ふること

多分、古典文学について語ります

生理休暇ついでに男と逢引してドツボにハマった男装の麗人の話@古典

なんか下品なタイトル!

 

いや何ていうかね、古典文学に現れる月経ネタをちょろっと取り上げてみようっていう時に、そんなにネタはいっぱいはないんですけども、これは外せないよなっていうのが「とりかへばや物語」で。

 

とりかへばや物語というと、元祖男女入れ替え物というか、男装の麗人ものというか。
ベルばらあたりにつながる、日本のある種の伝統ネタ?の元祖と言われるような物語です。

そっくりに産まれた腹違いの兄妹が、兄は引っ込み思案で女性のように育ち、妹は活発で男性のように育って、妹は元服して男として出仕して出世していくが…というお話。

 

この物語は、ちょっと倒錯的なものがあるみたいなこと言われてまして。
男装しているヒロイン・中納言を男だと思っていた宰相中将が、ちょっとトチ狂って男だと思い込んだまま彼女を手ごめにしちゃったりするんですね。まあやっちゃったら実は女でしたって分かるんですが。そりゃまあ、脱がせちゃえばね。

男だと思っているのにいたしてしまうあたりから、「元祖BL」的扱い受けたりすることもありますが、どっちかっていうとここでの宰相中将は、

男でも女でもどっちでもいいから、ともかくやっちゃえ

という態度です。

そして襲ってみてから、女だったラッキーみたいな…

 

源氏物語でも、光源氏の美しさを評して「女にて見たてまつらまほし」と表現してたりしますし、美しい男を「女にして見たいものだ」という褒め言葉は定番みたいなとこありますね(ってか、源氏物語でそう使われてたから定番になったんだろうか?)

まあなので古典文学の世界では、究極の美は男女共通のような感覚はあるのかも知れませんが。

 

それはともかく、タイトルの話ですよタイトルの。

 

そんでまあ、色々省略して語ると、男でも女でも何でもいいから襲っちゃえ、という宰相中将は、そもそもヒロインが偽装結婚している妻と不倫して処女奪っちゃっていて、ヒロインは妻の不倫相手が中将だということも知っていて複雑な感情を抱いています。挙げ句に自分まで襲われちゃって、夫婦ともに同じ相手と関係してるっていう倒錯的な状況になっちゃうわけなんですが。

ヒロインは、自分が男装した女であるという秘密を宰相中将にバラされたくないがために、必死に彼の機嫌を取ります。
うん、そこは分かる。秘密守ってもらうためには、むげに突き放すわけにはいかないよね。

 

しかし、しかしだ。

 

ヒロインの中納言は、毎月、生理の時には乳母の家に籠もって『療養』しています。しかし宰相中将は、ヒロインに焦がれるあまり、その乳母の家という隠れがまで嗅ぎつけて、ふらふらヒロインの前に現れるのです。
突然現れた宰相中将に驚くヒロイン。

 

 

原文を「新編 日本古典文学全集(小学館とりかへばや物語」より引いてみましょう。

 

例の月ごとの起こることのあるにより乳母(めのと)の家の六条(ろくでう)わたりなるにはひ隠れてものしたまふに、宰相(さいしゃう)はたづね来にけるものか。

例の、毎月起こることがあるので、乳母の家が六条あたりにあるので、そこに隠れていらっしゃったところ、なんと、宰相がたづね当てて来たのだった。

 

月経に関しては「月ごとの起こることのあるにより」とあっさり表現してますね。

そしてそのあとどうなったかというと。

 

思ひかけぬに驚かるれど、折はたあはれなれば、
     身ひとつにしぐるる空とながめつつ待つとは言はで袖(そで)ぞ濡(ぬ)れぬる

(宰相中将の登場が)思いがけないことだったので、中納言は驚いたけれど、折しもしみじみ物思いがされるような気分の時だったので、
  我が身一つの悲しみに涙を流しているような空だと思って眺めていたら、
      誰かを待っていたとは言わないけれど、涙で袖が濡れてしまいました

中納言は中将に返歌し…

 

歌を詠みかけて現れた中将に、ヒロインは「折はたあはれなれば」という理由で、拒絶するでもなく返歌します。
そして

いと心やすき所なれば、うち重ねて臥(ふ)し、よろづに泣きみ笑ひみ言ひ尽くす言(こと)の葉(は)、まねびやらん方(かた)なし。
明くるも知らず、もろともに起き居(ゐ)つつ見るに、近づくべくもあらずあざやかにもてなしすくよかなるこそ雄々(おお)しかりけれ、乱れたちてうち靡(なび)き解けたるもてなしは、すべてたをたをとなつかしう、あはれげに、心苦しうろうたきさまぞ限りなきや。
とても気安い場所だったので、衣を重ねて一緒に寝て、なんだかんだと泣いたり笑ったりしながら語り尽くす言葉は、とてもここで言いあらわすことはできない。
夜が明けたのも知らず、共に起きながら宰相中将が中納言を見ると、中納言が近づくこともできないぐらいきっぱりと真面目にふるまっている時こそ雄々しく見えるけれど、乱れた姿で心を許して身を任せている様子は、ひたすらものやわらかで慕わしくいとおしげで、いじらしく可憐なこと限りない。

 

はい。結局ヒロイン、宰相中将を招き入れてしっぽりやっちゃいます。

下品な表現で申し訳ないですが。なんかこう…お上品に表現する方法を思いつかない。


 「いと心やすき所なれば」~つまり乳母の家で人目も気にする必要なく、安心な場所だったので、衣(つまり掛け布団的な)を重ねて共寝し、泣いたり笑ったりしながら語り合うわけです。

それから数日一緒に過ごして夜昼かまわずいちゃいちゃ。

 

ってか、生理中じゃなかったんですかアナタ。

 

ツッコミ入れずにはおれません。
生理中とか、気にした様子がカケラもない。宰相中将側にもない。何なんだ。関係ないのか。生理軽かったのか(いやそういう問題でもないかも知れない)。

 

そのまま普段の生理休暇?よりも長く宰相中将と過ごした挙げ句、長くご無沙汰した言い訳の歌を「妻」の元に送ったり。
その「妻」つまり宰相中将の不倫相手でもあるひとからの返事を、宰相の中将がヒロインから奪い取り、真剣な表情になって読んでいるのを見て、ヒロインは「自分の妻のことも真剣に想っているらしい」と感じて、宰相中将のことを「頼もしげなく」思って不安になります。

まあ結局のところ、ヒロインの方でも宰相中将にまんざらでもないわけさね。

何なんでしょうねこれ。

 

んで、いちゃいちゃ過ごすけれども、いつまでもこうしてはいられないっていうので、やがて二人はそれぞれの家に戻るのですが。
話はすぐにこう続きます。

 

かくのみするほどに、十月ばかりより音(おと)無(な)しの里に居(ゐ)籠(こも)ること止(と)まりて、心地例(れい)ならず。

こうしているうちに、中納言は十月頃から音無しの里に籠もることが止まって、気分がすぐれなくなった。 

  
「音無しの里」つまり乳母の隠れ家のことですね。
いつも生理が始まると乳母の家に行って隠れていたのですが、そうして隠れることがなくなって、気分がすぐれなくなりました。
つまり生理が止まって気分が悪くなった、と。

 

うん、だからさ。

生理直後って、すごく妊娠しやすい時期だしさ。
そんな時期に何日も男と閉じこもって夜昼過ごせばそりゃ当たっちゃってもおかしくないよね。


ここらへんはね~

「ざ・ちぇんじ」でも「とりかえ・ばや」でも、「とりかへばや物語」を少女漫画化した作品では、ごそっとエピソードごと削ってる部分です。
とりかえ・ばや」は、「ざ・ちぇんじ」に比べれば原作に近いですが、それでもね…。

んで、妊娠しちゃった男装の麗人、女中納言は、そのまま官人としての人生を続けることができなくなり、追い詰められた挙げ句姿を隠して……と話は続いていくわけです。

 

 

まあ何であれ、そもそも「古典にあらわれる月経の話」というテーマに戻すと。


舞台装置としては、ヒロインと宰相中将が人目を気にせず逢瀬を持つためには「生理休暇の隠れ場所」っていう設定が必要だったんでしょうけれど、やはりともかくここでツッコミたいのは、案外月経中の性交渉というのはタブーじゃなかったのかなあ、というところ。

血の穢れ…とかないんですかねぇ。

ともあれ。男装の女性もの元祖みたいな話としては、「月経どうしていたのか」というポイントをきちんと押さえて物語装置にも使っているあたり、やはり偉いな(偉い?)と思います。
そこ押さえてくれないと、リアリティってものがなくなりますからね。

キテレツな話だと思われがち?な「とりかへばや物語」ですが、読んでみると以外にリアルな人間ドラマだったりもして、面白いです。