ふること

多分、古典文学について語ります

月経中の性交渉はタブーじゃなかったのかな?という話~倭健命

昔の女性の月経について考えてみる・その1  に引き続き、月経の話。

 

古典の中に月経話が出てくるっていうと、まず最初に思い浮かぶのが、ヤマトタケルノミコトとミヤズヒメ。

古代のヒーロー・ヤマトタケルノミコトは、女装してその美しさでクマソタケルの兄弟を誑し込み、クマソタケル弟の方のケツに剣をぶっ刺すというエピソードの持ち主で、女装だの何だのは男色のことを示唆していたのでは、とかよく言われてますね。


で、そのヤマトタケルノミコトが東征の帰路、尾張国のミヤズヒメを妻にしたという話は日本書紀にも古事記にも出てきますが、古事記の方では、ヤマトタケルノミコトが往路にてミヤズヒメと「帰路で結婚する」と約束し、帰路で尾張にさしかかった時、約束通りにミヤズヒメを娶るために彼女の家に立ち寄ります。
その時に、飲食の接待に出てきたミヤズヒメの服の裾に月の障りがついていた…と。


その部分について、「新編 日本古典文学全集小学館」の「古事記」(校注・訳:山口佳紀 神野志隆光)から引用します。
()内はフリガナ。一字ずつに振ってあるフリガナを単語単位でまとめて()内に表記しちゃってたりもします。

 

美夜受比売、其の、おすひの襴(すそ)に、月経(さはり)を著(つ)けたり。故、其の月経(さはり)を見て、御歌に曰はく、

ひさかたの 天(あめ)の香具山(かぐやま) 鋭(と)喧(かま)に さ渡る鵠(クビ) 弱細(ひはぼそ) 撓(たわ)や腕(がひな)を  枕(ま)かむとは 吾(あれ)はすれど さ寝(ね)むとは 吾(あれ)は思へど 汝(な)が着(け)せる 襲衣(おすひ)の襴(すそ)に 月(つき)立(た)ちにけり


爾(しか)くして、美夜受比売(みやずひめ)、御歌(みうた)に答へて曰(い)はく、


高(たか)光(ひか)る 日(ひ)の御子(みこ) やすみしし 我(わ)が大君(おほきみ) あらたまの 年が来(き)経(ふ)れば あらたまの 月(つき)は来(き)経(へ)ゆく うべな うべな うべな 君待ち難(がた)に 我(わ)が着(け)せる 襲衣(おすひ)の襴(すそ)に 月立たなむよ


故(かれ)爾(しか)くして、御(み)合(あひ)して、其の御刀(みはかし)の草那芸剣(くさなぎのつるぎ)を以(もち)て、其の美夜受比売の許(もと)に置きて、伊服岐能山(いふきのやま)の神を取りに幸行(いでま)しき

 

ミヤズヒメは、その表衣のすそに月経血をつけていた。そのため、ヤマトタケルノミコトはその月経血を見て、御歌でおっしゃるには、

はるかな天香具山の上を、鋭くかしましい鳴き声を上げながら飛んでゆく白鳥の姿のように、かよわく細い、あなたのしなやかな腕を枕にしようと私はするけれど、あなたと寝たいと私は思うけれど、あなたが着ている表衣のすそに、月が出てしまっている

 

 そこでミヤズヒメが御歌に答えていうには、

 

天高く光る日の御子よ、国の隅々までお治めになっている我が大君よ。新しい年が来て過ぎていけば、新しい月が来て過ぎていきます。ええ、ええ、ほんとうに、あなたを待ちわびて、私の着る表衣のすそに*月が出てしまいますわ

こういう次第で、ヤマトタケルノミコトはミヤズヒメと結婚して、その佩刀である草薙の剣を、その妻としたミヤズヒメのもとに置いて、伊吹山の神を退治しにお出かけになった。

 

-----ここから文法談義-----

*このミヤズヒメの返歌の「月立たなむよ」の解釈は古来議論があるところです。というのは、文法的に普通に解釈すると、「立たなむ」の「なむ」はいわゆる「願望の終助詞」になるはずなのです。「立つ」が未然形なので。
だから本来は、「あなたを待ちわびて、私の着る表衣のすそに月が出て欲しいものです」とでも訳すべきところ。
しかしそれだとイマイチ意味が通らない。

なので「立ちなむよ」の誤記じゃないかとか、色々解釈があるんですね。

ちなみに「新編 日本古典文学全集小学館」の「古事記」では、"「立たなむ」の「な」が打消「ず」未然形の古形で、上に、どうして、という意の副詞が省略されたもの"と解釈し、「どうして立たないことがあろうか」と解釈してます。

しかし、打消「ず」の未然形の古形が「な」であるというのについて用例は、「ならなくに」の「な」をそう解釈する用例ぐらいしかないようなんですよね。

源融の有名な歌、

陸奥のしのぶもぢずり誰ゆゑに乱れむと思ふわれならなくに」(古今和歌集 恋四)

陸奥のしのぶもぢずり誰ゆゑに乱れそめにしわれならなくに」(小倉百人一首14)

この「われならなくに」の部分、「私ではないのに」と訳しますが、ここが「我」+助動詞断定「なり」の未然形+打消「ず」の未然形+ク語法の接尾語「く」+助詞「に」、という解釈になります。

「~なく」とか「~なくに」という打消の意味の用例はわりあいよく見ますが、これを打消「ず」の未然形・古形と解釈しているわけですね。

 

…正直に言うと、現代語には「ない」という打消の助動詞があるので、正直現代語的な感覚で「なし」→「なく」になってたかのような気がしてましたよ。でも確かに「ならない」は古語では言いませんね。
でもかといって打消「ず」の未然形で「な」というのも違和感ありますが…(他の用例がなさすぎるような)


そして「立たなむ」の「な」を打消と解釈すると「立たざらむ」と同じ意味となるわけで、直訳すると「あなたを待ちわびて、私の着る表衣のすそに月が出ないでしょう」になっちゃうわけで、更にここを反語と解釈するために「君待ち難に 我が着せる 襲衣の襴に なぞ月立たなむよ」みたいな感じで「どうして」「なぜ」に当たる語を補う必要が出てきます。

ちょっと補い過ぎというか、解釈として苦しい気もします。

 

とはいえ、学者さんが議論しても定説が出てきていない部分なようなので、正確な訳というのも難しいですね。

-----文法談義おわり-----

 

歌の解釈に難しい部分はありますが、ともかくミヤズヒメは「うべな うべな うべな」と、肯定の言葉を3回も繰り返しており、どのみち返歌は「Yes No枕」(古っ!)で言うと思いっきり「Yes」なわけですな。
で、月経中にも関わらず、ヤマトタケルノミコトはミヤズヒメと結婚した…、と。「結婚」はこの場合、儀式とかを指すんでなくて、「ベッドインした」「性行為を成立させた」というそのものの意味で言ってます。

 

ってゆーか、月経中にヤっちゃっていいんですか。

 

突っ込まずにいられませんね。

まあでも、男が遠慮したもんを女がOK出したんだから良いのか。

 

 

なんか確か、この直後にヤマトタケルノミコト伊吹山の神に祟られたみたいな感じで病になり、死んでしまうことについて「月経中の女性とヤるという禁忌を犯した報いだ」みたいな説を昔読んだ気がするんですが、誰のどういう説だったか覚えていない……

 

ともあれ、古事記の表記からは「月経中の女性と性交することがタブー」だったのかどうかはよく分かりません。ヤマトタケルノミコトが最初ためらったのがなぜだったのか、そこはタブーと解釈することもできるし、単に、ミヤズヒメへの気遣い?と解釈することもできる気はします。

 

まーよく分かんないけど。
ともかく。

タブー的なところがあったとしても、ヤマトタケルノミコトが堂々とヤってるのは確かで。そして、それがタブーでそれ故に祟られたという説も、説としてあっても定かではないというか、はっきりそう描かれているというわけでもありません。

なのでまあ、月経中にヤっていかんってこともなかったんでしょうね、うん。

 

あるいは古代はおおらかだったという可能性もありますが、この月経中の性行為というネタ、もっと時代が下った古典にも出てきたりします。

次回のブログはそのハナシを。