ふること

多分、古典文学について語ります

長皇子→弟皇子への恋歌を見かけて驚いた話

ブックオフでぶらぶらしていて、たまたま「万葉集 対訳古典シリーズ 桜井満訳注/旺文社」の上巻が100円で置いてあったので、「そういえば文庫本の万葉集はもってないなあ」と思って手にとってパラパラとめくったら目についた歌が

 

  長皇子、皇弟(いろと)に与ふる御歌一首

丹生(にふ)の川瀬は渡らずてゆくゆくと恋(こひ)(いた)き我が背いで通ひ来ね(万2-130)

 

丹生の川の瀬は渡らないで、胸が痛むほど恋しい我が弟よ、どんどんとまっすぐこちらに通って来なさい

 

………弟?

 

唐突すぎるように感じて、ちと目を疑いました。

なぜ弟。どう見ても恋歌なんですが。「相聞」歌の中に入ってるし。

 

注に「作歌事情不明」と書いてありました。詞書にも「皇弟へ与ふる御歌」としか書いてないもんね。

 

wikiってみたり検索してみたり軽くウェブで調べてみましたが、弟というのは同母弟の弓削皇子のことだろう、とありました。

同母弟…というとますます不思議な気も……

 

弓削皇子というと、紀皇女への恋歌がいくつか万葉集に載っていて、20代ぐらいの若さで兄の長皇子に先立って亡くなった人です。


シチュエーションについてなんにも説明がないのでどうとも解釈しようがないんですが、逆に特に「こういう事情で」という説明がないからこそ、弟を想う歌でも相聞歌のうちにポンと入れるのが普通だったりするのかなあ…と思い、相聞歌をぱらぱらと見てみたら。

 

たとえば巻四の相聞歌の中に、こんなのありました。

 

大伴の田村(たむらの)家の大嬢(おほいらつめ)、妹坂上大嬢(さかのうへのおほいらつめ)に贈る歌四首


外にゐて恋ふるは苦し 我妹子を継ぎて相見む事(こと)(はか)りせよ(万4-756)

遠くあらばわびてもあらむを 里近くありと聞きつつ見ぬがすべなさ(万4-757)

白雲のたなびく山の高々(たかだか)に 我が思ふ妹を見むよしもがも(巻4-758)

いかならむ時にか妹を 葎(むぐら)(ふ)のきたなき宿に入りいませなむ(巻4-759)

外にいて恋しく思っているのは苦しいことです。あなたにいつも会えるような手立てを考えて下さい。

遠くにいるならば、ただ切なく思っていましょうが、里近くにあなたがいると聞きながら逢えないのは辛いことです。

白雲がたなびく山のように高々と私が恋しく思っているあなたに逢う方法があれば良いのに

どのような時になれば、あなたをこの雑草の生い茂る汚い家に迎え入れられるでしょうか。

 

これらも恋歌にしか見えない感じですが、こちらには説明がついていました。田村大嬢と坂上大嬢は姉妹なのだけれど、母が違っていて住んでいる場所が違ったので、「姉妹諮問(とぶら)ひに、歌を以ちて贈答す」だそうで…。


なるほど、こうして見ると、兄弟愛だろうが姉妹愛だろうが男女の愛だろうが何だろうが、どういう間柄の愛であろうと相思う歌は「相聞歌」であって、恋だの愛だの区別しない感じですかね。

愛に区別なんぞいらない。さすが万葉集、おおらかな感じでいいですね。