ふること

多分、古典文学について語ります

帝の不思議な覗き趣味@うつほ物語

しばらく宇津保物語の話が続いています。

 

読んでてちょっと目が点になったのが、朱雀帝とか朱雀院と呼ばれるみかどの変な妄想癖。

覗き趣味的妄想癖 とでも言いましょうか。

「内侍のかみ」という巻は朱雀帝(在位中)を中心に話が進むのですが、まずはのっけから、朱雀帝が大変に寵愛している仁寿殿女御と藤原兼雅の仲を疑って、帝が女御にあれこれ言う話から始まります。

色好みとして知られる藤原兼雅がかつて仁寿殿女御に想いをかけていて、二人の間には手紙の贈答があった…ということを帝は知っているらしく。女御は文の贈答についてあれこれと言い訳をしています。実際に、この二人の間には文の贈答以上のことがあった風ではありません。

帝は、藤原兼雅や帝の弟の兵部卿宮の名前を挙げ、この二人とならあなたが多少の恋愛沙汰があっても無理もない、みたいなことも言っています。


ここらへん、どうも単純な嫉妬や疑いであれこれ言っているわけでもなさそうで、寵愛する女御に対して、からかいや戯れとして言っているのかどうか…という雰囲気です。

 

そのうち話は相撲の節会の場面になります。
そして、帝は仁寿殿女御と藤原兼雅の姿を見て、二人ともが大変に優れた容姿をしているので、こんなことをつらつらと考えます。

 

上思す、この女御と大将と、さてあらむに、なかるまじき仲にこそありけれ。これを同じ所に、労あらむ所に据ゑて、情けあらむ草木、花盛りにも紅葉盛りにもあれ、見どころあらむ所の夕暮れなどありて、行く先をいひ契り、深き心いひ契らせ、かたみにあはれならむことを、心とどめてうちいはせ、をかしきこと語らはせむにけしうはあらじ。なほ聞き見む人、目とどめ耳とどめ見ざらむやは。見えじ。さてあらせて聞かばや、など思しつつまぼりおはしますに、

帝(朱雀院)がお思いになるには、「この仁寿殿女御と大将(藤原兼雅)とは、そのようであってもないわけがない仲(恋人同士だったとしてももっともな仲)であるなあ。この二人を、同じところで洗練された場所にいさせて、風情のある草木を植え、春の花の盛りにでも、秋の紅葉の盛りにでもいいが、見ばえのする場所で、夕暮れどきなどに、将来を誓いあい、深い愛情を約束し合い、お互いに情趣のあることを心を込めて言わせ、興趣あることを語り合わせたら、悪くはないだろう。さらにそれを聞いたり見たりした人は、目をとめ、耳をそばだててみないわけもないだろう。そのような深い関係にさせて様子を聞いてみたいものだ。などとお思いになりながら見守っていらっしゃったところ、

 

要するにね、この二人美男美女だな~、景色が素晴らしいところで、しっとりと愛を語り合わせたりしたらさぞかし見ばえがするだろうな~、そんな様子を見てみたいものだ。

とか妄想しているわけなんですよ。


いやアンタの妻でしょ。子どももいっぱい産ませてるでしょ。

自分の妻が他の男と愛を語り合い、契りを交わす場面を妄想してうっとりねっとりたぎっちゃってどうするねんアンタ。


つづく描写。

賄(まかな)ひうちしなどしたまふにも、いとらうらうじう、まことに大将の相撲(すまひ)のことなど行ひたまふにも、いと心深き労の見ゆれば、あやしく似たる人の心ざまにもあるかな、と御覧じて、御前にいと面白き女郎花(をみなへし)の花のあるにつけて、外(と)にさし出だしたまふ。
   薄く濃く色づく野辺の女郎花植ゑてや見まし露の心を
これが心見解きたまふ人ありや」とてうち出だしたまへば…

女御が陪膳役をなさっている様子も、たいそう行き届いたさまで、また大将が相撲の行事についてあれこれ務めなさる様子も、たいそう心深くたくみに仕切っている様子が見えるので、「二人とも不思議と似たような気だてだな」と帝は御覧になって、御前の庭にたいそう風情のある女郎花の花が咲いていたのに歌をつけて、御簾の外にお出しになる。

  薄く濃く色づく野辺の女郎花を庭に植えて、
  花の上に置く露の心を見てみたいものだ
  (女郎花=女御を庭に植えて、花に想いを寄せる大将の心を
  見てみたいものだ)

この歌の意味をお解きになる人がいるだろうか」とおっしゃってお出しになったところ…

 

帝、脳内妄想だけでは飽き足りません。
なんか知らんが「女御を大将に与えてみたらどうなるか、大将の心を見てみたいものだ」と自分の妄想を歌に詠みこみ、しかもその歌の心を読み解く人がいるだろうか、と臣下たちになぞかけをするのです。

むしろ読み解いちゃったらまずいんじゃないですかね。

この歌は、兵部卿宮、右大将(兼雅)、左大将(源正頼、仁寿殿女御の父)、仲忠(兼雅の息子)に回されて、それぞれが返歌をするのですが、その中で、仲忠は帝の歌をきっちり読み解いてうまいこと返歌をしたもので、帝は大笑いします(しかしさすがに、この歌はこういう意味だったなどと公衆の前で謎解きはできないため、笑うのみ)。

しかし仲忠、なんで帝の妄想を見抜くんだ。

 

さてはて、こんな戯れをした後も、帝の妄想は尽きることがありません

 

相撲の行事が進む中、賄い役が仁寿殿女御から承香殿女御に変わったのですが、この承香殿女御は兵部卿宮との間にはとかくの噂があったりしました。

それでさっそく帝、今度は承香殿女御と兵部卿宮について妄想に耽ります

帝、この君を御名立たまふ兵部卿の宮に御覧じ比べて、
「げにはただえ見過ごしてあるまじき人の仲にこそはありけれ。男も女も、かたみに見交はしてば、げにげに、身はいたづらになるとも、われにてもただにてはえあらじかし。
見るに男も女も、深き労ありけりとも、いとど覚ゆるかな。かかる仲の、さすがに色に出でてはえあらず、思ひつつむことありて、その中になでふことをいひ尽くすらむ。この中には、世の中にありとあることの、少し見どころ聞きどころあるは、いひ尽くすらむかし。かれを聞き見るものにもがな」
とこれかれを比べつつおはしまして、「いかでこれに、いささかなることいはせてもみせてしがな」と思す。

帝は、この承香殿女御を、噂がお立ちになった相手の兵部卿宮と見比べてごらんになって、
「本当に、ただ見過ごしにはできないような人の仲であることだ。男も女も、たがいに情を交わしていたら、まったくのところ私自身で考えたとしても、自分の身が滅んでしまうとしても何もせずにそのままではいられないだろう。

見るにつけても、男も女も、ものごとに深く通じた心映えであるように思える。こういう仲が、さすがに表に気配を出すことはできず、人に知られないように気持ちを隠していながら、二人の間ではどんなにか色々と言葉を尽くしていることだろう。この二人の間では、世の中にありとあらゆることの中で、少しでも見どころや聞きどころがあるようなことは、すべて言い尽くしてしまっているだろう。そうして言いかわす様子を聞いたり見たりしたいものだ」
と、こちらとあちら(承香殿女御と兵部卿宮)を見比べていらっしゃって、どうにかしてこの二人に少しでも会話させてみたいものだ、とお思いになる。

 

仁寿殿女御と藤原兼雅のことは噂になったわけではなく、手紙のやりとりがあったこともあまり人が知らないことだったようです。
しかし承香殿女御と兵部卿宮は噂が立ったことがあり、それだけに帝の妄想もエスカレートしています。

 

兵部卿宮は良い男だし、承香殿女御も美しい女だし。禁断の恋であっても、何もせずにはいられないに決まってる。
表には出さないけど、この二人、どんなにか色々愛の言葉を言い尽くし合ってるだろう。
どうにかして二人の会話を聞いてみたいものだ。

 

…と、なんか帝、嬉しそうです。

自分の妻と他の男の密通場面を想像して嬉しくて仕方ない帝。

 

どういう趣味やねん。

どういう妄想やねん。

 

何でもいいから美しい男女が言い交しているところを覗き見たくて仕方ないんですかね?

 

しかも帝、このあと、実際に承香殿女御と兵部卿宮に会話させてみたくてあれこれやって、二人の仲を話題にした歌を詠み、盃を回しながらみんなして二人の仲のことを歌に詠んでいくという…
戯れなんでしょ~けど、承香殿女御にとっちゃ、いささか迷惑だったんじゃないですかねえ。

 

こういうのって、実際に実行しちゃうと、鎌倉期の「とはずがたり」の世界になっちゃうんでしょうね。