ふること

多分、古典文学について語ります

嫉妬のかたち2-3~六条御息所・怨霊編

 さて、源氏物語の話。
六条御息所が死霊となった後、彼女が何にこだわって祟ったのか…ということを考えてみようと思います。

 

六条さん怨霊版が出てくるのは、若菜下巻。

六条院(源氏)の妻たちと娘の明石女御とで催した女楽が終わった後、源氏が女三宮のもとで夜を過ごしているうちに紫の上が発病し、二条院に転地してそこで源氏が紫の上の看病にかまけている間に、六条院では衛門督(柏木。中納言兼任)が女三宮の元に忍び入り、思い余って契りを結んでいました。
翌朝、女三宮は驚きや衝撃、罪の意識で具合が悪くなり、そのことを聞いた源氏が「紫の上のみならず、女三宮まで病気とは」と驚いて六条院に来て、すぐ帰るわけにもいかず夜を過ごしていたら、紫の上が息を引き取った、という知らせが来ます。
狼狽して二条院に戻った源氏は、帰ろうとしていた僧たちを引き留め、すぐれた僧たちを集めて蘇生を願って祈祷させると、それまで現れなかった物の怪が小さい童女に移って騒ぎ始め、同時に紫の上は息を吹き返しました。

そして、
童女に移った物の怪が源氏に言った言葉が、以下です。

 

若菜下

「人は皆去りね。院一所の御耳に聞こえむ。おのれを月ごろ調じわびさせたまふが、情けなくつらければ、同じくは思し知らせむと思ひつれど、さすがに命も堪ふまじく、身を砕きて思し惑ふを見たてまつれば、今こそ、かくいみじき身を受けたれ、いにしへの心の残りてこそ、かくまでも参り来たるなれば、ものの心苦しさをえ見過ぐさで、つひに現はれぬること。さらに知られじと思ひつるものを。

「人は皆去れ。院おひとりのお耳に申し上げたい。(といって人払いをさせて、)私を何か月ものあいだ調伏し困らせなさるのが薄情で辛いので、同じことなら院に思い知らせ申し上げたいと思ったが、そうはいってもやはり、命も絶えてしまいそうなほどひどく悲しみ苦しんで惑乱していらっしゃるのを拝見すると、今でこそこのようにあさましい物の怪の身になってしまっていますが、昔の心が残っているからこそ、こうまでしてこちらに来ましたわけですから、お気の毒な様子を見過ごすことができず、ついに姿を現してしまったことです。決してあなたには知られまいと思っていたのに」

物の怪は人払いをさせて、源氏ひとりに訴えます。

本当はあなたに思い知らせてやろうと思ったのだけれど、そもそも昔の愛情が残っているからこそこうしてあなたのそばにまで来たのだから、あなたが悲しんで辛そうな姿を見過ごせず、ついこうして姿を現してしまった。

そう言って物の怪が髪を顔にかけて泣いている様子は、源氏が葵上が亡くなった際に見た物の怪の気配と同じだった。
源氏は、「本当にあなたか」と問い詰め、「はっきり名乗れ。でなければ、人が知らないようなことで、自分にはそれと思い出せるようなことを言え」と物の怪を問いただします。
すると物の怪はぽろぽろと泣いて

「 わが身こそあらぬさまなれそれながら
   そらおぼれする君は君なり
   いとつらし、いとつらし」
と泣き叫ぶものから、さすがにもの恥ぢしたるけはひ、変らず、なかなかいと疎ましく、心憂ければ、もの言はせじと思す。

私の身こそ、かつてとは違う身になってしまいましたが、素知らぬふりをするあなたはあなたで、昔のままですね。ああ辛い、とても辛い」と泣き叫ぶものの、さすがに恥ずかしげな様子であるのが昔と変わらず、かえってひどくうとましく、情けないので、この物の怪にそれ以上ものを言わせまい、と源氏はお思いになった。

物の怪が恥じらいを見せるようすがうとましい。ここはなかなか秀逸な描写ですね。

小さな女童が、「辛い」と泣き叫びながら、成熟した女性の所作で恥じらいを見せるんです。見た目、なかなか不気味な絵が出来上がりそうです。

その恥じらいの所作を見て、確かに物の怪は六条御息所だ、と思い、源氏は不快で「それ以上物を言わせまい」と思います。

まあそうだよね。源氏にとって愉快なことを言うはずもありませんから。

しかし、六条御息所の死霊は、そのあとも長々と言葉を続けます。

中宮の御事にても、いとうれしくかたじけなしとなむ、天翔りても見たてまつれど、道異になりぬれば、子の上までも深くおぼえぬにやあらむ、なほ、 みづからつらしと思ひきこえし心の執なむ、止まるものなりける。

中宮の事は、たいそう嬉しくもありがたいことだと、天を翔けながら拝見しておりましたが、あの世の人になると我が子のことは深くも思えなくなるものなのでしょうか、やはり、自ら恨めしくお思い申し上げた心の執着ばかりがとどまるものなようです。

源氏は、六条御息所への罪滅ぼしもあり、彼女の遺言のこともあり、娘の斎宮を世話して冷泉帝に入内させ、中宮の位にまで就かせたわけです。
しかしその恩については「ありがたい」とは思っていても、死霊となっては子への愛情よりも恨みの方がしつこく残るものなようです、と物の怪は語ります。

 

その中にも、生きての世に、人より落として思し捨てしよりも、 思ふどちの御物語のついでに、心善からず憎かりしありさまをのたまひ出でたりしなむ、いと恨めしく。今はただ亡きに思し許して、異人の言ひ落としめむをだに、はぶき隠したまへとこそ思へ、とうち思ひしばかりに、かくいみじき身のけはひなれば、 かく所狭きなり。

そのとどまっている妄執の中でも、生きていた時に私を人より落としめて思い捨てなさっていたことよりも、思い合う同士で語り合うついでに、私のことを、性根が悪く、憎らしい様子だったとお話しなさったことこそが、ひどく恨めしいのです。
今となっては、死んでしまったことでお許しになって、他人が悪く言い貶めたとしても、悪いところをはぶいて隠していただきたいと思いますのに(まして自ら悪くお言いになるなんて)、とふと思ったばかりに、このようにひどくあさましい物の怪の様子になっておりますから、こうして大げさなことになってしまっているのです。

愛執・恨みが残っている…と言っても、生前に愛情が薄かったこと、他の女より下に思っていたことよりも、紫の上に源氏が彼女のことを悪く語ったことが許せなかった。死んだ身なのだから、欠点は庇って隠してくれてもよさそうなものなのに、と思ったために、このように大きく祟ることになったのだ…と物の怪は語ります。

 

この人を、深く憎しと思ひきこゆることはなけれど、守り強く、いと御あたり遠き心地して、え近づき参らず、御声をだにほのかになむ聞きはべる。

この人(紫の上)を、深く憎いとお思い申し上げることはないのですが、(あなたの)守りが強く、たいそうおそばが遠い気持ちがして、近づき申し上げることができず、お声をかすかに聞くだけなのです。

 

六条御息所の死霊は、紫の上のことを憎いと思ってはいない、と断言します。ただ、源氏自身は守りが強くて近づけず、声がかすかに聞こえるだけなので、この人の方に取り憑いたのだ、と語ります。

 

よし、今は、この罪軽むばかりのわざをせさせたまへ。修法、読経とののしることも、身には苦しくわびしき炎とのみまつはれて、さらに尊きことも聞こえねば、いと悲しくなむ。中宮にも、このよしを伝へ聞こえたまへ。ゆめ御宮仕へのほどに、人ときしろひ嫉む心つかひたまふな。斎宮におはしまししころほひの御罪軽むべからむ功徳のことを、かならずせさせたまへ。いと悔しきことになむありける」

よろしい、今はもう、この罪が軽くなるようなことをなさって下さい。修法、読経と騒いでいることも、私の身には苦しく辛い炎のようにまつわりつくだけで、尊いみ仏のことも全く聞こえてこないので、とても悲しいのです。
中宮にも、このことをお伝え申し上げなさって下さい。宮仕えをなさる時に、決して人と競ってねたむ心を持ってはなりません。斎宮でいらっしゃった頃に仏道から離れていらっしゃった罪を軽くするような功徳のあることを、必ずなさいますように。たいそう残念なことでございますよ

 

取り憑いたわけを語ったあと、死霊は「罪が軽くなるように弔って下さい」と願い、さらに娘の中宮に「宮仕えのときに、人と競ったり妬んだりしてはいけない」と伝言します。

さらにこの後、紫の上の病が小康を得た後、不義の子、のちの薫大将を産んだ女三宮が、産後の体調不良を理由に、源氏が引き留めるのも聞かず出家してしまった後、六条御息所の死霊がまた現れて、このようなことを言います。

 

後夜の御加持に御もののけ出で来て、「かうぞあるよ。いとかしこう取り返しつと、一人をば思したりしがいとねたかりしかば、このわたりにさりげなくてなむ、日ごろさぶらひつる。今は帰りなむ」とて、うち笑ふ。

夜半から朝までの加持祈祷で物の怪が出てきて、「どう、こんなことになったではないか。うまく取り返した、と一人のことをお思いになっているのが悔しかったから、気づかれないようにしてずっとこのあたりにいたのです。今はもう帰ろう」と言って、笑い声を上げた。

 

ここのところ、なかなか仕掛けが深い。

紫の上に取り憑いた時は、光源氏が嘆き惑う様を見過ごせなくて、最後まで取り殺さずにやめた死霊が、女三宮に取り憑いた時は、出家してしまうまでしおおせたわけです。
その時も光源氏は泣いて出家を引き留めようとはしていました。

【ポイント】

  • 六条御息所の死霊は、光源氏が本気で心底嘆き悲しんでいたら、昔の愛情がよみがえってやりおおせなかった→源氏の女三宮への愛情がそこまで本気でなく、紫の上が死んだと思った時ほどではなかった。
  • 紫の上が死にかけた時には出家を押しとどめたけれど、女三宮の出家は押しとどめ切れていない。朱雀院の強引さもあるが、出家願望が物の怪の仕業だとしたら、やはり源氏が本気で悲しんで止めていたら物の怪はしおおせなかったはず。
  • そして結局、死霊は女三宮を出家させたことで気が済んだらしく「今は帰ろう」と言って去っていっている。

まずは前提として、光源氏から女三宮への愛情が、紫の上に対するものほど本物ではないということを、六条御息所の死霊は見抜いているのではないか、という点があります。
それでいて、女三宮を出家させたことで、満足してしまっている。

そもそもなぜ六条御息所の死霊は女三宮に取り憑いたのか。
結局、彼女は何をどうしたくて、何をしおおせて快哉を叫んだのか?

 

現れた時からの言動を振り返ると、そもそも彼女、紫の上のことは恨んでいないと断言しているわけです。
紫の上は源氏最愛の人。その死を嘆き悲しむのが見過ごせなくて六条御息所の死霊が殺すのをやめてしまったというほどに。
また六条御息所は、「生前、源氏が自分への愛情が他の女より下だったことよりも…」と、そのこと自体はさほど妄執として残っているわけではなさそうなことを語ってもいます。


ここからして、そもそも六条御息所は、源氏への愛情ゆえに死霊になって祟っているわけではない、ということがはっきりします。

むしろ、源氏への愛情は、彼女が紫の上に祟るのをやめる動機になっているぐらいです。

六条御息所が祟るのは、愛情ゆえではない

では、何ゆえか。

そのことも、御息所ははっきり語っています。

死んだあとまで、自分のことを源氏に悪く言われたから

ここで彼女が源氏と別れる時の最後の心理描写を再引用してみます。

旅の御装束よりはじめ、人びとのまで、何くれの御調度など、いかめしうめづらしきさまにて、とぶらひきこえたまへど、何とも思されず。あはあはしう心うき名をのみ流して、あさましき身のありさまを、今はじめたらむやうに、ほど近くなるままに、起き臥し嘆きたまふ。
源氏は、御息所の旅の御装束を始め、お仕えする人々のものに至るまで、調度類なども、何かと立派に珍しいものを揃えて餞別としてお贈りなさったが、御息所はそういった贈り物にも何ともお思いにならなかった。
ただ、軽々しく嫌な艶聞を世に広めてしまった、嘆かわしい我が身の有様を、今始めたことのように、下向の日が近くなるままに、寝ても覚めても嘆いていらっしゃる。

 源氏が六条御息所を京に引き留めることをあきらめ、心づくしの餞別を贈ってきたことに対しては、もはや何にも、男が諦めたことを残念だとも、餞別を嬉しいとも思わなかった。
ただただ、自分が浮き名を世に流した嘆かわしい有様を、今あらためて嘆いていた。

…要するに、源氏との恋愛沙汰を通して、自分の評判が傷つき、プライド、女の矜持が傷ついたことを、最後に彼女は嘆いていました
その感情は、死霊となった後も変わらなかったわけです。

中宮に「人と競ったり妬んだりするな」と言っていることからは、自分が葵上と競う心があり、葵上を妬んで取り殺してしまったことへの後悔が伺われます。


しかも、六条御息所は、紫の上のことは妬ましいとも思っていなかった。恨んでもいなかった。紫の上は葵の上よりもっと愛されていたのだから、愛の競い合いというところからしたら六条御息所に妬まれたり恨まれたりしそうなものですが。

生前も、葵の上の死後は特に、紫の上は六条御息所にとって最大のライバルであったはず。葵上は紫の上のことを(実際に源氏が紫の上と契りを結ぶ前であったにも関わらず)嫉妬していました。

しかし、六条御息所が生前に紫の上のことをさほど(というか生霊になるほど)気にしていたような描写はなく、また、死後にも決して本人を直接恨んではいなかったのです。

六条御息所は、葵上が、車争いで、自分に恥をかかせてメンツを潰したことをひたすら恨んだ。愛情争いよりも、恥をかいた恨みの方が、実際にはメインだったわけです。


恥をかいた恨みで葵の上を取り殺した。
しかしそのことによって光源氏に見下げられて愛情が冷めてしまったため、余計に世の中で「あれだけの身分でありながら、正妻が死んですら、妻にもしてもらえない女」として、更なる恥をかいてしまった。

成仏できなかった彼女は、源氏が六条院に従順な女たちを収集するのをはるかに見ながら、「源氏が自分のことを悪く言った」ことをきっかけに怨霊化し、源氏に取り憑けなかったばかりに、紫の上に取り憑くのです。
しかし昔の愛情がよみがえってしまって源氏の悲しみにひるんでしまい、取り殺しきれなかったために、女三宮に取り憑いて出家させた。

 

嫉妬というものの本質は何なのか。愛情なのか。
それとも、他人と競い合う心、妬む心なのか。

それはやはり、他人と競い合い、他人を妬む心を持つ中で、誇りや矜持が傷ついてしまったことを恨む心が妄執として残るのだ…という作者の考えを、六条御息所の死霊はあらわしているのかも知れません。

 

ただ、「プライドや矜持が傷ついたことを恨む」というのを現代的な感覚で考えると、それは自意識の問題…というかアイデンティティの問題だったりもするわけで。

愛ではなく、誇りを傷つけられたが故に怨霊化した、と考えると、むしろ六条御息所はカッコイイ気がしてきます

 

そして、誇りが傷ついたが故に怨霊化した六条御息所が、最後に女三宮に取り憑いたのはなぜか、そして女三宮を出家させて満足したかのように「もう帰ろう」と姿を消したのはなぜか…ということを、改めて考えてみたい。

 

源氏の愛情という意味からではないだろう。それは自分をけなして生前の評判を汚し、誇りを傷つけた源氏への復讐であったわけだけれども、なぜ女三宮を出家させることが源氏への復讐になったのか。

通りいっぺんに見れば、源氏にも女三宮への愛情もしくは愛着は、紫の上ほどではなくてもそれなりにあったわけだから、出家させて源氏を悲しませるため…ということになりそうですが。
しかし、最愛の紫の上を奪うことは諦めてしまい、女三宮を出家させたことが、怨霊にとってかうぞあるよ」「今は帰りなむ」といって、恨みが晴れたとばかりに離れていくことができるほど、胸がすくことであったのか?と考えると、なんだか次善の復讐で満足しただけなような感じがして、ちょっと腑に落ちない気もします。

そこのところを、「誇りを傷つけられた恨み」という観点で見直してみたときに、六条御息所の祟りにはもう少し深い意味があるのではないかな…という気もしてくるのです。

 

というあたりでまた続く。