ふること

多分、古典文学について語ります

嫉妬のかたち2-2~六条御息所が源氏と別れ、死ぬまでの心理

今回は、光源氏六条御息所との別れから、その後御息所が亡くなるまでの、六条御息所の心理を追ってみようと思います。

賢木~野の宮での別れ

さて、いよいよ六条御息所が、源氏との仲を諦めて伊勢に下ることにした後。
源氏は「つらき者に思ひ果てたまひなむも、いとほしく、人聞き情けなくや(薄情な男だと私のことを結論づけてしまわれるのもおいたわしいし、人が聞いても冷酷だと思うのではないか)」という理由で、野の宮まで御息所に逢いにでかけます。

源氏くん、アンタちょっと外聞気にしてるね。

御息所は、物越しでなら…と会うことにしますが、源氏は「かうやうの歩きも、今はつきなきほどになりにてはべるを(このようにうろうろしますことも、今はふさわしくない身分になってしまいましたのを)」、つまり大将にまで出世した自分は、もう愛人に会うためにこんなところまで出かけてくるのもふさわしくない重々しい身分になってしまったのに、それでもあえて貴女に逢いに出かけてきたのですから、それを思いやって直接逢って下さい、と頼み込みます。

いやなんかこう…高い身分の人がわざわざ出かけてきたのに物越しに会うだけで帰すのはどうなのか、的な、当時の常識みたいなものがあるのは分かるけど、でも結局は「わざわざ来たんだから直接会ってよ」ってことだよね。
まあそれまで会いに来なかった言い訳も込みっていうのもあるんだろうけどさ。
なんかこう…もうちょっと、あなたに逢いたいんです的な情熱を、もうちょっとカサ増しして込めてやればいいのにって思わないでもない。

しかし女房たちは、源氏に同情して、御息所に「直接会うべき」とやいやい言います。
御息所は、ようやく別れる決心をつけたのに、今更逢うのもどうかと思っていますが…

 

「いさや。ここの人目も見苦しう、かの思さむことも、若々しう、出でゐむが、今さらにつつましきこと」と思すに、いともの憂けれど、情けなうもてなさむにもたけからねば、とかくうち嘆き、やすらひて、ゐざり出でたまへる御けはひ、いと心にくし。

御息所は 「さあ、どうしたものか。こちらの潔斎所の人たちの見る目の手前、体裁が悪いし、源氏の君がお思いになるだろうことにしても、こちらが年甲斐もなく若々しく振る舞って出ていくようなことも、今更気が引ける」とお思いになって、たいそう億劫だけれども、冷たくあしらえるほど気が強くもないので、何かとため息をつき、ためらいながらも、膝行して出ていらっしゃるご様子が、たいそう奥ゆかしかった。


やはり御息所、斎宮の側の人たち(神官とかそういう人たちでしょう、おそらく)が、潔斎のための場所で斎宮の母が愛人と逢っているなんていうのを知ったら体裁が悪いだとか、出ていって直接会うことにしても、それ自体源氏が「年甲斐もなく若々しい振る舞いだ」とか内心では軽々しいと思うのではないかとか、体裁・体面を非常に気にしています
源氏自身が逢いたいと要求しているのに、それに従って出ていったら源氏に年甲斐もない振る舞いだと思われてしまうのではないかと思う…っていうのも、何というか気を回しすぎな観もあり、一方で「確かに源氏ってそういう考え方するヤツだよね、六条さん分かってるね」っていう観もあり…

のちの話ですが、朧月夜尚侍に強引に迫ってよりを戻させておきながら、応じた彼女のことを『ちょっと軽々しい』的に軽蔑してたりしますからね。源氏ってそういうヤツなんですよね、うん。

それでいて、御息所は「情けなうもてなさむにもたけからねば」とあって、あくまで冷淡な態度を通せるほど気が強くもない、と…

このあたりの六条御息所のふるまいを、藤壺宮と比較すると…藤壺宮は、そののち二晩つづけて源氏をきっぱりと拒み通したりもしているので、藤壺宮の方が芯は強かったようです。
藤壺宮が気が強いといっても、弘徽殿大后のように、日頃の振る舞いからして見るからに気が強い、というタイプではないんでしょうけれど、いざとなると曲げない、みたいなところはあったのかと思われます。

しかし、六条御息所は、源氏を拒み通せない。気位高い彼女も、本音では、年下の恋人には何だかんだいって弱いのです。

そうして結局、気が進まないとか言いながらも端にいざり出て源氏 に逢った御息所ですが、源氏は源氏で、「心にまかせて見たてまつりつべく、人も慕ひざまに思したりつる年月は、のどかなりつる御心おごりに、 さしも思されざりき」、つまり長年逢おうとすればいつでも彼女に逢えた日々、自分より女の方がより慕っているように思えた年月には、のんきに構えていてさほど思わなかったけれど、こうしていざ女の方から見切りをつけて別れるとなると、昔の愛情を思い出して未練が出てきて、「伊勢に行かないでくれ」と引き止めます。

…まあ引き止めようとする源氏の心も嘘ではないんでしょうけど、この時点では御息所が斎宮と一緒に下向することは公的な既定事項となっていてひっくり返せなくなっているタイミングなので、どこかしらどんなに引き止めても翻意しないだろうと思って引き止めたところもあったりしませんか、と思います。

御息所が本気で「じゃあ伊勢へ行くのをやめます」ってなったら、それこそ「理由」が必要。源氏が御息所を引き止めたため…となれば、源氏も、御息所との仲を世間に公表せざるを得ません。
この時点で、光源氏が本気で六条御息所を京にとどめて妻にする気があったかっていうと…なかったんじゃない?
世間体を気にし、恋人より年上というコンプレックスに悩む六条御息所のことだから、どんなに引き止めても「じゃあとどまります」とは言えないだろうって、心のどこかで思ってたんじゃない?

と、読者としては勘ぐらずにいられませんが…

それでも惚れた女の弱さなのか、六条御息所も迷います。

 

やうやう、「今は」と、思ひ離れたまへるに、「さればよ」と、なかなか心動きて、思し乱る。
ようやく「今はこれまで」と思い切っていらっしゃったのに、「やはり逢わない方が良いと思っていた通りだ」と、かえって心が動揺して、思い乱れてしまう。

 六条御息所は、源氏の愛情の浅さも、言葉巧みに女をなびかせておきながら、なびいた女を「たやすい女」と軽く見る性癖も、そして逢ってしまうと自分の心が揺れてしまうだろうといことも、すべて知り尽くしているにも関わらず、やっぱり源氏の術中にはまって揺れ動いてしまうのです。
理性で分かっててもどうにもならない、という感じです。

その夜を共に過ごし、暁のうちに未練たっぷりな風情で別れ、翌朝、源氏から後朝の文が来ます。

御文、常よりもこまやかなるは、思しなびくばかりなれど、またうち返し、定めかねたまふべきことならねば、いとかひなし。

お手紙が、いつもより情愛濃やかな内容で、御息所の気持ちも下向をやめようかと変わってしまいそうなほどだったけれども、かといって今になってまた決定を変更できるものでもなく、どうにもならない。


それでもさすがに「じゃあ私、京に残ります」とまでは御息所としては言えなかった。
ここで無理やり決定を覆して京に残って、それでいて以前と同じように源氏に「愛人」扱いされては、大恥どころではないですしね。

 

光源氏も、こまごまと説得するようなことを書きつつ、「このさきの未来」を定められるようなことを言いはしなかったんでしょう。たとえば、自邸に迎えて妻にするので行かないでくれ、とかは。
きっと「見捨てないでくれ」とか、「愛してる」とか、気持ちのことばっかり書いていたに違いない。
源氏クンのことだから。

ここらへん、原文ではこんな風にほのめかされてます。

男は、さしも思さぬことをだに、情けのためには よく言ひ続けたまふべかめれば、まして、おしなべての列には思ひきこえたまはざりし御仲の、かくて背きたまひなむとするを、口惜しうもいとほしうも、思し悩むべし。

源氏の君は、そうもお思いにならないことであっても、恋のためにはうまい言葉を言い連ねなさるような方なので、まして、並一通りの相手と思い申し上げてはいらっしゃらなかった仲で、このように自分に背を向けて行ってしまおうとなさるのを、残念にも気の毒にも思い、悩んでいらっしゃるようです。

ここは、原文で「男は…」と始まっているのを、一般的に「男というものは」と言っているように解釈する向きもあるようですが、「思さぬ」「言ひ続けたまふ」と敬語が使われているということもあり、一般論というよりも、光源氏が恋愛沙汰では口上手なことを当てこすっているという解釈を採りたい。
古典では恋愛場面になると「男は」「女は」という三人称を使ったりするものですし。まあでも「めり」とか推量使っているのもあり、一般論と解釈できないこともない表現を使うところまで、紫式部の技巧と取りたい。

要は、こまやかな手紙に六条御息所は心揺れているけれど、光源氏もちょっと本音と比べると何割増しかで色々つづってるんでしょうね、的なことを仄めかす地の文ということでしょう。

六条御息所を失うことを本気で恐れているわけでもなく、惜しんでいるだけだ…というのは、この賢木の巻で、六条御息所との別れが描かれたあと、藤壺宮との逢瀬について描かれる場面での源氏の錯乱っぷりを見るとよく分かります(そこらへんの態度の違いについては、また日を改めてまとめようと思います)。

その叙述の後、源氏が御息所に餞別を贈ったことが下記のように書かれています。

旅の御装束よりはじめ、人びとのまで、何くれの御調度など、いかめしうめづらしきさまにて、とぶらひきこえたまへど、何とも思されず。あはあはしう心うき名をのみ流して、あさましき身のありさまを、今はじめたらむやうに、ほど近くなるままに、起き臥し嘆きたまふ。
源氏は、御息所の旅の御装束を始め、お仕えする人々のものに至るまで、調度類なども、何かと立派に珍しいものを揃えて餞別としてお贈りなさったが、御息所はそういった贈り物にも何ともお思いにならなかった。
ただ、軽々しく嫌な艶聞(「心憂き」と「浮き名」で「うき」の掛詞。「流す」は「浮く」の縁語)を世に広めてしまった、嘆かわしい我が身の有様を、今始めたことのように、下向の日が近くなるままに、寝ても覚めても嘆いていらっしゃる。

 源氏は色々思い迷ったけれど、結局御息所の伊勢下向を容認し、餞別を贈ったわけです。
非常に立派な贈り物であったけれど、御息所は何とも思わなかった。
ここは、贈り物を「ありがたい」とも思わなかったし、逆に、男が引き止めるのを諦めたことを「辛い」とも思わなかった…という、両方のニュアンスがあるのでしょう。

今更、男が諦めたことを辛く思うほど、男の愛情に期待をかけてなどいなかった。
かといって、別れの贈り物の立派さを嬉しく思えるほど、男から気持ちが離れてもいない。

それゆえに、贈り物自体には何とも思わず、ただひたすら、自分が源氏との仲をずるずる続けてきた結果、大切にしてきた自分自身の評判や体面すら駄目にしてしまったことを「今始めたことのように」嘆き続けます

ここらへんの心理描写は、非常に紫式部の筆が細やかだな、とつくづく思います。

結局のところ、御息所の嘆きは、「あはあはしう心うき名をのみ流して、あさましき身のありさ軽々しく嫌な艶聞を世に広めてしまった、嘆かわしい我が身の有様」に収束していきます。
この「今はじめたらむやうに」嘆いていた、という一言も、ここでは重要なのではないかと思います。

 

御息所はそれまで、光源氏の愛情の浅さ、自分の未練などに悩み続けていました。
そしていざ別れる段になり、男と最後のやりとりを交わした後になって、もはや愛情の浅さや自分の方が思いが深いこと、自分に残っている未練については嘆いていないのです。
「今始めたことのように」というのは、「今更のように」といった意味ですが、この言葉は、それまでの彼女は愛欲の悩みも含めて様々な悩みに囚われていたのが、二人の仲が終わった段階に来て初めて、彼女に残った嘆きが何だったかというと…といったようなニュアンスで使われているように思われます。

結局、彼女に最後に残ったのは、浮名を嘆く心。女としての矜持が傷ついたことへの嘆きでした。
最後まで、彼女の愛情に男が応えることはなかったけれど、もはや男の薄情さを嘆くよりも、六条御息所は、誇り高い貴婦人としての名を自ら汚してしまったことを嘆くのです。
ある意味、ここで六条御息所は、自らの心の中では、源氏への愛情に見切りをつけ、終わらせているのではないかな、と思います。



別れた、その後。

こののち、須磨明石の流離時代に光源氏との手紙のやりとりがあり、その際には、御息所はこまごまと源氏の状況を嘆き、慰める長い手紙を贈ってよこします。

その後に代替わりで斎宮が交代となり、御息所が京に戻った後は、今更「昔だにつれなかりし御心ばへの、なかなかならむ名残は見じ/昔ですら薄情だった御心なのだから、その冷淡な愛情の、中途半端な名残を見たりすまい」(澪標)と、きっぱりと思い切っていて、源氏にもう逢おうとはしません。


そののち、病を得たのをきっかけに出家してしまったため、源氏は驚いて御息所のもとを訪ねます。
もはや出家してしまった身として、御息所は几帳越しに源氏に対面し、娘の元斎宮の後見をして欲しい、と源氏に頼みます。
気楽に後見を請け負った源氏に、御息所は以下のように言います。

 

「いとかたきこと。まことにうち頼むべき親などにて、見ゆづる人だに、女親に離れぬるは、いとあはれなることにこそはべるめれ。まして、思ほし人めかさむにつけても、あぢきなき方やうち交り、人に心も置かれたまはむ。うたてある思ひやりごとなれど、かけてさやうの世づいたる筋に思し寄るな。憂き身をつみはべるにも、女は、思ひの外にてもの思ひを添ふるものになむはべりければ、いかでさる方をもて離れて、見たてまつらむと思うたまふる」

「後見するというのも難しいことですよ。本当に頼りにすべき男親などに後を任せた人であっても、女親に死に別れてしまうのは、たいそう哀れなことになるものでございます。まして、本当の親ではないのですから、情人のようにお扱いになられたりしたら、おもしろからぬことも出てきて、人に憎まれたりもなさるでしょう。嫌な気の回し方ですけれど、決してそのように男女の筋で思い寄ったりはなさいますな。辛い我が身の経験からしましても、女というのは、思いもよらないような悩みを身に重ねるものでございますから、斎宮には、どうにかしてそのような方面から離れていらっしゃって欲しいと思っているのでございます」

 

御息所、「娘には手を出すな」「娘には、男女の仲を思い悩むような経験をさせたくない」ときっぱりはっきり釘を刺します。

そもそも御息所が帰京した時から、光源氏斎宮が大人になって美しく成長したのではないかと気にかけていて、この場面の直後も、几帳の陰から御息所を覗きがてら、結局斎宮の姿に目を留めて観察していたりしますから。

さすが六条御息所光源氏の性癖を隅まで分かり切っている。

とはいえ、自分が死んだ後、娘の元斎宮にはこれといった頼もしい後見人は残っていません。元斎宮を自分の娘と同じように思うと言ってくれた桐壷院ももうこの世にはおらず、後見をしてくれそうなのは光源氏ぐらいしかいない。
なので、娘を愛人にしないで面倒を見てくれと、極めて現実的な遺言を最後に光源氏に残し、そうして六条御息所はあの世へと旅立っていったのでした。