ふること

多分、古典文学について語ります

雲居の雁と紫の上の共通点・最終回(2-3)。嫉妬プレイで倦怠期打破!

 

紫の上と雲居雁の共通要素、その3!

 

8,嫉妬深いところが愛嬌である、と描かれていること

紫の上については、「澪標」で明石の女の話を光源氏が紫の上に語る場面で、紫の上が不愉快さを隠せないでいるあたりの場面。

いとおほどかにうつくしうたをやぎたまへるものから、さすがに執念きところつきてもの怨じしたまへるが、なかなか愛敬づきて、腹立ちなしたまふを、をかしう見どころありと思す。

紫の上はたいそうおっとりしていて、愛らしく、柔和でいらっしゃうものの、そうはいっても執念深いところがあって、嫉妬なさるところがかえって愛嬌があって、(光源氏は)紫の上が腹を立てなさるところを、興趣あり見甲斐があるとお思いになる。

 

「若菜下」第五章

何ごともただおいらかに、うちおほどきたるさまして、子ども扱ひを、暇なく次々したまへば、をかしきところもなくおぼゆ。さすがに、腹悪しくて、もの妬みうちしたる、愛敬づきてうつくしき人ざまにぞものしたまふめる。

大将の君(夕霧)の三条の北の方は、何事にもひたすらおだやかで、おっとりとしたご様子で、子供の世話を暇もなく次々にしていらっしゃるので、趣のあるようなところもないようにお思いになる。そうは言っても、怒りっぽくて嫉妬なさるところが、愛嬌があって愛らしいご様子でいらっしゃるようだ。        

 ここ、紫の上に関する叙述と雲居雁に対する叙述、かなり似通っているんです。似通いつつ、同じ言葉を使ってみたり、微妙に変えてみたり。 

 

紫の上 雲居雁
おほどか おいらか・うちおほどきたるさま
執念きところつきて 腹悪しくて
もの怨じしたまへる もの妬みうちしたる
なかなか愛敬づきて/をかしう見どころあり 愛敬づきてうつくしき人ざまにぞものしたまふ

 
ここまで同じような描写となると、やはり作者の意図的なものなのかな、という気がしてきます。
雲居雁については、どちらかというと夕霧が「妻は可愛いけど、楽器が上手とかそういう優れたところもなくてちょっとつまらない」と考えているところなんですが。


とはいえ気になる所というと…

なんていうんですかね、このあとも雲居雁が出てくるシーンでは、彼女が嫉妬して怒って何か言ってるような場面が多いんですが、そのたびごとに若くをかしき顔してとか「をかしきさま」とか「にほひやか」とか憎くもあらず」「いみじう愛敬づきて」「匂ひやか」「をかしげ」「いとをかしきさまのみまさればなどなど…
嫉妬する雲居雁の様子を、かなり褒めてます。
ってか、妻が嫉妬している様を夕霧が可愛く思っている描写が、これでもかってぐらいシツコク出てくるんですね。

 

源氏が紫の上の嫉妬の様子を「をかしう見どころあり」と思っていたこととかも合わせると、どうもこう…紫式部さん、妻の嫉妬は夫婦仲のマンネリ打破にちょうどよい刺激と定義しているフシがある…。

 

特に、雲居雁の描き方というのは、子供の世話ばかり次々にしていて、「をかしきところもなくおぼゆ」と言いつつ、「さすがに」=「そうは言ってもやはり」という言葉で、「嫉妬する様子が愛嬌がある」と続くわけです。
「面白いところ、優れたところもないように思えるけれどやはり」なわけですよ。
ここ、嫉妬する様子が可愛いというのを女性の美点のように描いてますよね……

 

この描写の時点では、まだ夕霧と落葉宮との騒動は始まっていないので、雲居雁が嫉妬するというと対象は藤典侍ぐらいです。
この藤典侍と夕霧の仲というのは「夕霧」巻の最後の方にちらっと書かれているんですが、

この、昔御中絶えのほどには、この内侍のみこそ人知れぬものに思ひとめたまへりしか、こと改めて後は、いとたまさかに、つれなくなりまさりたまうつつ、さすがに君達はあまたになりにけり

昔、三条の北の方との仲が絶えてしまっていた頃は、夕霧大将は、この藤典侍だけを人知れぬ愛人として密かに愛情をかけていらっしゃったのだが、事情が改まって三条の北の方と結婚なさってからは、藤典侍への訪れもたいそう稀になり、冷たくなるばかりでいらっしゃったが、そうはいってもやはり、お子様たちはたくさん生まれていたのであった。


雲居雁と結婚した後は、訪れもたまさかになっていたけれど「さすがに=そうはいってもやはり」、子供は藤典侍との間にもたくさん生まれていた、と。

「さすがに」じゃねーよ、とツッコミたくなるところです。

ってか、紫式部さんの「さすがに」という言葉の使い方には、なんかこう「ホントにその言葉でいいの?」とツッコミたくなることが時々あります。でもそれでもやはり、そこは「さすがに」なんだろうなあ。

 

ま、要はアレですね、雲居雁と結婚して後は、藤典侍のところを訪れることも稀になったとはいえ、雲居雁は結婚して10年ほどの間に7人(1説には8人)も子供を産んでいるようで。
そんなに立て続けに生んでると、夫の夜のお相手どころじゃない時期も多かったんでしょうし、そういう時に藤典侍のところへ行って、せっせと交互に子供を作り続けてたってことなんでしょうね。
なお、藤の典侍との間には5人(1説には4人)。10年ほどの間に。
多いよ。
夕霧どんだけマメなん。

 

それでですね、その10年ほどの間、典侍へのヤキモチが夕霧と雲居雁夫妻の倦怠期防止の良いスパイスになってた、と。

典侍こそいい面の皮なんじゃないかと思いますが、まあ彼女は単なる夕霧の妾妻というだけではなく、公のお勤めを持っている人ですから、それでも良かったんですかね…。いや、良くはなさそうな素振りも見えますが、諦めてたんですかね。

 

紫の上も、少なくとも光源氏にとっては、紫の上の嫉妬が良い刺激剤になってたってことなんでしょうけれど。

9.夫の愛を確信して安心して長年過ごした後に、突然夫が皇女と結婚してしまうという危機に見舞われるということ。

そして最後のポイント。ここが大事ですね。
光源氏女三宮と。夕霧は、女三宮の姉の女二宮・落葉宮と。
(父が妹を妻にし、息子が姉を妻にしたってのはある意味スゴイ)
彼女たちの夫は、夫婦関係が揺るぎないものと彼女らが信じ込んで安心した頃になって、いきなり身分高い皇女と結婚してしまいます。


さて改めて、紫の上と雲居雁の共通点を復習してみましょう。

  1. 王族の高貴な血筋を引いていること。
  2. 母が父の第一の妻ではなかったこと。
  3. 「按察使大納言」というキーワード。
  4. 祖母に育てられたこと。
  5. 夫も早くに母と別れ、祖母に育てられた。
  6. 男女のことをそんなによく分かっていない無邪気なうちに、男と関係を持つに至ったこと。
  7. いじわるな継母がいること。
  8. 嫉妬深いところが愛嬌である、と描かれていること。
  9. 夫の愛を確信して安心して長年過ごした後に、突然夫が皇女と結婚してしまうという危機に見舞われるということ。


血筋は良いが、両親揃って育てられることがなく、父の正妻は実の母以外にいて、かつちょっと性悪。そういう事情などなどあり、祖母に育てられた紫の上・雲居雁
二人とも、夫にしたのは、母に早くに死に別れて祖母に育てられた当代随一の貴公子でした。
そして彼女らがローティーンの頃、最初の最初に夫と関係を持った時は、二人の間柄は正式な結婚といえるものではなかった(強調し忘れましたが、夕霧と雲居雁も、最初に肉体関係を持った頃は正式な結婚ではなく、その後親の反対で引き離されたわけです)。
そんな夫と引き離される苦労(雲居雁は親の反対で6年間、紫の上は源氏の須磨明石流離で3年間)を経た末、彼女たちはようやく幸せになり、確固たる妻としての地位を築き上げました。
そうして安定した夫婦仲にも安心しきって過ごしていた時に、突然、夫が自分より身分の高い皇女と結婚してしまいます。

…こうして書くと、本当に紫の上と雲居雁は、表と裏のように似た経緯を辿って夫婦の『危機』に直面しているんですね。

二人は、似ているようでいて、違うところが勿論たくさんあります。

そして、その「違い」の方に焦点をあてていくと、そこから浮き彫りになってくることは、紫式部が「源氏物語」という物語の構造から浮かび上がらせようと意図した大きなテーマそのものなのではないだろうか、と私は思うのです。


…というわけで、次からは「紫の上と雲居雁が対照的な部分」について語ろうと思う。

(長いな、この話……)

雲居の雁と紫の上の話の続き(2-2)をしつつ、藤原道隆の三の君の話。

源氏物語雲居雁と紫の上には共通点が多い…という話のつづきだよ。

 

6.男女のことをそんなによく分かっていない無邪気なうちに、男と関係を持つに至ったこと

これはま~なんていうか、当たり前っていうか。
高貴な姫君だもん、無邪気じゃなきゃいけないんですよ!

現実には、姫君が耳年増でちっとも無邪気じゃないこともあったかも知れませんが。

そうそう、無邪気じゃない姫君といえば…大鏡に出てくる、藤原道隆の三の君の話。

道隆の長女は有名な中宮定子。
次女は東宮妃で淑景舎女御、原子(子はなく、22~3で頓死)。
末の四の君は一条天皇の御匣殿(定子腹の皇子を育てていて一条天皇の寵愛を受け、妊娠したものの、亡くなってしまった人)。

で、三の君というのは、帥宮敦道親王和泉式部の恋人として有名な人ですね)と結婚したものの、仲が絶えてしまった…という人なのですが、これがちょっとおかしなところがあった人だったらしく。

以下、大鏡の巻四、大臣列伝の「内大臣道隆」の記事から引用します。

まことにや、御心ばへなどのいと落ち居ずおはしければ、かつは、宮もうとみ聞こえさせたまへりけるとかや。客人などのまゐりたる折は、御簾をいと高やかに押しやりて、御懐をひろげて立ちたまへりければ、宮は御面うち赤めてなむおはしける。(中略)
また、学生ども召し集めて、作文し遊ばせたまひけるに、金を二三十両ばかり、屏風の上より投げ出だして、人々うちたまければ、ふさはしからず憎しとは思はれけれど、その座にては饗応し申してとり争ひけり。(中略)人々文作りて講じなどするに、よしあし、いと高やかに定めたまふ折もありけり。二位の新発(しぼち)の御流にて、この御族は、女も皆、才おはしたるなり。

 本当のことかどうか、(帥宮と結婚なさったこの三の君は)お気立てなどがたいそう落ち着かない方でいらっしゃったため、一つには、宮もそのためにこの方をお嫌い申し上げなさったとかいう話です。
この方は、客人などが宮のところに参上した時に、御簾をたいそう高く押しあげて、ふところを広げて胸を見せてお立ちになったので、宮はお顔を赤らめていらっしゃったとのことです。
(中略)
また、宮が大学寮の学生たちを召し集めて、漢詩を作らせてお遊びになっていた時に、この三の君は、金を二・三十両ほど屏風の上から投げ出して、人々にぶつけたりなさったので、学生たちは「この場にふさわしくない、不愉快な仕業」とは思えたけれど、その場では三の君のご機嫌を取って、競争して金を拾いました。
(中略)
人々が漢詩を作って声に出して披露などする時に、たいそう声高に、その詩の良し悪しを定めたりなどした時もあったそうな。
二位の新発高階成忠のお血筋なので、この一族は、女性も皆、漢学の素養がおありだったのです。


道隆の三の君という人は、 夫の帥宮のところに客が来た時に、御簾を上げて(それだけでも、貴族の女性にあるまじき振る舞いですが)、着物の懐をくつろげて、おっぱい見せて立っていた、と。

いや~、おっぱいびろ~んですよおっぱい。道長が妹の乳をつかんでひねった話もあったけど。


他、大学寮の学生たちが来た時に、金をばらまいたりした、と。
大学寮っていうと、かんたんにいうと、難しい試験に受かったら官僚として出世する道が開けるっつ~登竜門ですが、権門の子弟なんかは大学寮に行かなくても出世できるので、普通は行かない。夕霧は、父の光源氏がわざわざ苦労させるために行かせたという例外だったわけです。
この時代、源氏物語に出てくる学者たちも、偏屈で貧乏そうな人が多いし、大学寮の学生というのも、あまり裕福な人はいなかったと思われます。
そういう人達に、金をばらまいて見せた、と……

また、漢詩を披露している時に、大きな声で良し悪しを定めたりもしたそうな。

 

このエピソードって、単なる頭が変な人かと思うと、案外そうでもないんですね。
補足として、「この一族は女性でも漢学の教養があった」なんてわざわざ断っているぐらいですから、三の君も漢学に通じてたわけで。
つまり、漢詩の批評をした時も、その批評の内容は的確なものだったのだろうと思われます。

おっぱいびろ~んも、金バラマキも、わざと貴族女性として眉をひそめられるような行動をして、他人の反応を面白がっているような雰囲気があり…
「ちょっとおかしい人」と言われてしまうのは分かりますが、知性は高かったのですね、この方。


大鏡に、他に村上天皇の八宮永平親王のエピソードなんて出てきて、この方は生まれつき知能が低かった方なようで、そういう人についての描写とは明らかに違っていて。

道隆の三の君は、知能は高かったけれど精神的に病んでいたのか、ただ単に反抗心がありすぎたのか…
何だったんでしょうね。

 

…で、何の話だったっけ…
ああそうだ、貴族の高貴な姫君は無邪気じゃなきゃいけないっていう話で、無邪気じゃない姫君のことを思い出して話が逸れたんだった。

 

7,いじわるな継母がいること。

紫の上の継母にあたる、式部卿宮の北の方は、相当な曲者です。光源氏が須磨・明石をさすらうことになった時、式部卿宮は紫の上と付き合いを断ってしまったのですが、この人は単に付き合いを断つのみならず

「にはかなりし幸ひのあわただしさ。あな、ゆゆしや。思ふ人、方々につけて別れたまふ人かな」

急に幸せになったかと思うと、慌ただしくもその幸せが消えてしまうことだね。ああ、縁起の悪い。あの人は、母にしても祖母にしても夫にしても、大事な人にそれぞれお別れしてしまいなさる人だ

なんて憎まれ口をたたき、それがまた紫の上の耳にまで入ってしまいます。
「大事な人たち皆と別れ別れになってしまう」というのはその通りなんですが、紫の上の一番痛い所を突くという……。
影で言ったことであったとは言え、こればっかりは性悪女としか言いようがない感じです。

まあ現実にもいますけどねこういう人。
面と向かって言わなきゃ良いだろうとか、だって本当のことだしとか言いつつ、他人の不幸をいつか自分も遭うかもしれない不幸とは思わないが故に出てくる、こういう無神経な一言を発する人。

なんかこの、紫の上の継母の性悪さって、妙にリアリティがある気がします。落窪物語の継母北の方の戯画的な性悪さに比べて、「ああこういう人いるよね」的な…

髭黒大将が玉鬘と結婚し、もとからの北の方と別れた時も、「紫の上が嫌がらせで自分の継娘をうちの娘の夫に世話をしたのだ」といって激怒したりしますが…
うん、いるよね、そんな風に下世話に取らずにいられない人って。

 

一方で、雲居雁の継母はどうかというと。
この人は、もともと夕顔を脅したり何だりとなかなか怖い性格の人だったわけで。

雲居雁の父が、夕霧との件で雲居雁を大宮邸から自邸に引き取った時、自分の北の方には「姉の弘徽殿女御が退屈だろうから、お話し相手に」などという建前にして、本当の事情を一切話しませんでした。「話さなかった」のは、おそらく「話せなかった」のでしょう。

雲居雁が夕霧と結婚して幸せになった当初、 「女御の御ありさまなどよりも、はなやかにめでたくあらまほしければ、 北の方、さぶらふ人びとなどは、心よからず思ひ言ふもあれど/雲居雁が、弘徽殿女御のご様子などよりも、華やかで素晴らしく、理想的な様子だったので、北の方やお仕えする人々などは、不愉快そうに思ったり言ったりもしていたけれど」とあるので、まあやっかんで悪口言ってたりはしたようです。
そこらへんからも、嫉妬深くて性格悪そうなのは窺い知れます。
あと、柏木の死に際、妻の落葉宮の気持ちを思いやることなく強引に柏木を自分のもとに引き取ってしまったあたりも、ちょっと自己中心的な性格が垣間見えます。
まあでも、紫の上の継母ほど口が悪くもなかったのかも知れませんが。

 

 

次、紫の上と雲居雁が「嫉妬深いところが愛嬌である、と描かれていること」なんですが、これもまた長くなりそうなので次回に分けちゃいます。

 

 

 

雲居の雁の話(2)。主に紫の上との共通点について

前回、

  • 紫式部が、「高貴な姫君だけれど、親ではなく自分で好きになった相手と、合意の上で関係を持つことで恋愛が始まる」というなかなか王朝物語の姫君では成り立ちにくいシチュエーションを、細かい設定を積み重ねることによって成り立たせて、その上でできあがった姫君が「雲居雁」なのだ…という話

  • その雲居雁は、紫の上と共通点がいくつかある…という話をしました。


今回はその続きで、雲居雁と紫の上との対比…という話を語ろうと思います。

まず、紫の上との共通点について。前回挙げたもの以外にも、思いついたものを列挙。

 

  1. 王族の高貴な血筋を引いていること。
  2. 母が父の第一の妻ではなかったこと。
  3. 「按察使大納言」というキーワード。
  4. 祖母に育てられたこと。
  5. 夫も早くに母と別れ、祖母に育てられた。
  6. 男女のことをそんなによく分かっていない無邪気なうちに、男と関係を持つに至ったこと。
  7. いじわるな継母がいること。
  8. 嫉妬深いところが愛嬌である、と描かれていること。
  9. 夫の愛を確信して安心して長年過ごした後に、突然夫が皇女と結婚してしまうという危機に見舞われるということ。


1.王族の高貴な血筋を引いていること。

紫の上は、藤壺中宮の兄の兵部卿宮(のち式部卿)の娘。孫王にあたります。雲居雁は、母親が「わかんどほり腹」なので、母親が宮家の女王とかなのかも知れませんね。詳しいことは分かりませんが…

2.母が父の第一の妻ではなかったこと。

「第一の妻」という表現は、「正妻」とした方がいいかと悩んだ末にそちらを選んだ…という感じなのですが。
「正妻」という言葉だと、江戸時代の武家諸法度以降の、ただ一人の正妻が最初から法的にも決まっていて、その人が常に正妻というニュアンスを抱きがちなんですが、この時代そういうわけでもありません。
たとえば紫の上は正妻だったのか正妻「格」だったのか、とか色々ありますが、「正式な妻」という意味での「正妻」であれば、紫の上は「正妻」の一人だった。そして女三宮降嫁までは「第一の妻」だったので、その意味でも「正妻」だった。
しかし、「正妻」という言葉は「最初から常に第一の正式な妻」といったような印象があるので、その意味では、紫の上の立場というのは「その時一番愛されているから第一の妻」なだけで、より身分の高い妻が来たら当然追いやらせてしまう程度の危ういものに過ぎなかったわけです。
その意味では「正妻」という感じじゃない…というので「正妻格」とか言われたりするわけですね。


平安時代の貴族の妻について、正式かつ第一の妻である妻以外が「妾妻」「側妻」だったかというと、そういうわけでもないんですね。
「正式な妻」という意味では、たとえば藤原道長の第二の妻、源明子も「北の方」とは呼ばれる人であって、正式な妻ではあった。
ただ、子供が生まれたときに、その子供の待遇は母親ごとに違うことが多いんですね。

有名なのは、藤原道長の子供たちのうち、源倫子腹の子が嫡子として出世が早く、源明子腹の子たちよりも優遇されていたため、正妻は倫子である…という話。
ふたりとも「北の方」「正妻」であったとしても、嫡妻・第一の妻は源倫子だったわけです。


とりあえず、子供たちが母親の違いで扱いに差がある場合に、一番優遇されている子供たちの母が「第一の妻」(正妻)ということになります。
夫の待遇に差がある場合、より重い扱いを受けている方が「第一の妻」(正妻)ということになります(夫と同居しているとか、色々)。

ただ、そもそも相手女性との仲を男が世間的に認めていない場合は「妻」ではなく「愛人」の扱い。
子供を認知してたり、相手の女性を自邸に迎えて女主人として住まわせたら「妻」。
自邸に迎えとって住まわせていても、和泉式部敦道親王の邸に迎えとられた時は、身分差が大きく、女主人としてではなく敦道親王に仕える女房として迎えとられていたので、「妻」ではなく「召人」ということになります。

ただ、藤原兼家の晩年に「権の北の方」と呼ばれた人のように、女房身分の召人としてであっても、他に妻がおらず、邸内で色んなことを仕切ったり等と権勢を振るって「北の方のようなもの」になる人もいたようです。
そこらへんからすると、やはり「正妻として邸を取り仕切る人」というニュアンスも大きいんでしょうね。
そこからすると、女三宮って実際的に六条院を取り仕切るためのことなどは全部紫の上に任せてそうなんだけどね。

…ついつい、話を脇道で膨らませてしまう。

話を雲居雁と紫の上の母の話に戻そう。


いずれにせよ、紫の上の母は、子供を兵部卿宮が認知していたので、兵部卿宮の正式な妻の一人であったとは言えるのでしょうけれど、同居することもなく、北の方と呼ばれる人ではなかった(道長の第二の妻・北の方だった源明子に比べると、妻ではあるけれど愛人に近いようなポジションっていうんですかね)。

一方、雲居雁の母に関してはどうか。
この人と頭中将の馴れ初めとか経緯とかは分からないんですが、ともかく、子供も生まれたけれど別れて、雲居雁の母は按察使の大納言の北の方になった、と。

この人が頭中将と「別れた」というのを「離婚」と表現されたりもしますが、ここらへん微妙なところ。


離婚という言葉にしても、現代に比べると曖昧なところがあるんじゃないかな(律令で、夫が3年通ってこなかったら再婚していいという規定があったらしいですが)。
たとえば、同居しているのにどちらかが家を出たら、それは「離婚」(髭黒大将と最初の北の方パターン)。子供がいて、それを男が認知しているけれど、別れたら「離婚」(雲居雁の母と頭中将のパターン)。


だいたいが、「第一の妻」に誰がなるかというのもかなり結果論のところがあって、勿論親が認める正式な結婚をして、結婚当初から妻方が夫の世話をしているような結婚をした妻が正妻として幅をきかせるのは当然なんですが、それだって、そういう妻との間に子供があまり生まれず、他の女に子供が沢山生まれて、結局はそちらを男が自邸に迎えて「第一の妻」とすることだってありえる。

だからこそ、頭中将の北の方、右大臣の四の君は、子供がいる夕顔を脅して別れさせたりだとか(それ以上子供が生まれないように、みたいなこともあったんでしょう)していたのだと思います。

右大臣の四の君は、結婚当初あまり頭中将とうまく行っていなくて、頭中将はよそで女遊びしまくりだったので、妻としての地位を保つのに必死だったのかも知れませんね。幸い、子供も沢山生まれたので、無事北の方としての地位を確立し、頭中将とも同居するようになったわけですが。

 

で、雲居雁の母に戻りますが、この人もおそらく、右大臣の四の君がうるさいから頭中将とは別れたんじゃなかろうか、と(笑)
はっきり書かれているわけじゃありませんが、面倒な妻がいる頭中将より、按察使大納言の北の方に収まる方が良かったんでしょう。慧眼です。

まあいずれにせよ、雲居雁の母も、紫の上の母も、そんなに低い身分の人ではなかったけれど、もっと権勢のある妻が他にいて、勝ち残れなかった・勝負を降りてしまった人だった、と。

 

3.「按察使大納言」というキーワード。

これ、面白いなと思うんですけどね。
紫の上の祖母は按察使大納言の北の方。母はその娘。
雲居雁の母は、按察使大納言の北の方。ことあるごとに「大納言殿の思う所は…」とか、「大納言殿もどうお思いになるか…」みたいな話が出てきます。


まあついでに、光源氏の母、桐壷更衣も按察使大納言の娘なんですが。
あと、のちの紅梅右大臣(頭中将の次男、柏木のすぐ下の弟)は、「紅梅」巻では按察使大納言だったりします。

ま、バックが「按察使大納言」だったというのは、それなりに高い出自であったが、大臣クラスではない…というポジション。
源氏物語での「按察使大納言」のニュアンスってすごく気になるんだけれど、まず言えることとして、大納言には2パターンある。

  • 摂関になることも望めるようなクラスの上級貴族が、大臣へ昇進する途中で大納言になるパターン
  • ようやくなり登って大納言どまり、大臣になれないパターン

光源氏や頭中将は前者のパターンで、大納言だった期間って短かったんじゃなかったですかね…

でも、大納言まで出世しても大臣になれずに死んでしまったりする後者のパターンでは、桐壺更衣みたいに、娘が入内しても当初は更衣どまりで女御になれなかったりするわけです。

納言と大臣の差はそれなりに大きい。

あと一歩のところで大臣になれずに終わるとなると、なんかすごい「残念」感があって。だから「大納言」って高官なんだけど、足がかりパターンなのか、大納言がようやっとパターンなのかどっちなのか?というあたりの、微妙なニュアンスがあるような気がします(笑)

紫の上の実家、按察使大納言家は、「大臣にまでなれなくて亡くなってしまった」パターン。
雲居雁の母の夫であった按察使大納言がどのパターンだったかは分かりません。源氏物語内で、どういう係累かよく分からない大臣というのもちらちら出てくるので、大臣にまでなり登った可能性もあります。

4.祖母に育てられたこと

紫の上は、母が亡くなって母方の祖母に育てられました。雲居雁は、母が父と離婚・再婚して子供が沢山生まれていたため、継父に取られないよう父が引き取って父方の祖母大宮に預けられて育ちました。

5.夫も早くに母と別れ、祖母に育てられた。

いうまでもなく、光源氏は3歳の時に母桐壺更衣が亡くなり、6歳まで母方祖母に育てられ、そのあとは桐壺帝が育てます。
夕霧は、生まれた時に母が亡くなり、その後は12歳で元服するまで祖母に育てられ、そのあとは祖母の他、花散里が養母となります。

親子とも母との縁が薄かったわけですが、光源氏と夕霧の違いは、夕霧の場合は祖母が成人後まで元気だったという点でしょうか。

実は夕霧のババコンっぷりは相当なもので(まあ母代わりなので無理もないんでしょうが)、「夕霧」で、落葉宮の母御息所の死後、夕霧が何度も何度も恋の恨み&母を亡くした宮へのお見舞いの手紙を送っても、全く返事がないため、以下のように内心で考えるシーンがあります。

 

「 悲しきことも限りあるを。などか、かく、あまり見知りたまはずはあるべき。いふかひなく若々しきやうに」
と恨めしう、
「 異事の筋に、花や蝶やと 書けばこそあらめ、わが心にあはれと思ひ、もの嘆かしき方ざまのことをいかにと問ふ人は、睦ましうあはれにこそおぼゆれ。
大宮の亡せたまへりしをいと悲しと思ひしに、致仕の大臣のさしも思ひたまへらず、ことわりの世の別れに、公々しき作法ばかりのことを孝じたまひしに、つらく心づきなかりしに、 六条院の、なかなかねむごろに、後の御事をも営みたまうしが、わが方ざまといふ中にも、うれしう見たてまつりし。
その折に、故衛門督をば、取り分きて思ひつきにしぞかし。人柄のいたう静まりて、物をいたう思ひとどめたりし心に、あはれもまさりて人より深かりしが、なつかしうおぼえし」
など、つれづれとものをのみ思し続けて、明かし暮らしたまふ。(夕霧)

 

「悲しいことといっても限りがあることだろうに。なぜこうまで、あまりにも人の気持ちをご存知ないような様子でいらっしゃるのだろう。どうしもうもなく、子供じみた様子ではないか」

と落葉宮のことが恨めしく、

「花だの蝶だのと見当違いの筋を書いているならばともかく、自分の心にも哀しく思われ、嘆いていることについて、『いかがですか』と聞いてくれる人は、なつかしく親しみを感じられるものではなかろうか。
私も、祖母大宮が亡くなられた時たいそう悲しいと思ったものだったが、伯父の致仕の大臣がそんなに悲しいともお思いにならず、親との死別はこの世の定めであるとばかりに、表だった儀式のことばかりを親孝行として供養なさっていたのが、自分にとっては恨めしく気に食わなかったが、父六条院が、かえって血のつながった息子ではない間柄ながら、丁寧に後の供養を営みなさっていたのが、我が親と言いながらも、とても嬉しい気持ちで拝見していたものだ。
その時に、故衛門督のことを、とりわけ好きになったのだ。人柄がたいそう落ち着いていて、思慮深くて、悲しみも他の人より深かったのに惹かれたのだ」
などと、つくづくと物思いにふけり続けながら、明し暮らしていらっしゃった。

 
祖母大宮が亡くなったのは夕霧が16歳ぐらいの頃。まだ雲居雁とは間を引き裂かれている真っ最中だった頃です。
大宮も結構なお年で「大往生」といった感じもあったからか、あまりこまやかな性格ではない大宮の一人息子の大臣は、通り一遍の態度で表立った葬儀を大々的にやっていただけだったのが、夕霧には飽きたらなかった。(それに対して、神経が細かい光源氏がこまやかな配慮を示して供養などしていたのが夕霧には嬉しかったらしい)
そんな中で、大臣の長男であり夕霧の従兄である柏木衛門督が、大宮の死を深く悲しんでいたので、その時に夕霧は柏木のことを好きになったのだ、と。

 

「おばあちゃまの死を一緒に悲しんでくれたから、柏木が好きだったんだ」
と夕霧。

…ババコンですね。まあいいけど。

 

柏木が思いやり深い性格だったため、姉妹たちにも弟たちにも好かれていたことは「柏木」の巻であれこれ描かれています。
長男気質で面倒見が良かったんでしょうね、柏木クン。年下の夕霧にも懐かれていたわけですね。

 

夕霧が雲居雁と引き裂かれていた6年間、彼女に執着して他の縁談に見向きしなかったのは、雲居雁が大宮の想い出を共有する相手だったってこともあるんでしょう。

まあでも、光源氏も祖母が大人になるまで生きていたら、あんなにマザコンをこじらせて藤壺宮に執着し続けたりしないで済んでたかも知れないし、夕霧は「おばあちゃん子」ではあれ、まっすぐ育った方なんだろうなあ。

…書き疲れたので以下次回。

誰もが源氏クンのように鏡にうっとり見惚れてるわけじゃない、と思う話。

いや…雲居の雁と夕霧の夫婦喧嘩のあたりを見返してて、どうしてもツッコミたくなったってだけなんですが。

突っ込みたい部分のちょっと前の場面から「夕霧」の巻をみていくと。

 

夕霧が落葉宮相手に浮気騒動を起こし、浮気された雲居の雁はもちろんとして、落葉宮が雲居の雁の兄の未亡人であるという関係から、落葉宮もまずい立場に立たされているため、「止めても無駄だろうが、女の方が両方とも気の毒だ」などと父親の光源氏も色々心配していました。
しかし、夕霧は自分では父にはしらばっくれて何も言いません。
ただ、養母の花散里には自分目線で都合の良い話を適当に語り、その最中に無神経に花散里のことをディスって苦笑されたりしてます。

 

「なほ、 南の御殿の御心もちゐこそ、さまざまにありがたう、 さてはこの御方の御心などこそは、めでたきものには、見たてまつり果てはべりぬれ」など、ほめきこえたまへば、

やはり、南の御殿のお方のお心がまえが、色々と滅多にないものに思えます。さらには、こちらのあなたさまのお心なども、すばらしいこととつくづく拝見申し上げているのです」などと、(夕霧は花散里を)お褒め申し上げたので、

ここね、要するに光源氏に一の人として愛されている紫の上が、他の妻妾に対して寛容に接していることを、まず素晴らしいことと褒めているわけです。
そして更に、紫の上に譲って一歩引いて慎ましくしている養母花散里のことをも褒めて、そういう態度が素晴らしいのだと、「見たてまつり果てはべりぬれ」~私はつくづく思っていますよ、と。


だけどさ、紫の上だって、もともと嫉妬深くて明石の御方のところに光源氏が通うのもいちいち咎めだてしてた人なわけです。

夕霧はそれを知らない(笑)

紫の上が、女三宮に嫉妬を示さないのは、そんな態度とってもどうしようもないから。自分の立場が弱いから。
花散里に寛容なのは…そもそも、花散里は、妻といっても形ばかり、すっかり諦め切って、光源氏と褥を共にもしていない人だから、寛容にもなるでしょう。

六条院の女達の内幕を全く知らず、良いようにふんわり解釈して褒め上げている夕霧に、さすがに花散里は苦笑します。

笑ひたまひて、「 もののためしに引き出でたまふほどに、身の人悪ろきおぼえこそあらはれぬべう。さて、をかしきことは、院の、みづからの御癖をば人知らぬやうに、 いささかあだあだしき御心づかひをば、 大事と思いて、戒め申したまふ。後言にも聞こえたまふめるこそ、賢しだつ人の、おのが上知らぬやうにおぼえはべれ」とのたまへば、

(花散里は)お笑いになって、「物事の例として引き出しなさればなさるほど、私の体裁の悪い評判があらわになってしまいそうですわ。
ところで、面白いことと言ったら、院が、ご自分の女癖を他人が知らないかのように、あなたのちょっとした好色めいたお心遣いをおおごととお思いになってお説教なさって、陰口をもおっしゃっていらっしゃる様子なのは、賢ぶっている人が自分のことは分かっていないように思えますわ」とおっしゃったので、


あまり美人じゃない花散里が、より美しく愛されている紫の上に遠慮して日頃から控えめに振る舞っているからといって「あなたが控えめにしている態度が素晴らしい」と褒めてしまったら「不器量な身の程を知ってそれをわきまえて振る舞うあなたは偉い」という意味にしかならんわけですよ。
要は、夕霧は花散里を意図せずディスってるわけですよね。
花散里の器量が良くないのは知っているので、当たり前の大前提みたいにして語ってる無神経男なわけです、夕霧クンは。

 
そこを、花散里は笑いながらチクリと釘を刺します。

とは言え、言うだけさらりと言って話題を変え、今度は光源氏のことを言ってちょっとディスる
花散里は人を見る目が鋭い人で、温厚なだけではなくなかなか賢い女性なのです。

それで、光源氏が自分の女癖の悪さ(なにしろ、帝の寵姫と火遊びした挙げ句、無官になって須磨明石とさすらってるわけですから…)を棚に上げて、夕霧がちょっとでも浮気な態度を見せると説教したり、陰であれこれ言ったりすることをあげつらうわけです。

ここで面白いのって「後言(陰口)」云々と花散里がいうあたり。

光源氏は、夕霧本人に向かっては、時々は説教するものの、案外むきつけに叱りつけたりというのはできないのです。落葉の宮の件でも、何度も話を向けてみるものの、夕霧にしらばっくれられると諦めてしまっていたりする。
そういう、「影では親ぶって、あれこれ偉そうな批評を言っているくせに、面と向かっては言えない」光源氏の親としての引け腰っぷりも、花散里は可笑しく思っているようです。

 

さて、花散里のこのセリフに対して夕霧くん。

「 さなむ、常に この道をしも戒め仰せらるる。さるは、かしこき御教へならでも、いとよくをさめてはべる心を」とて、げにをかしと思ひたまへり。

(夕霧は)「そうですね、いつも女性のことでは厳しく説教なさいます。しかし、私は父上の恐れ多いお説教がなくても、そういう面ではたいそう落ち着いておりますのに」といって、本当に面白いと思っていらっしゃる。


「いとよくをさめてはべる心を」って、落葉宮への恋にとち狂った挙げ句、失言ばかりかましてどうしても本人を口説き落とせず、経済方面から外堀を埋めて孤立させて、文字通り塗籠の奥まで追い詰めるような真似をしでかした男が言えるセリフか、と。

まさに、直前に花散里が言った通り賢しだつ人の、おのが上知らぬ」ってやつですね。

 

さて、前フリが長くなりました。

花散里との会話で「父上には義母上から良いようにおっしゃって下さい」などと頼んで、そのあと夕霧は光源氏の元に顔を見せます。
光源氏はやはり夕霧には何も言わず、ただ彼をつくづく見つめて、以下のように考えるのです。

 

「 いとめでたくきよらに、このころこそねびまさりたまへる御盛りなめれ。 さるさまの好き事をしたまふとも、人のもどくべきさまもしたまはず、鬼神も罪許しつべく、あざやかにものきよげに、若う盛りに匂ひを散らしたまへり。 もの思ひ知らぬ若人のほどにはたおはせず、かたほなるところなうねびととのほりたまへる、 ことわりぞかし、女にて、 などかめでざらむ。鏡を見ても、などかおごらざらむ」と、わが御子ながらも、思す。

たいそう素晴らしく美しく、この頃は特に貫禄もついて男盛りでおいでのようだ。このような恋愛沙汰をなさっても、他人が非難すべき様子でもおありにならない。鬼神であっても罪を許してしまいそうになるほど、鮮やかで美しく、若い盛りで華やかで美しいご様子だ。分別のない若者のような年齢ではいらっしゃらないし、中途半端なところもなくすっかり立派な大人になっていらっしゃる。結局無理もないことだ、女であって、どうしてこの人を愛さないということがあろうか。自ら鏡を見ても、どうして得意になって頼みにしないということがあろうか」と、我が子ながらもお思いになる。

 

光源氏が夕霧を見て、落葉の宮との恋愛事件についてしみじみ思うこと…内容的には、我が子に投影したナルシシズム全開であります。

まず、源氏は

  1. 夕霧は欠点もなく、非常に容姿も何もかも素晴らしい良い男だ
  2. そのように美しく素晴らしい男が恋愛沙汰を起こしたって無理はない。他人が責められるものでもないし、鬼神だって許してしまうだろう。
  3. もちろん女はこんな美しく素晴らしい男を愛さないわけがない。落葉の宮も、自分の立場上よろしくない恋愛であっても(舅の内大臣の手前、雲居の雁の夫を奪うのは良くないことなので)、夕霧ほどの素晴らしい男を前にしては、夢中にならざるを得ないだろう。
  4. だから、そんなふうに女を夢中にさせてしまったんだから、夕霧の側だって仕方がない。

というふうに考えてます。

要は、夕霧が(自分に似て)良い男すぎて、女が夢中になっちゃうんだから仕方がない。

ということです。

なお、この光源氏の見解は、落葉の宮が、最後の最後に塗籠の中で関係を強いられるまで、夕霧をとことん嫌い抜いているという事実に、真っ向から反しています。


光源氏が、日頃から自分の恋愛沙汰についても、女を夢中にさせてしまう自分の美貌が罪なのだ。と思っているのがよくわかりますね。


おまけに、源氏クンと違って、真面目な夕霧クンには、鏡に映る自分の姿を見て「我ながら美しい」などとうっとりするような場面は一度も描かれておりません。

 

いやあもうこの鏡の件だけはね、つっこまずにいられませんね。

お前だけや!

そんなに自分の姿見てうっとりしてんの、お前だけや!!!!

 

 

あくまで、ナルシストな自分の尺度からしか見られない光源氏くんの思いも及ばないぐらい、夕霧は夕霧でみっともない真似をあれこれと仕出かして周りの女達を振り回し、結局最後にはどうなるんだろう…というあたりで、「夕霧」の巻は終わってしまうのですけどね。
(そのあと夕霧がどうなったについては、先日書いた通り、紫の上死後の秋の場面で、いつのまにか雲居の雁と元鞘に収まったことが示唆され、光源氏死後の「匂兵部卿」で、夕霧が雲居の雁と落葉の宮に15日ずつきっちり通っている様子が描かれています)

実は源氏物語の裏ヒロイン?! 雲居の雁の話(1)

<承前>

物語の姫君は、奥深く暮らして男に顔も見せないという「姫君の生態」上、どうしても恋愛の始まりには

  • 宮中での出会い(姉妹等が宮中にいて、そこに遊びに行った時の出会い等。花散里・朧月夜パターン)。
  • 男が忍び込んで関係を無理強いする

のどちらかになりがちで、宮中での出会いパターンの場合だって、女の方でも男を見る機会があるというぐらいで、結局は「親の屋敷の奥にいるよりは忍び込む隙がありがち」というだけで「忍び込んで無理強い」パターンになりがちだよね…という話を昨日書きました。

高貴な姫君が、自分から男を見初めて招き入れたりしてしまっては、少なくとも「高貴」な感じではなくなってしまう。
姫君と合意ある場合というのは「親が決めた縁談」というパターンぐらいで、その場合は「結婚」であって「恋愛」にはなりづらい。
だから、物語で姫君との恋愛を描くには、どうしても「関係を強いる」ところから始まるパターンになりがちだよね…

という理屈なんですが。

 

たとえば朧月夜尚侍も、宮中で光源氏と出会って恋愛するようになったものの、彼女の人柄の描かれ方としては「ちょっとなびきやすくて軽々しいところがある」という感じで、光源氏自身が彼女をちょっとその点で思い落として見ている風もあります(自分でなびかせておきながらこれだから、源氏クンときたら…)

 

言ってしまえば、「高貴な姫君」は、強姦されて処女じゃなくなってから初めて、姫君として恋愛という舞台の上に乗る…みたいな観がある
その意味で、「姫君」が王朝物語で描かれる恋愛において、最初から自分で男を選ぶ主体性を持つのは大変に難しい、とも言えるでしょう。

…しかし、我らが紫式部大先生は、そんなことでは引き下がりません。


高貴な姫君が、親が決めた縁談でもなく、無理強いで始まるわけでもない「両想いの恋愛」をする。
時代背景からするとかなり難易度の高そうな、そんな「恋愛」をも、紫式部源氏物語の中で描き出しています。

 

それが、雲居の雁とその夫、夕霧の恋愛。


通常、「二人は筒井筒の幼馴染で…」という説明だけですんなり納得してさらっと流しがちなこの二人の馴れ初めですが、よくよく考えると、二人の恋愛の舞台背景は、かなり細部よく練り込まれているイレギュラーなものなんです。

だいたいが、高貴な身分の姫君と若君が、いとこ同志だからといって「顔も知っている」というシチュエーション自体、まずありえない。
兄弟ですら、ろくに姉妹の顔も見たことないなんてこともよくある時代、まして結婚可能ないとこ同士で「幼馴染で一緒に遊んで育つ」とか、普通ありえません

しかし、夕霧と雲居の雁の間で違和感もなくそれを成立させるために、色々な要素が前提となっています。

以下、それを列挙してみましょう。 

  • まず、夕霧の母であり、雲居の雁の父内大臣(頭中将)の妹である葵の上が、早くに亡くなってしまいます。このことが、夕霧と雲居の雁が一緒に育つことになる大前提となります。
  • 普通、男の子は父方で育てられるが、娘を亡くしてしまった葵の上の母・大宮が気の毒だというのもあり、源氏の特別な配慮で、夕霧は祖母大宮のもとで育てられることになります(そこらへんの説明も、葵の巻に書いてあります)。
  • 雲居の雁の母は身分の高い王族出で、彼女は血筋も良いけれど、母親が按察使大納言と再婚して弟妹がたくさん生まれたため、通常通り母親のもとで育てられると、数少ない娘を按察使大納言に取られてしまいそうという特殊事情のもと、父方の祖母の大宮に育てられることになる。

  • 結果、夕霧と雲居の雁は、同じ祖母大宮のもとで、姉弟のように育つことになる。

ここ、かなり特殊なシチュエーションです。

通常、離婚や死別などがあった場合、息子は父方で、娘は母方で育てられるものです。しかし雲居の雁の場合、両親が離婚した後、母が按察使大納言という高官内大臣/頭中将にとって、按察使大納言という高官は政治的ライバルになりうるような地位の相手)の正妻になって、弟妹も大勢産まれています。


髭黒右大将の長女、真木柱の姫君が、のちに式部卿宮が差配して蛍兵部卿宮を婿に取ったように、結局、姫君については住んでいる屋敷の男あるじがある種の親権みたいなものを持ち、縁談や身の振り方を決めるようなところがあります。

玉鬘が当初、冷泉帝の尚侍として出仕するという身の振り方が定められた際も、彼女が住んでいる六条院の主である養父光源氏の発言権が大きかったですしね。
ああいう感じです。


内大臣(頭中将)は、北の方との間に男の子はいっぱい生まれたものの、女の子は一人しか生まれませんでした。この時代、后がねともなり、有力貴族との通婚という意味でも、女の子というのは上流貴族にとって非常に重要な手駒です。

一番大事なのは、正妻との間に生まれた長女(冷泉帝の弘徽殿の女御)としても、他にもせっかく身分の高い妻から生まれた申し分のない女の子がいるのに、その子は、このままでは按察使大納言の娘分になって、親権を取られてしまいかねない。

それは非常にもったいない…という、ある意味かなり政治的な思惑もあって、内大臣(頭中将)は、雲居の雁を引き取って、母大宮に預けます。

ここも、普通は引き取ったら自邸に連れていって北の方に預けるものでしょう。
それをなぜ北の方に預けなかったのかという疑問が出そうなところ、物語の最初の頃から、頭中将の北の方が嫉妬深いうるさ型で、娘を産んでいた夕顔を脅したように、とてもじゃないけど継娘を引き取って大事に育てるようなタイプの女性じゃなかったという背景と、それにプラス、頭中将の母の大宮が一人娘を亡くして寂しい境遇だった、ということから、祖母大宮に預ける…というのが自然に思えるような流れが、物語の中に作られたわけです。


ここで、「身分は高く出自は申し分なく、かつ、母も後見として目を光らせている」姫君が「父方の祖母に育てられている」という、相当に特殊なシチュエーションが生まれた…ということになります。


この雲居の雁の設定というのは、おそらくは細部まで作者の計算がなされているのだと思われます。


通常、母のいない娘というのは、まともな結婚もしづらかったり、気の毒な境遇に落とされがちです。
落窪の君なんかもそうですが、宇治十帖に出てくる「宮の君」も、式部卿宮の娘でありながら、父の死後、継母の思惑でひどい結婚をさせられそうになり、仕方なく明石中宮に引き取られて、女一宮のもとに女房として出仕することになる…という哀れな境遇に身を落とすわけです。
一方で、桐壷更衣や玉鬘の娘たちのように、父が亡くなった場合でも、母が健在ならそれなりに頑張れたりも。
女の子は特に、母親の存在が大事だったようです。

雲居の雁については、もし母親が同居していたら、夕霧と雲居の雁の関係が深まる前に様子を見て、適宜引き離すなどしていたことでしょう。当然です。

そもそも、十歳過ぎたら夕霧とは引き離すように、と父大臣側からは言われていて一応は離れて暮らすようにはなっているのです。
しかし、祖母大宮は、夕霧には特に甘い祖母であり、かつ帝と一つ腹の内親王様という高貴さで、どこかおっとりしたお嬢様気質。
実際的な母親のように、娘に目を光らせつつ女房たちを監督する…というきびしさはありません。
勢い、父大臣がいうようにきちんと引き離せていたかというと、そうでもなかった。夕霧は、いくらでも隙を見て雲居の雁に近づいていたわけです。

結局、雲居の雁は、母が同居していなかったため、監督が緩かったといえるでしょう。
しかし、彼女には母がいないわけではないし、大切にされていないわけでもない。
母親はれっきとした勢力を持ってちゃんと存在し、彼女の行く末についても目を光らせています。それを示唆するように、雲居の雁の将来が問題となるたびに、乳母達が「大納言殿」の思うことを気にしていたり、物語の地の文に大納言殿がどう思った…みたいな説明が要所要所で挿入されます。
もし、彼女についていい加減な扱いがされたら、母親は黙っていない。「そんな扱いするならこちらに引き取ります」といつでも言って按察使大納言邸に連れ去ることだってできるわけです。
だから、内大臣側はいつも「大納言殿」の思うところに気を遣っている。

後見もあり、大事に育てられているのに、実際の監視は緩かった。

ある意味、絶妙なバランスでお膳立てができあがっています。

 

ここらへんの経緯、原典から拾ってみましょう。

 

「むつましき人なれど、男子にはうちとくまじきものなり」と父大臣聞こえたまひて、けどほくなりにたるを、幼心地に思ふことなきにしもあらねば、 はかなき花紅葉につけても、雛遊びの追従をも、ねむごろにまつはれありきて、心ざしを見えきこえたまへば、いみじう思ひ交はして、 けざやかには今も恥ぢきこえたまはず。(乙女)

「親しい人といっても、男子には気を許すものではありません」と父大臣が申し上げなさったので、姫君と若君は引き離されて暮らすようになったけれども、若君はそれについて子供心に思うことがないでもなかったので、ちょっとした花や紅葉を贈ったりといったことにつけても、雛遊びでご機嫌取りをするにつけても、熱心に姫君にまとわりついてあれこれ奔走して歩いて、真心をお見せ申し上げていらっしゃったので、姫君も若君とたいそう思い合って、今も、きっぱりと顔を見せない等と恥じらう態度をお見せ申し上げることはなかった。


 夕霧は、まず10歳過ぎて離れて暮らすようになった時、すでに姫君を思う気持ちがあったので、あれこれと何かにつけて贈り物をしたり、雛遊びに付き合ったりして(このことは、のち夕霧が明石の姫君の相手をする時に思い出したりしていますね)、姫君のご機嫌を取ります。
姫君の方も、一応離されたといっても、いきなり顔も見せないような態度は取らず、二人は「いみじう思ひ交はし」つまり両想いになっていたわけです。

うん、微笑ましい幼馴染の恋ですね。

紫式部が、特異なシチュエーションが不自然にならぬよう、細かい設定を積み重ねて用意した舞台装置が見事に結実しています。
ごく自然に従姉弟同士が姉弟のように親しく育ち、しかし若君の方は「姉弟」などとは思っていない。姫君も警戒もせず、素直に若君を慕っている。
姫君は大事に育てられてはいるが、母ではなく祖母に預けられているので、そんなに監視は厳しくない。


この文章は、以下のように続きます。

御後見どもも「 何かは、若き御心どちなれば、年ごろ見ならひたまへる御あはひを、にはかにも、いかがはもて離れはしたなめきこえむ」と見るに、女君こそ何心なくおはすれど、男は、さこそものげなきほどと見きこゆれ、おほけなく、いかなる御仲らひにかありけむ、よそよそになりては、これをぞ静心なく思ふべき。

 後見の乳母たちなども、「いやいや、まだ幼い同士なのだから、長年親しくなさっていた間柄なのに、どうやって急に引き離してばつの悪い思いをおさせすることができるでしょう」というふうに見ていたが、女君の方は何ということもなく無邪気でいらっしゃったけれど、男は、いかにもたあいのない子供のようにお見受けされたものの、年にも似合わず、いったいどのような間柄になっていらっしゃったことだろうか、元服後によそよそにお暮らしになるようになってからは、姫君に逢えないことを落ち着かなく思っていたようです。

 

周囲も「子供のことだから」と微笑ましく見守っていたのに、いやいやどうして。
夕霧、若干12歳前後にして、大変手が早い。

10歳になって離れて暮らすようになり、かえって意識するようになったところもあるんでしょうね。元服する頃には、どうもすっかり二人は深い仲になってしまっていた、と。

雲居の雁の方は13~4歳ぐらいでしょうか。まだまだ無邪気なばかりで、そういう行為に応じることがよいとも悪いとも分かっていなかったのかも知れないですが。

ただ、同じように、14~5歳で、男女のことなどよく理解しておらず無邪気だった紫の上は、光源氏に行為を強要された時は激怒していたわけです。

それを考えると、雲居の雁が紫の上の新枕の年頃よりちょっと下だったというのもあり、また、同じく無邪気だったとはいえ、紫の上が打てば響くような賢いタイプで、源氏の行為後はその裏心?まですっかり合点して激怒したのに比べて、雲居の雁はおっとりしていて幼い性格だったというのもあるのでしょうけれど。
しかしやはり端的に言って、雲居の雁の場合は夕霧と「いみじう思ひ交はし」ていたというのが大きかったんでしょう。
ここのところについては、実は 夕霧自身のれっきとした?証言があったりします。

藤裏葉」にてのちに二人が結婚した時、夕霧が雲居の雁にこんなことを言います。

 

「 少将の進み出だしつる葦垣の趣きは、耳とどめたまひつや。いたき主かなな。『 河口の』とこそ、さしいらへまほしかりつれ」

あなたの弟の少将が、わざと謡い出した「葦垣」の歌の趣旨(男が女を盗みだそうとしたら、親に告げ口されて失敗したという歌)は、耳におとどめになりましたか? ひどい人ですね。「河口の」と言い返してやりたかった。

 この「河口の」と言い返してやりたかった…という意味はどういうことかというと。
葦垣も河口も、催馬楽という古代歌謡なのですが、河口は

河口の 関の荒垣や 関の荒垣や まもれども はれ

 まもれども 出でて我寝ぬや 出でて我寝ぬや 関の荒垣

河口の関を護る荒垣よ、関の荒垣よ、娘を守っていても、ほら、守っていても、私は抜け出して寝てしまったよ 抜け出して寝てしまったよ 関の荒垣よ

 という歌で、要するに、娘を男から固く守っていても、娘は自分から抜け出して男と寝てしまったということです。

意味するところは露骨ですね。

「あなたの弟は、私があなたを盗み出そうとしたら失敗した…なんて当てつけがましい歌を謳っていたけれど、聞きましたか?ひどい人ですね。本当は、あなたの方から積極的に私と寝てくれたんだ、と答えたかったなあ」

それに対して雲居の雁は、そこは全く否定せず「あの時、いったいどなたが私たちの浮名を漏らして世間に流したんですの。ひどいわ」と返答しています。



要するに、紫式部は、二人が結婚する時にその頃のことを蒸し返してまで、

雲居の雁が、最初から完全に合意の上で夕霧に許した


という「高貴な姫君には珍しい恋愛のはじまり方」だった事を念押ししているわけなのです。

これが珍しいシチュエーションだ、というのは、夕霧と雲居の雁のエピソードを読んでいるだけでは気が付きづらい。それぐらい、二人の恋愛に至る状況整備はさりげなく行われ、ごく自然な成り行きとして描かれています。

そして、ですね、紫式部が、ここまで微に入り細に入り設定を積み重ねてまで、雲居の雁の合意から始まる恋愛を描き出したということは、源氏物語の構成上、非常に意味深いことなのではないかと私は思うのです。

だから「裏ヒロイン?」とか題につけたんですが。


王族の高貴な血筋を引いていること。

祖母に育てられたこと。

男女のことをそんなによく分かっていない無邪気なうちに、男と関係を持つに至ったこと。


雲居の雁と紫の上には、ちょこちょこ共通している要素があります。
そして何よりも一番の共通点。

それは、

夫の愛を確信して安心して長年過ごした後に、突然夫が皇女と結婚してしまう

という危機に見舞われるということ。

 

紫式部は、正統派ヒロインの紫の上に対し、高貴な姫君でありながらかなりコミカルに描かれもしている雲居の雁を、対比する意味で配置していたのではないかな、と思います。
そこらへんの話は、長くなったのでまた今度……

物語の姫君との恋愛は「同意のない性行為」で始まらざるを得ないのか

…あんまりなタイトルですけど、でも気になりませんか。王朝物語において、姫君との恋愛の始まりって、たいてい「ゴーカン」じゃありませんか、って。

もちろん、最初は和歌のやり取りで始まり、訪問するうち、簀子→廂の間→御簾の内とか、徐々に近づいていって、関係成立後は3日通って三日夜の餅…とかそういう通常の手順のことを言いたいのではなく。
男女の恋愛を「物語」として描き出す時、ドラマティックで「普通じゃない恋愛」にするためか、どうしてもこう…男君が女君を見初めて、忍び込んだり何だり、ともかく相手の同意なく関係を持つところから恋愛が始まる~みたいな話、多くありません?

 

光源氏と若紫だって何かと無理やりだしー。


そもそも源氏の恋人で「姫君」といっていいような身分の女性の中で、関係を持つ時に最初から同意があった相手ってどれぐらいいるのかな~。


通常の手順を踏んで結婚した大殿の上(葵の上)はまあともかくとして…といっても、本人はわりあい不本意だったっぽいけど。


六条御息所だって、「夕顔」巻に

とけがたかりし御気色をおもむけ聞こえたまひて後

ってあるので、御息所の気が進まないのを、源氏が無理に従わせたようだし。どうせ女房口説いて忍び込んで強引にヤっちゃったんでしょ。

 


朧月夜尚侍は…うーん、かろうじて同意あったみたいなもんかな。
朧月夜が人を呼ぼうとしたところを

まろは皆人に許されたれば、召し寄せたりとも、なんでふことかあらむ
私は誰からも許されていますから、人を召し寄せてもどうにもなりませんよ 

 とかのたもうて制止し、結局

女も若うたをやぎて、強き心も知らぬなるべし

女も若くてなよやかで、強く拒む心もなかった 

 みたいに強く拒否もしなかった感じで、まあ「拒否はしなかった」というあたり、積極的な同意とまでは言いづらいかも知れないけれど、若紫や空蝉とかと比べれば、そんな強引に従わせた感じではありません。

この「たをやぎて」というニュアンスって、「物柔らかで」とか「優しい」とか「しとやか」とかそんな感じに訳すんだけど、もともとのニュアンスって、強い力にしたがってしなうとか、そんな感じで。
要は、男に気づよく抗うことなく、優しくなびきやすいような性格っていうんですかね。ここは、朧月夜が若くてまだ深い分別もなく、なびきやすい性格だったとか、そんな感じですかね。

 

花散里との馴れ初めは分かりません。ただし、彼女との馴れ初めは、彼女の姉が麗景殿の女御だったところから、彼女が宮中に遊びに来ていた折のことだったようです。


女三宮と源氏は…あれはそもそも恋愛じゃない
柏木と女三宮は、いうまでもなく無理やりですね。

藤壺とは、最初の逢瀬がどんなだったかは物語に描かれていませんが、その後の逢瀬で藤壺の方から源氏を引っ張り込んでいる様子は一切ないので、大なり小なり忍び込んで無理やりだったんでしょう。

朝顔斎院とは、女房に手引を頼めば無理に関係を持つこともできたのだと思いますが、源氏は引き下がってそこまではしていない。

 

こう考えても、やっぱり基本「無理やり」が多いですね。

姫君といえるような高い身分の女性は、家の奥深くにいるものなので、素晴らしい姫君と描けば描くほど、男に姿を見せたりしないものですし、姫君との恋愛を始めるとなるとどうしても「忍び込んで無理やり」(若紫に至っては、誘拐して育てた挙げ句無理やり…)というパターンじゃないと、関係を進めようがないわけですよね。

夜半の目覚めでも、落窪物語でも、姫君との馴れ初めは最初は「忍び込んで無理やり」。

 

ただ、なかなか恋愛のきっかけを作りにくい姫君相手に関係を進ませるための舞台装置として、例外として「宮中での出会い」というのがあります。

源氏と朧月夜でも、花散里ともそうですが、たとえばとりかへばや物語にて、右大将の妹姫に想いをかけていた宰相の中将が、妹姫が宮中に出仕して尚侍になることが決まった時、

なかなかきびしき窓のうちに籠りたまへりしほどこそ思ひ及ぶ方なかりしか、なかなかかかる方にたち出でたまへるはいとうれしくて

かえって人目も厳しい深窓(親の屋敷)に籠もっていらっしゃるうちは、思いを届ける方法もなかったけれど、かえってこうして宮中に出ていらっしゃったのは大変嬉しくて

と喜んでいる描写もあり、やはり親の屋敷の奥にいるよりも、宮中の方が何かと近づきやすかったらしいです。

女の側からも、屋敷の奥にいるよりも、男たちの様子を見る機会が多いですしね。

 

つまり、

・宮中で出会って恋愛する

・男が姫君をかいま見て片思い→忍び込んで関係持ってしまう

この王道パターンのどちらかでないと、王朝物語における自由恋愛の話は進めづらかったってことですね。

 やはり高貴な姫君があまり積極的では品がないみたいな扱いにはなりますし…。ヒロインを美しく高貴で素晴らしい女性に書こうとしたら、どうしてもそうならざるを得ない、みたいな。

「とりかへばや」「有明の別れ」の男装の女主人公すら、男と関係を持つ馴れ初めは「無理強い」だしなあ。

物語の姫君は、無理強いで始まる恋愛しかできないんじゃないかって観もあります。

 

…しかし。

しかし、ですよ。

 

源氏物語には、高貴な姫君なのに、そういう出会いのパターンから外れた、お互いの同意があるところから始まる恋愛も描かれています。
さすが紫式部…という感じで、「高貴な姫君」でも、そういう恋愛で姫君の価値を落とさないよう、構想の段階からがっつり仕組まれているのです。

…という話をこの次に。

 

元朝秘史がとてつもなく腐女子的萌えコンテンツな話

元朝秘史というのはアレです、チンギス・カンの一代記で、井上靖の「蒼き狼」とかの元ネタの一つになってる古典です。
訳本がいくつかあるんですが、お勧めは岩波文庫元朝秘史」上下・小澤重男さん訳のもの。

他、東洋文庫「モンゴル秘史」(村上正二さん訳注)とかもあるんですが、訳文が詩的という意味では小澤さんのが好きだな~

訳自体が軽く古文ぽい文体の部分も多いので、古文が苦手だと取っつきづらいかも知れないんですが。


そもそも何で「元朝秘史」を読んだかというと…多分、シュトヘルを読んだからだったかな。
蒼き狼とかは子供の頃に読んだことあったんですが、元朝秘史を読んだのは初めてだった。

それで読んでみたらば、チンギス・カン~テムジンの幼馴染でジャムカという人物が出てきましてね、このひとは「蒼き狼」だとちっとも魅力を感じない人物になっちゃってるんですが、これがまあ元朝秘史」書いた人は腐女子だったんですかと言いたくなるぐらいの萌え系キャラで……

いや絶対そうですよ。書いた人の性別がどうだろうと、魂は腐女子だったに違いない。

 

井上靖腐女子の魂を持ってなかったんだな……(しみじみ)

 

ジャムカっていう人は、そもそもなんかしらんけどテムジンととても仲が良くて、仲が良いあまりに同衾しているという記載もあるんですが、一体これ何なんでしょうね同衾て。なんでそんな描写が唐突に出てくるのか不思議で仕方ありません。そういう習慣があったんでしょうか。(そういう習慣っていうか…まあどこまでイメージするかは妄想力によるのかも知れませんが)


二人は仲良しなんだけど、なんか仲違いして(仲違いするきっかけになった部分が、元朝秘史の中でも難読…というか解釈しづらい部分で、どういう意味なのかいろんな説があるようです)、敵同士で戦うようになった。

 

でも、敵に回っているのにジャムカさん、テムジンのことはいつも「盟友(アンダ)」と呼び、なんかこう…憎からず思ってる風の振る舞いを常にしていて、最後の場面も、なんつーかこう…

 

以下完全ネタバレになりますが(今更…)、今てもとにある岩波文庫元朝秘史」と東洋文庫「モンゴル秘史」を参考に、適当に場面をまとめてみます。

 

 

 

 

テムジンに戦で負け続け、少数の部下と山賊みたいなことをして流離うようになったジャムカは、最後は部下に裏切られてテムジンのところに突き出されてしまいます。しかしテムジンは、ジャムカを裏切った部下たちを、ジャムカの目の前で殺させます。(この時点で萌えゲージ上昇)

そしてテムジンは、ジャムカの命を助けようとして「共に生きよう」と熱く口説きます。

 

今や我ら二人はまた一緒になったのだ。遼友(ノコル/友)となろう
我々は一対のうち片方の車の轅(ながえ)になって過ごしていたのに、一人ぼっちに離れていたいとそなたは思ったのか

忘れてしまったことを共に想い出し、睡ってしまった想い出を共に蘇らせて過ごそうではないか

離れていた時でも、そなたは幸いも福もある私の友だった

まことに我々が死に向き合った日々にも、そなたは心を痛めていたではないか

別々に離れて行っても、我々が殺し合うとなると、そなたは胸を痛めていたではないか

 

といったことをテムジンはジャムカに韻文で呼びかけ、切々と訴えます。(萌えゲージ振り切れそう)なんかここ、直接話しているわけじゃなくて人づてなんですけどね。

それに対してジャムカは、

 

昔幼かった頃、我々は消化(こな)れない食べ物を喰い合って盟友の誓いをなし、忘れ得ぬ言葉を言い交わして同じ掛け布を分け合って共に寝た。
それなのに、よこしまな者たちにそそのかされ、傍の者たちに突き動かされて、私は盟友たるあなたから離れてしまった

本心からの言葉、忘れ得ぬ言葉を語り合い誓い合ったのに、それに背いた私はあなたに責められることをおそれ、親しいあなたを避け、寛容な心を持つあなたの真実の顔を見ることができなくなってしまった。

今、我が汗(カン/王)たる盟友(アンダ)は、私を赦して僚友(とも)になろうと言うが、私はあなたの僚友(とも)たるべき時に僚友(とも)であろうとしなかった。

今、あなたが民を従え、外国を併せ、汗の位を天が示され、天下が治まった時になってあなたの僚友となったとて、あなたに何の助けになるというのか。

むしろ私は、盟友の黒き夜の夢に現れ、明るき昼の心を悩ますことになるだろう。

私はあなたの襟の虱、裾の棘となるであろう。

 

そういってテムジンの「友となろう」という申し出を拒否し、更に、「自分を早くあの世に逝かせてくれれば、あなたの心も休まるだろう」といって、血を流さずに殺してくれるよう頼みます。(もう萌えゲージ限界達しています。もだえ死ぬ。ここでも同衾とか言ってるよ何なんだよ)

その上、ジャムカは

 

死んで横たわったら、我が遺骨は高き地にて、永遠にあなたの子々孫々に至るまで加護しよう


などと言い、最後には

私が語った言葉を忘れず、朝な夕なに想い出して語り合ってくれ

さあ、早く私を殺せ

 

とテムジンに言ってやります。(もう萌えゲージ限界突破して鼻血吹いた)

そうだね、自分のことを忘れて欲しくないんだねジャムカたん。

 

そうしてジャムカに助命を拒否され、テムジンは仕方なく、彼の言葉通りにジャムカを処刑し、葬ってやったという…

 

いや「集史」(元朝秘史より、もうちっと歴史書として信憑性の高い史料)でジャムカが処刑される場面はこんな萌え系じゃないし、この場面はどうも創作っぽいんですけどね。

 

いいじゃん創作でも。

元朝秘史の作者は腐女子だったんだよ。

 

 

 

そういうわけで、どなたか絵師の方、ぜひ薄い本つくって下さいお願いします。