ふること

多分、古典文学について語ります

誰もが源氏クンのように鏡にうっとり見惚れてるわけじゃない、と思う話。

いや…雲居の雁と夕霧の夫婦喧嘩のあたりを見返してて、どうしてもツッコミたくなったってだけなんですが。

突っ込みたい部分のちょっと前の場面から「夕霧」の巻をみていくと。

 

夕霧が落葉宮相手に浮気騒動を起こし、浮気された雲居の雁はもちろんとして、落葉宮が雲居の雁の兄の未亡人であるという関係から、落葉宮もまずい立場に立たされているため、「止めても無駄だろうが、女の方が両方とも気の毒だ」などと父親の光源氏も色々心配していました。
しかし、夕霧は自分では父にはしらばっくれて何も言いません。
ただ、養母の花散里には自分目線で都合の良い話を適当に語り、その最中に無神経に花散里のことをディスって苦笑されたりしてます。

 

「なほ、 南の御殿の御心もちゐこそ、さまざまにありがたう、 さてはこの御方の御心などこそは、めでたきものには、見たてまつり果てはべりぬれ」など、ほめきこえたまへば、

やはり、南の御殿のお方のお心がまえが、色々と滅多にないものに思えます。さらには、こちらのあなたさまのお心なども、すばらしいこととつくづく拝見申し上げているのです」などと、(夕霧は花散里を)お褒め申し上げたので、

ここね、要するに光源氏に一の人として愛されている紫の上が、他の妻妾に対して寛容に接していることを、まず素晴らしいことと褒めているわけです。
そして更に、紫の上に譲って一歩引いて慎ましくしている養母花散里のことをも褒めて、そういう態度が素晴らしいのだと、「見たてまつり果てはべりぬれ」~私はつくづく思っていますよ、と。


だけどさ、紫の上だって、もともと嫉妬深くて明石の御方のところに光源氏が通うのもいちいち咎めだてしてた人なわけです。

夕霧はそれを知らない(笑)

紫の上が、女三宮に嫉妬を示さないのは、そんな態度とってもどうしようもないから。自分の立場が弱いから。
花散里に寛容なのは…そもそも、花散里は、妻といっても形ばかり、すっかり諦め切って、光源氏と褥を共にもしていない人だから、寛容にもなるでしょう。

六条院の女達の内幕を全く知らず、良いようにふんわり解釈して褒め上げている夕霧に、さすがに花散里は苦笑します。

笑ひたまひて、「 もののためしに引き出でたまふほどに、身の人悪ろきおぼえこそあらはれぬべう。さて、をかしきことは、院の、みづからの御癖をば人知らぬやうに、 いささかあだあだしき御心づかひをば、 大事と思いて、戒め申したまふ。後言にも聞こえたまふめるこそ、賢しだつ人の、おのが上知らぬやうにおぼえはべれ」とのたまへば、

(花散里は)お笑いになって、「物事の例として引き出しなさればなさるほど、私の体裁の悪い評判があらわになってしまいそうですわ。
ところで、面白いことと言ったら、院が、ご自分の女癖を他人が知らないかのように、あなたのちょっとした好色めいたお心遣いをおおごととお思いになってお説教なさって、陰口をもおっしゃっていらっしゃる様子なのは、賢ぶっている人が自分のことは分かっていないように思えますわ」とおっしゃったので、


あまり美人じゃない花散里が、より美しく愛されている紫の上に遠慮して日頃から控えめに振る舞っているからといって「あなたが控えめにしている態度が素晴らしい」と褒めてしまったら「不器量な身の程を知ってそれをわきまえて振る舞うあなたは偉い」という意味にしかならんわけですよ。
要は、夕霧は花散里を意図せずディスってるわけですよね。
花散里の器量が良くないのは知っているので、当たり前の大前提みたいにして語ってる無神経男なわけです、夕霧クンは。

 
そこを、花散里は笑いながらチクリと釘を刺します。

とは言え、言うだけさらりと言って話題を変え、今度は光源氏のことを言ってちょっとディスる
花散里は人を見る目が鋭い人で、温厚なだけではなくなかなか賢い女性なのです。

それで、光源氏が自分の女癖の悪さ(なにしろ、帝の寵姫と火遊びした挙げ句、無官になって須磨明石とさすらってるわけですから…)を棚に上げて、夕霧がちょっとでも浮気な態度を見せると説教したり、陰であれこれ言ったりすることをあげつらうわけです。

ここで面白いのって「後言(陰口)」云々と花散里がいうあたり。

光源氏は、夕霧本人に向かっては、時々は説教するものの、案外むきつけに叱りつけたりというのはできないのです。落葉の宮の件でも、何度も話を向けてみるものの、夕霧にしらばっくれられると諦めてしまっていたりする。
そういう、「影では親ぶって、あれこれ偉そうな批評を言っているくせに、面と向かっては言えない」光源氏の親としての引け腰っぷりも、花散里は可笑しく思っているようです。

 

さて、花散里のこのセリフに対して夕霧くん。

「 さなむ、常に この道をしも戒め仰せらるる。さるは、かしこき御教へならでも、いとよくをさめてはべる心を」とて、げにをかしと思ひたまへり。

(夕霧は)「そうですね、いつも女性のことでは厳しく説教なさいます。しかし、私は父上の恐れ多いお説教がなくても、そういう面ではたいそう落ち着いておりますのに」といって、本当に面白いと思っていらっしゃる。


「いとよくをさめてはべる心を」って、落葉宮への恋にとち狂った挙げ句、失言ばかりかましてどうしても本人を口説き落とせず、経済方面から外堀を埋めて孤立させて、文字通り塗籠の奥まで追い詰めるような真似をしでかした男が言えるセリフか、と。

まさに、直前に花散里が言った通り賢しだつ人の、おのが上知らぬ」ってやつですね。

 

さて、前フリが長くなりました。

花散里との会話で「父上には義母上から良いようにおっしゃって下さい」などと頼んで、そのあと夕霧は光源氏の元に顔を見せます。
光源氏はやはり夕霧には何も言わず、ただ彼をつくづく見つめて、以下のように考えるのです。

 

「 いとめでたくきよらに、このころこそねびまさりたまへる御盛りなめれ。 さるさまの好き事をしたまふとも、人のもどくべきさまもしたまはず、鬼神も罪許しつべく、あざやかにものきよげに、若う盛りに匂ひを散らしたまへり。 もの思ひ知らぬ若人のほどにはたおはせず、かたほなるところなうねびととのほりたまへる、 ことわりぞかし、女にて、 などかめでざらむ。鏡を見ても、などかおごらざらむ」と、わが御子ながらも、思す。

たいそう素晴らしく美しく、この頃は特に貫禄もついて男盛りでおいでのようだ。このような恋愛沙汰をなさっても、他人が非難すべき様子でもおありにならない。鬼神であっても罪を許してしまいそうになるほど、鮮やかで美しく、若い盛りで華やかで美しいご様子だ。分別のない若者のような年齢ではいらっしゃらないし、中途半端なところもなくすっかり立派な大人になっていらっしゃる。結局無理もないことだ、女であって、どうしてこの人を愛さないということがあろうか。自ら鏡を見ても、どうして得意になって頼みにしないということがあろうか」と、我が子ながらもお思いになる。

 

光源氏が夕霧を見て、落葉の宮との恋愛事件についてしみじみ思うこと…内容的には、我が子に投影したナルシシズム全開であります。

まず、源氏は

  1. 夕霧は欠点もなく、非常に容姿も何もかも素晴らしい良い男だ
  2. そのように美しく素晴らしい男が恋愛沙汰を起こしたって無理はない。他人が責められるものでもないし、鬼神だって許してしまうだろう。
  3. もちろん女はこんな美しく素晴らしい男を愛さないわけがない。落葉の宮も、自分の立場上よろしくない恋愛であっても(舅の内大臣の手前、雲居の雁の夫を奪うのは良くないことなので)、夕霧ほどの素晴らしい男を前にしては、夢中にならざるを得ないだろう。
  4. だから、そんなふうに女を夢中にさせてしまったんだから、夕霧の側だって仕方がない。

というふうに考えてます。

要は、夕霧が(自分に似て)良い男すぎて、女が夢中になっちゃうんだから仕方がない。

ということです。

なお、この光源氏の見解は、落葉の宮が、最後の最後に塗籠の中で関係を強いられるまで、夕霧をとことん嫌い抜いているという事実に、真っ向から反しています。


光源氏が、日頃から自分の恋愛沙汰についても、女を夢中にさせてしまう自分の美貌が罪なのだ。と思っているのがよくわかりますね。


おまけに、源氏クンと違って、真面目な夕霧クンには、鏡に映る自分の姿を見て「我ながら美しい」などとうっとりするような場面は一度も描かれておりません。

 

いやあもうこの鏡の件だけはね、つっこまずにいられませんね。

お前だけや!

そんなに自分の姿見てうっとりしてんの、お前だけや!!!!

 

 

あくまで、ナルシストな自分の尺度からしか見られない光源氏くんの思いも及ばないぐらい、夕霧は夕霧でみっともない真似をあれこれと仕出かして周りの女達を振り回し、結局最後にはどうなるんだろう…というあたりで、「夕霧」の巻は終わってしまうのですけどね。
(そのあと夕霧がどうなったについては、先日書いた通り、紫の上死後の秋の場面で、いつのまにか雲居の雁と元鞘に収まったことが示唆され、光源氏死後の「匂兵部卿」で、夕霧が雲居の雁と落葉の宮に15日ずつきっちり通っている様子が描かれています)