の末路を示唆するモデルでもあるのです。

そして、落葉宮とその一方当事者である雲居雁は、夫の恋愛沙汰を深く嘆いているとは言えど、落葉宮や紫の上とは全く違う『強み』を持っていることも浮き彫りになります。

  • 正式な結婚をしていて、世間一般からも北の方として認められている。
  • え皇女の君圧したまはじ」つまり「皇女様であっても、あの本妻を押しのけることはけしてできないだろう」と阿闍梨が落葉宮の母御息所に忠告するほどの権勢を持っている。
  • 夫のやることが気に食わないからと実家に帰ってしまえる。
  • 親きょうだいが味方をしてくれる。また彼女の力になる姉弟の人数も多い。
  • 簡単に離婚しづらいような『絆』である子供たちがいる。
  • 肝心の夫の愛情も、彼女自身が思い込むほど冷めているわけではないことが、しばしば物語の叙述で読者に示されている。



いわば、妻として圧倒的な強者である雲居雁と弱者である落葉宮の対比、落葉宮と同じく弱者でしかない紫の上…という構図が、夕霧のエピソードで作者が描き出そうとしたものなのではないでしょうか


つまりここで、孤高のヒロイン・光源氏の愛情しか頼るものがなかったヒロインとしての紫の上の立ち位置に思いを馳せることなく、「女とは皆…」みたいな一般化をしてしまうことは、源氏物語の鑑賞としてはあまり正しくないのではないかという気がしてしまうのです。

「夕霧」で、紫の上の弱者としての立ち位置を鮮明に示すことによって、紫の上がそのまま弱者として死んでしまうのか…という最終盤の物語に続いていくのではないかと。

 

紫の上は「若菜下」で「昔物語で浮気男にかかずらった女達も末には定まった男ができるのに、自分はいつまでも宙に浮いたままで、物思いが一生身を離れぬままだ」と我が身を振り返って述懐していますが、ここで紫の上が意識しているのも、女としての不自由さよりも「物語にも描かれているのを見たことがないような、自分自身の浮いた立場」です。


やはりここは、源氏物語作者は「夫に新しい妻を作られてしまった妻」として紫の上の姉の髭黒大将北の方、雲居雁、紫の上という三人を配置した上で、その対照的な立場を描くことで、紫の上の立場の弱さ、孤独さを浮かび上がらせるという構造上の意図があったのでは、と考えたい。

その方が、紫の上の不幸を「女が生きづらい世だから」と女の人生に一般化するよりは、より際立つのではないかと思うのです。

 

じゃあなんで「あさきゆめみし」でこういう描き方になったのかな~とも思うのですが…
「とりかへばや」のマンガ化とか古典の漫画化を見ていると、やはり現代的感覚からあまり掛け離れた部分を少女漫画化するのは難しく、「無難」になっていることも多いと思うんですね。

で、現代だって資産でも地位でも美貌であっても頭脳・教養であっても、何かしらの「力」があるものが強いのは当たり前で、そういうのがないと男に踏みつけにされちゃったりはするよね…という意味での普遍性のある「弱肉強食」で紫の上の立場を描いてしまうと、まあ何ていうか身も蓋もない
特にここの段階では、美しさも教養も夫の愛情すら役に立たず、「正式な結婚をしておらず実家との関係性が薄く子供もない」ということで弱者の立場に立たされてしまうという場面なので、それは現代の「少女漫画」として描くには共感を呼びにくいところでしょう…

 

正式な結婚をしていない。
頼れる実家がない。
子供がいない。

ということがそんなに瑕になるのか…ということは、ちょっと現代的感覚からするとピンと来にくいところでもありますし。



だから、「女としての不幸」という描き方をせざるを得なかったのかな~…と思います。

むしろ現代でも、女というだけである程度の弱者の立場に立たされ、結婚すれば当たり前のように名前を変えさせられて育児家事おしつけられがち…みたいなことも多いので、「女としての不運・不幸」という方が共感を呼びやすいところもあるんだろうな~とか…
そんなことを考えたりもします。