ふること

多分、古典文学について語ります

雲居の雁と紫の上の話の続き(2-2)をしつつ、藤原道隆の三の君の話。

源氏物語雲居雁と紫の上には共通点が多い…という話のつづきだよ。

 

6.男女のことをそんなによく分かっていない無邪気なうちに、男と関係を持つに至ったこと

これはま~なんていうか、当たり前っていうか。
高貴な姫君だもん、無邪気じゃなきゃいけないんですよ!

現実には、姫君が耳年増でちっとも無邪気じゃないこともあったかも知れませんが。

そうそう、無邪気じゃない姫君といえば…大鏡に出てくる、藤原道隆の三の君の話。

道隆の長女は有名な中宮定子。
次女は東宮妃で淑景舎女御、原子(子はなく、22~3で頓死)。
末の四の君は一条天皇の御匣殿(定子腹の皇子を育てていて一条天皇の寵愛を受け、妊娠したものの、亡くなってしまった人)。

で、三の君というのは、帥宮敦道親王和泉式部の恋人として有名な人ですね)と結婚したものの、仲が絶えてしまった…という人なのですが、これがちょっとおかしなところがあった人だったらしく。

以下、大鏡の巻四、大臣列伝の「内大臣道隆」の記事から引用します。

まことにや、御心ばへなどのいと落ち居ずおはしければ、かつは、宮もうとみ聞こえさせたまへりけるとかや。客人などのまゐりたる折は、御簾をいと高やかに押しやりて、御懐をひろげて立ちたまへりければ、宮は御面うち赤めてなむおはしける。(中略)
また、学生ども召し集めて、作文し遊ばせたまひけるに、金を二三十両ばかり、屏風の上より投げ出だして、人々うちたまければ、ふさはしからず憎しとは思はれけれど、その座にては饗応し申してとり争ひけり。(中略)人々文作りて講じなどするに、よしあし、いと高やかに定めたまふ折もありけり。二位の新発(しぼち)の御流にて、この御族は、女も皆、才おはしたるなり。

 本当のことかどうか、(帥宮と結婚なさったこの三の君は)お気立てなどがたいそう落ち着かない方でいらっしゃったため、一つには、宮もそのためにこの方をお嫌い申し上げなさったとかいう話です。
この方は、客人などが宮のところに参上した時に、御簾をたいそう高く押しあげて、ふところを広げて胸を見せてお立ちになったので、宮はお顔を赤らめていらっしゃったとのことです。
(中略)
また、宮が大学寮の学生たちを召し集めて、漢詩を作らせてお遊びになっていた時に、この三の君は、金を二・三十両ほど屏風の上から投げ出して、人々にぶつけたりなさったので、学生たちは「この場にふさわしくない、不愉快な仕業」とは思えたけれど、その場では三の君のご機嫌を取って、競争して金を拾いました。
(中略)
人々が漢詩を作って声に出して披露などする時に、たいそう声高に、その詩の良し悪しを定めたりなどした時もあったそうな。
二位の新発高階成忠のお血筋なので、この一族は、女性も皆、漢学の素養がおありだったのです。


道隆の三の君という人は、 夫の帥宮のところに客が来た時に、御簾を上げて(それだけでも、貴族の女性にあるまじき振る舞いですが)、着物の懐をくつろげて、おっぱい見せて立っていた、と。

いや~、おっぱいびろ~んですよおっぱい。道長が妹の乳をつかんでひねった話もあったけど。


他、大学寮の学生たちが来た時に、金をばらまいたりした、と。
大学寮っていうと、かんたんにいうと、難しい試験に受かったら官僚として出世する道が開けるっつ~登竜門ですが、権門の子弟なんかは大学寮に行かなくても出世できるので、普通は行かない。夕霧は、父の光源氏がわざわざ苦労させるために行かせたという例外だったわけです。
この時代、源氏物語に出てくる学者たちも、偏屈で貧乏そうな人が多いし、大学寮の学生というのも、あまり裕福な人はいなかったと思われます。
そういう人達に、金をばらまいて見せた、と……

また、漢詩を披露している時に、大きな声で良し悪しを定めたりもしたそうな。

 

このエピソードって、単なる頭が変な人かと思うと、案外そうでもないんですね。
補足として、「この一族は女性でも漢学の教養があった」なんてわざわざ断っているぐらいですから、三の君も漢学に通じてたわけで。
つまり、漢詩の批評をした時も、その批評の内容は的確なものだったのだろうと思われます。

おっぱいびろ~んも、金バラマキも、わざと貴族女性として眉をひそめられるような行動をして、他人の反応を面白がっているような雰囲気があり…
「ちょっとおかしい人」と言われてしまうのは分かりますが、知性は高かったのですね、この方。


大鏡に、他に村上天皇の八宮永平親王のエピソードなんて出てきて、この方は生まれつき知能が低かった方なようで、そういう人についての描写とは明らかに違っていて。

道隆の三の君は、知能は高かったけれど精神的に病んでいたのか、ただ単に反抗心がありすぎたのか…
何だったんでしょうね。

 

…で、何の話だったっけ…
ああそうだ、貴族の高貴な姫君は無邪気じゃなきゃいけないっていう話で、無邪気じゃない姫君のことを思い出して話が逸れたんだった。

 

7,いじわるな継母がいること。

紫の上の継母にあたる、式部卿宮の北の方は、相当な曲者です。光源氏が須磨・明石をさすらうことになった時、式部卿宮は紫の上と付き合いを断ってしまったのですが、この人は単に付き合いを断つのみならず

「にはかなりし幸ひのあわただしさ。あな、ゆゆしや。思ふ人、方々につけて別れたまふ人かな」

急に幸せになったかと思うと、慌ただしくもその幸せが消えてしまうことだね。ああ、縁起の悪い。あの人は、母にしても祖母にしても夫にしても、大事な人にそれぞれお別れしてしまいなさる人だ

なんて憎まれ口をたたき、それがまた紫の上の耳にまで入ってしまいます。
「大事な人たち皆と別れ別れになってしまう」というのはその通りなんですが、紫の上の一番痛い所を突くという……。
影で言ったことであったとは言え、こればっかりは性悪女としか言いようがない感じです。

まあ現実にもいますけどねこういう人。
面と向かって言わなきゃ良いだろうとか、だって本当のことだしとか言いつつ、他人の不幸をいつか自分も遭うかもしれない不幸とは思わないが故に出てくる、こういう無神経な一言を発する人。

なんかこの、紫の上の継母の性悪さって、妙にリアリティがある気がします。落窪物語の継母北の方の戯画的な性悪さに比べて、「ああこういう人いるよね」的な…

髭黒大将が玉鬘と結婚し、もとからの北の方と別れた時も、「紫の上が嫌がらせで自分の継娘をうちの娘の夫に世話をしたのだ」といって激怒したりしますが…
うん、いるよね、そんな風に下世話に取らずにいられない人って。

 

一方で、雲居雁の継母はどうかというと。
この人は、もともと夕顔を脅したり何だりとなかなか怖い性格の人だったわけで。

雲居雁の父が、夕霧との件で雲居雁を大宮邸から自邸に引き取った時、自分の北の方には「姉の弘徽殿女御が退屈だろうから、お話し相手に」などという建前にして、本当の事情を一切話しませんでした。「話さなかった」のは、おそらく「話せなかった」のでしょう。

雲居雁が夕霧と結婚して幸せになった当初、 「女御の御ありさまなどよりも、はなやかにめでたくあらまほしければ、 北の方、さぶらふ人びとなどは、心よからず思ひ言ふもあれど/雲居雁が、弘徽殿女御のご様子などよりも、華やかで素晴らしく、理想的な様子だったので、北の方やお仕えする人々などは、不愉快そうに思ったり言ったりもしていたけれど」とあるので、まあやっかんで悪口言ってたりはしたようです。
そこらへんからも、嫉妬深くて性格悪そうなのは窺い知れます。
あと、柏木の死に際、妻の落葉宮の気持ちを思いやることなく強引に柏木を自分のもとに引き取ってしまったあたりも、ちょっと自己中心的な性格が垣間見えます。
まあでも、紫の上の継母ほど口が悪くもなかったのかも知れませんが。

 

 

次、紫の上と雲居雁が「嫉妬深いところが愛嬌である、と描かれていること」なんですが、これもまた長くなりそうなので次回に分けちゃいます。