ふること

多分、古典文学について語ります

夫が新しい妻の元へ行くのを見送る妻たち2-2~女三宮降嫁直後の紫の上

 

 さて、いざ女三宮降嫁後の紫の上の心境です。

対の上も、ことに触れてただにも思されぬ世のありさまなり。 げに、かかるにつけて、こよなく人に劣り消たるることもあるまじけれど、また並ぶ人なくならひたまひて、はなやかに生ひ先遠く、あなづりにくきけはひにて移ろひたまへるに、 なまはしたなく思さるれど、つれなくのみもてなして、御渡りのほども、もろ心にはかなきこともし出でたまひて、 いとらうたげなる御ありさまを、いとどありがたしと思ひきこえたまふ。

対の上(紫の上)も、折に触れて何もないようにはお思いになれない状況でした。
本当に、このようなことでひどくあちらにひけを取って影が薄くなるようなことはないだろうけれども、このように並ぶ人もない状況に馴れてきていて、華やかな様子で将来の長い若い女三宮が侮りがたいご様子で六条院に移っていらしたので、(紫の上は)何となく体裁が悪いようにお思いになるけれど、あえて平静を装って、女三宮が六条院へお渡りになるにあたっても、六条院と心を合わせてこまごまとした準備もなさって、たいそういじらしいご様子であるのを、六条院はめったにない素晴らしいことだとお思い申し上げなさる。

 紫の上は、女三宮が降嫁してきたからといって、夫の愛がすぐさま女三宮に移って自分への愛情が劣ってしまうようなことになるとは思わないけれども、今まで六条院の一の人として君臨し、その状況に馴れてきた中で、侮るわけにはいかない高い身分の正妻として女三宮が現れることを、「なまはしたなく」(どっちつかずで落ち着かない、中途半端だ、きまりが悪い、体裁が悪い…といった感じ)思います。

ポイントは、やはりここでも、源氏の愛情自体をすぐに疑っているわけではないけれど、この状況が「きまり悪い・体裁が悪い」と感じていること。

しかしその内心を表さずに女三宮降嫁準備のための雑用を、源氏と共にあれこれしてやっている態度に、源氏は感激しています。
ある意味、源氏にとっては大変幸先が良い、都合の良い態度を紫の上は取っているわけです。

 

なお、降嫁後に光源氏女三宮に行くところを見送る紫の上の心境描写は以下のようです。

三日がほどは、夜離れなく渡りたまふを、 年ごろさもならひたまはぬ心地に、忍ぶれど、なほものあはれなり。 御衣どもなど、いよいよ薫きしめさせたまふものから、うち眺めてものしたまふけしき、いみじくらうたげにをかし。
六条院が3日間は夜離れなく続けて女三宮のもとにお渡りになるのを、(紫の上は)長年そのようなことに(続けて他の女性の元に夫が通うことに)慣れていらっしゃらないので、我慢はなさるけれど、やはり何となく寂しく感じる。(六条院の)ご衣装などに、いっそう香を薫きしめさせなさりながら、物思いに沈んでいらっしゃるご様子が、たいそういじらしく美しい。

 新妻のところに通うために身仕舞いをするのに、妻の前で夫の衣服に香を薫きしめる…というのが定番の描写ですね。
ここでは、何も言わずただ物思いに沈んでいて、その様子を源氏が「らうたげにをかし」いじらしく美しいと見ています。
そして

「 などて、よろづのことありとも、また人をば並べて見るべきぞ。 あだあだしく、心弱くなりおきにけるわがおこたりに、かかることも出で来るぞかし。若けれど、 中納言をばえ思しかけずなりぬめりしを」

いかなる事情があったからといっても、他の妻をこの人に並べて見るべきではなかったのに。浮気性で、心弱くなってしまった私の過失のために、このような事態になってしまったのだ。若いけれど、中納言のことは朱雀院も女三宮の婿として検討することができなくなったようであるのに。

と源氏は後悔します。


中納言というのは息子の夕霧のことで、朱雀院は最初に夕霧を女三宮の婿として第一候補にしていたのですが、夕霧は、ちょうど長年の想いが叶って三条の北の方、雲居雁と結婚したばかりでした。
実際、朱雀院が夕霧と対面した時に、女三宮のことをさりげなく仄めかしたことがあったぐらいです。なので、そこで夕霧が前向きな意向を漏らせば、とんとん拍子に女三宮は夕霧へ降嫁することに決まったに違いないのですが、夕霧としては、内親王を妻にするのは名誉なことだとは思うものの、

「女君の今はとうちとけて頼みたまへるを、年ごろ、つらきにもことつけつべかりしほどだに、他ざまの心もなくて過ぐしてしを、あやにくに、今さらに立ち返り、にはかに物をや思はせきこえむ、なのめならずやむごとなき方にかかづらひなば、何ごとも思ふままならで、左右に安からずは、わが身も苦しくこそはあらめ」

女君(妻の雲居雁)が、今は安心と心を許して自分を頼みに思っていらっしゃるのに、長年あちらの薄情な扱いにかこつけることができた間ですら他の女をという心もなく過ごしてきたのに、今更分別もなく後戻りして、急に物思いをおさせしてしまうことになる。並一通りでなく高貴な方に関わりができたら、万事自分の思う通りにもならず、両方を気遣って、自分も辛いに違いない。

と考えて、女三宮降嫁の件は見送るのです。

 

ってか夕霧クン。この時点ではとっても立派です。その理性をなんで中年になっても保っていられなかったのか。


夕霧のこの述懐は、後年の夕霧自身と雲居雁の関係にそのまんま当てはまる内容ですがね。まあこの時点で女三宮が夕霧に降嫁していれば、女三宮が第一の妻、雲居雁が第二の妻みたいになったでしょうから、後年の落葉宮との恋愛?沙汰の方がまだマシだったでしょうね。

にしても、息子が「自分を信頼しきっている妻を裏切って物思いをさせるのが可哀想だ」と妻を思いやり、また「高貴な人を妻にすると、両方に気を遣って大変だ」と自分自身についても冷静に予測できているのに、なんで光源氏はその程度の理性もなかったんですかね?

何でもかんでも、源氏は藤壺宮がちょっとでも関わると理性が飛ぶっていうのはあるけれど
後年の夕霧も理性吹っ飛んでますが、まあそれは落葉宮への恋そのもので理性吹っ飛んでるんであって、ありがちな話かも知れないけど、なんつーか源氏は女三宮への恋で理性吹っ飛んでるわけですらないところがたち悪いですね。

ここで源氏は一度紫の上の信頼を裏切ってしまった訳ですが、結果論としては、源氏の紫の上への愛情は、女三宮の降嫁後も変わることはありませんでした。

もし女三宮が源氏の期待した通り、美しく知的な少女だったらどうなったのか?それは分かりませんが…

しかしとりあえず、源氏は大切に育てられた皇女にも全く見劣りすることなく、知性も教養も美しさも、何もかもが素晴らしい紫の上への愛情を新たにします。

 

しかし、紫の上はこの時点では、前述のように決して源氏の自分への愛情自体にそこまで不安を覚えていた訳ではないようなのです。

ある意味それもすごいというか…

30歳過ぎて、夫が十代の若い妻を迎えているのに、それが恋愛結婚ではないからというのもあるのでしょうが、ここまで落ち着いてふるまえる紫の上の自信も大したものだ…という気がします。

若い妻を迎える準備に協力し、何も言わずに支度を手伝い、文句の一つも言いません。

 

それでも物思いに囚われている様子に、源氏は後悔に駆られて必死に慰めようとし、自分の愛情が変わらないことを訴えようとしますが、さすがに朱雀院の手前あまり女三宮を軽んじるわけにも行かないので、「もうあちらには行きません」とも誓えず、逡巡します。

紫の上は「ご自分でもお心を定めかねていらっしゃるのに、私には何ともあてにできませんわ」とほほえみながら軽くいなします。

源氏は、紫の上が手習いで「あてにならない夫婦仲なのに、頼みにしてしまったことだ」といった意味の古歌を書いていたのを見て、変わらぬ仲を誓うような歌を書いたりしていて、女三宮のところに行かねばならない時間になってもなかなか行きません。

それを紫の上は「かたはらいたきわざかな/心苦しいことですわ」と言って、出かけるように急かします。

 

 

この「かたはらいたきわざかな」という言葉は、女三宮にとって「かたはらいたし」ならば「早く出かけないとあちらにとって気の毒ですわ」とも解せるし、あるいは、自分にとって「かたはらいたし」つまり自分が決まりが悪い、恥ずかしい…という風にも解せます。

後者なら、「源氏があちらに行くのが遅くなると、自分が引き止めているように思われて決まりが悪い」といったニュアンスになりますね

どうなんでしょうね。後者と取る方が素直かも知れません。

 

そう言って源氏を送り出した紫の上の胸に去来していたのは、愛情を裏切られた思いなのかどうか…?

源氏自身が必死に変わらぬ愛を誓っていることもあり、紫の上はやはり、どちらかというと源氏の愛情が移ろうことよりも、自分の立場、体裁のことを気にしている雰囲気があります。

この時点で、既に、愛情の問題と考えている源氏と紫の上の間に溝ができてしまっている、不穏な雰囲気があるわけです。

 

というところまでで以下次号。