髭黒大将の北の方と雲居雁の類似
紫の上のことをあれこれ考えていて、女三宮降嫁後の彼女の失望はどこまでが愛情ゆえでどこまでがプライドゆえのものだったのだろうとか、体面とかプライドとか矜持とか、そういうものを「愛情問題」とは別に扱うとしたら、まずは平安貴族にとっての体面がどういうものだったかというのをちゃんと検討しなきゃなとか考えて、難しい思考に陥ってしまったので、ちょっと棚上げしてみようかと思ったり。
で、前から気になっていたところで、髭黒大将の元北の方と雲居雁って設定が結構似てるよね、という話をしてみる。
似ているってつまり、こんな感じです↓
- 夫は有名な真面目人間(まめ人)で出世頭、現在は「大将」
- 愛人はともかく、れっきとした妻は、長年一人だけだった
- 二人の間には子供が何人もいる
- 夫がいい年して突然、他の女への恋に夢中になった
- その女を無理やり妻にしたため、新しい妻は、結婚前も後も夫を嫌っている
- 新しい妻と元からの妻は、縁戚関係にある
- 新しい妻へ行く前に元からの妻を夫がなだめようとして揉める
- 夫が新しい妻に夢中なので、妻は家出してしまった
- 家出したところに夫が迎えに来るが、会わないで帰す。
狭い平安貴族の世界なので「浮気され妻」として設定が似通ってしまう…とだけで片付けるには不自然なほど、髭黒の元の北の方と雲居雁の設定は似てるんですよね。
以下、さらっと細かいとこ見ていきます。
1.夫が有名な真面目人間(まめ人)で出世頭、東宮の伯父で、現在は「大将」
本文から引用してみると、
大将は、名に立てるまめ人の、年ごろいささか乱れたるふるまひなくて過ぐしたまへる…(真木柱)
(髭黒)大将は真面目で有名な人で、長年少しも乱れた振る舞いもなく過ごしていらっしゃったのが…まめ人の名をとりて、さかしがりたまふ大将…(夕霧)
真面目人間という評判を取って、分別ありげにふるまっていらっしゃった(夕霧)大将は…
夫の性格描写が似たような感じですね。
一方で髭黒は「ひたおもむきにすくみたまへる御心(真木柱)/一徹でかたくなな御性分」とか、「情けすこしおくれ、むらむらしさ過ぎたまへりける御本性にて(竹河)/いささか思いやりがなく、気まぐれが過ぎる御性格で」など、あまりよろしくない性格描写があります。
夕霧は、容姿は光源氏似でやたらめったら褒められておりますが、性格については、
おほかたの人がら、まめやかに、あだめきたるところなくおはすれば(乙女)
おおよその人柄が、真面目で浮ついたところがない様子でいらっしゃるので
こちらは地の文での描写。
「 かばかりのすくよけ心に…(夕霧)」
これほど一本気な性格であるのに
これは光源氏が夕霧の性格を評して考えている場面です。親から見ても「一本気で真面目な性格」なわけです。
一方、妻たちから見るとどうかというと、
宮は、「いと心憂く、情けなくあはつけき人の心なりけり」と、ねたくつらければ(夕霧)
落葉宮は、「たいそう不快な、思いやりがなく軽率な人の心であったものだ」と腹立たしく耐え難いので
「不快だ」「思いやりがなく軽率だ」と、落葉宮から見た夕霧の性格評は散々です。
雲居雁は
すがすがしき御心にて(夕霧)
思い切りが良い御性格なので
といった感じに見てますね。
やはり、真面目・まっすぐで一本気、ちょっと思いやりという面では至らぬところがある(まあ夕霧の落葉宮への態度から見ると、無神経なところも多々ありますし)…といった性格は、わりあい髭黒と夕霧は似た感じです。
(ただ、さすがに夕霧は、情けという面では父光源氏ほどこまごまと思いやるような面はないものの、思慮が浅いわけではなく、また髭黒ほど思いやりに欠けているわけでもなさそうです)。
また、夕霧も髭黒も、離婚騒ぎの当時は「大将」の位にあります。
真木柱巻の髭黒が右大将、夕霧巻の夕霧が左大将です。
大将というのは近衛府の長官で、大臣や大納言が兼任することが多く、かなり重々しく出世頭の役職で、もうじき摂政関白?という感じの地位です。
髭黒は真木柱当時、東宮の伯父でした(妹・朱雀院の承香殿の女御腹の皇子が当時の東宮)。また、夕霧巻の当時、夕霧もまた東宮の伯父でした(妹・明石の女御腹の皇子が東宮)。
ね、かなり設定似通ってるでしょ。
2.愛人はともかく、れっきとした妻は、長年一人だけだった
髭黒大将は、召人(女房身分の愛人)はそれなりにいたようですが、他にこれといった妻はいなかったようです。
夕霧は、子供が多かったのでいちおう藤典侍は妻の一人と言えるでしょうが、身分が違うので、やはりれっきとした妻は雲居雁一人だけでした。
3.二人の間には子供が何人もいる
髭黒は、元北の方との間に女の子が一人、男の子が二人がいました。
一方で夕霧と雲居雁の間には、女の子が4人(あるいは3人)、男の子が4人ほど。子供の人数は諸説ありますが、だいたい7~8人いたわけです。
結婚して10年ほどのうちにこの子供の数。すごいですね。
落葉宮との結婚騒ぎが起きるまではいかに夫婦仲が良かったか、窺い知れます。
髭黒と元北の方との間は、北の方の「物の怪」(と言い訳してるけど、実のところ何らかの精神障害ですかね…)を理由としていささかうとうとしくなっていたので、子供も3人どまりだったんですかね。それでも少なくはないですが…
4.夫がいい年して突然、他の女への恋に夢中になった
そんな真面目人間が、突然恋に浮き身をやつし、馴れない色男ぶりを発揮して新しい女を妻にしようとさまよい歩くようになるわけです。
髭黒が玉鬘に夢中になってうろつくさまも、夕霧が落葉宮に夢中になりつつ手を焼いてうろつくさまも、わりあいコミカルに描かれています。
5.その女を無理やり妻にしたため、新しい妻は、結婚前も結婚直後も夫を嫌っている
玉鬘は、結婚前は髭黒を夫候補として歯牙にも掛けていませんでした。そんな玉鬘の元に女房の手引で忍び込んで無理やり妻にしたため(ってか強姦ですね…)、玉鬘は妻にされた後もしばらくの間、夫を嫌い抜いています。
若紫も、無理やり妻にされた後、しばらく光源氏に対して怒っていましたが、怒るレベルではなく「嫌っている」と言ってもいいぐらい。
髭黒のすることなすこと気に喰わないみたいな描写が連続しています。
一方で落葉宮。
結婚前も、さっきの描写のように「いと心憂く、情けなくあはつけき人の心なりけり」とか評していますし、とことん夕霧を嫌がって塗籠にこもるまでしていて、結局は女房の手引で無理に妻にされてしまいますが(まあ結局は強姦ですよね…)、その後は「かういみじう衰へにたるありさまを、しばしにても見忍びなむや/このようにひどく容貌が衰えてしまった自分の有様を、大将は少しの間でも我慢できるだろうか」 と考え、自分の容貌に劣等感を持っている様子があり、ちょっと心が弱くなっている様子も見えます。
しかしそれでも、そのあとに雲居雁父の内大臣から恨み言を言われ、かつ弟の蔵人の少将に脅されたこともあり、落葉宮は「いとどしく心よからぬ御けしき/ひどく不快そうなご様子」でいます。
自分が妻にされたことで古くからの妻との間で騒動が起き、古い妻側に恨まれるのも不本意であるとして、新しい妻の機嫌が悪くなる…というのも、玉鬘と落葉宮に共通しています。
この時代、人に恨まれると物の怪として取り憑かれたりしますしね。やはり、自分の意思でもなく妻にされたことで人に恨まれるのは嫌ですよね。
まあそうは言っても、玉鬘も落葉宮も、結婚生活が続くにつれて諦めた?のだか、情が湧いたのだか、それなりに円満な夫婦仲になっていくようではありますが…
6.新しい妻と元からの妻は、縁戚関係にある
髭黒大将の元北の方は、新しい妻である玉鬘の養父、光源氏の妻である紫の上の姉。
落葉宮は、雲居雁の亡兄の妻。
ともに、縁戚関係にあってちょっと話がややこしかったりします。
紫の上のもとには、父の妻・姉の母である人が紫の上を悪し様に言っているのがほの聞こえてきますが、「自分にはどうしようもないこと」と困っています。
一方で、太政大臣たる光源氏を養父とし、内大臣を実父とする玉鬘本人には、式部卿宮もその妻も手の出しようがないのですが…
7.新しい妻へ行く前に元からの妻を夫がなだめようとして揉める
一応夫の側も、新しい妻に夢中でも、だからといって子供までいる長い付き合いの妻をすぐに捨てようとまで思っているわけではないのです。
なので、一応は妻をなだめようと試みます。
しかし、髭黒の場合は、新しい妻のもとに出かける準備をしていたら、香壺の灰をぶっかけられるという大騒動になります。
夕霧の場合は、ハンストしている妻を適当に寝技に持ち込んでなだめようとしたら「死になさい」など罵られる始末。
…ただ、この後は結局雲居雁も適当に言いくるめられ、なだめられてしまった気配もあり、そこは、決定的な妻への愛想尽かしにつながった髭黒のパターンとちょっと違った部分です。
8.夫が新しい妻に夢中なので、妻は実家に帰ってしまった
髭黒の妻も、雲居雁も、夫が新しい妻の元へ行って帰ってこない間に、見切りをつけて実家に帰ってしまいます。
髭黒の元北の方の実家も、当時の帝の伯父である式部卿宮ですから、なかなかの権門です。雲居雁の父も、当時致仕太政大臣。
ふたりにはそれぞれ、帰る家、迎えてくれる親がいたわけです。
ただ、髭黒の妻の場合、父が積極的に迎えを寄越して引き取ったのに対し、雲居雁については自分からさっさと実家に帰ってしまい、父には「もうちょっと留まって様子を見るべきだったのに」と言われています。
9.家出したところに夫が迎えに来るが、会わないで帰す。
何しろ子供たちもいますし、髭黒も、夕霧も、妻が実家に帰ったことを知って、慌てて迎えに来ます。
しかし、髭黒の妻も雲居雁も、夫には会おうとしません。
もっとも、髭黒の妻は髭黒が娘に会いたいと望んでも会わせなかったのに対して、雲居雁は、姫君をも夕霧に会わせているところが大きな違いでしょうか。
…とまあ、夫婦の設定も、成り行きも、わりあい似たところがあるんですね。
なんでこんなに設定が類似しているのか?
これだけ似通っているというのは、やはり「わざと設定を似せた」のではないかな、と私は思うのです。
以前、紫の上と雲居雁の設定も意外と似ているという話をしました。
雲居の雁の話(2)。主に紫の上との共通点について
雲居の雁と紫の上の話の続き(2-2)をしつつ、藤原道隆の三の君の話。
雲居の雁と紫の上の共通点・最終回(2-3)。嫉妬プレイで倦怠期打破!
紫の上と雲居雁の設定にも共通点がある。そして雲居雁と紫の上の姉、髭黒大将の北の方にもかなりの共通点と同じ運命の成り行きがある。
源氏物語の作者は、この三人の女を配置し、髭黒大将の北の方を介して雲居雁と紫の上との対比を浮き彫りにさせるような物語の構造を意図したのではないかな…という気がしています。
次回、髭黒大将の北の方と雲居雁の対比の意味、違っている部分を掘り下げてみようかと思います。