ふること

多分、古典文学について語ります

賢木の巻での「光源氏の女たち総括・青春篇」

「賢木」の巻というのは、六条御息所との野の宮の別れが描かれているという印象も強いですが、実はそれだけでなく、それまでの光源氏の恋愛沙汰が総括へ向かっているような話がこまごま描かれている巻だったりします。

 

「賢木」にて、父桐壺院が病気でなかなか暇がなかったが、時間を作って9月の7日頃に六条御息所に会いに行った、という説明があるのですが、野宮での別れの後、10月に桐壺院の病が重くなり、11月に亡くなります(12月20日が四十九日だったとの記述あり)。
その後、桐壺院崩御により右大臣・弘徽殿大后が完全に権力を握ったことで、政治的にも色々な変転がある仲、光源氏は、いよいよ宮中に出仕して帝の寵姫となった朧月夜尚侍と密会してみたり、朝顔の姫君が斎院になったのを残念に思ってみたり。

昔に変はる御ありさまなどをば、ことに何とも思したらず、かやうのはかなしごとどもを、紛るることなきままに、 こなたかなたと思し悩めり
昔とは変わってしまったご境遇を、特にどうともお思いになるでもなく、このようなちょっとした恋愛問題の数々を、気が紛れることもないまま、あちこちと思い悩んでいらっしゃる。


源氏は、政治的不遇もものかは、朧月夜や朝顔の姫君とのことにかまけているばかり、と。

ある意味ふてぶてしいような様子でもありますが、逆に政治的に不遇な成り行きの気晴らしに、恋愛沙汰に身を入れてるのかも知れませんね。


そうかと思うと、里の三条邸に下がった藤壺のところに源氏が忍び入って、二日間に渡って居座って、源氏に迫られた藤壺が病気になってしまって見舞い客など集まり始め、困った女房たちに塗籠に隠される…というみっともない事件を起こします。

それでも懲りず、逃げる藤壺の髪をつかんで引き止めたり…といったご乱行にまで及んだにも関わらず、結局彼女に拒み通されてすごすご帰ることに。

藤壺に拒まれた源氏はすっかり不貞腐れて雲林院に籠り、朝顔の姫君に手紙を送る。それがちょうど野宮での六条御息所と別れてから一年後、同じ季節だと気がつく…

という話の流れになります。

父桐壺院の生前、いわば父の保護下でぬくぬく青春を謳歌してきた光源氏は、あれこれと恋愛遍歴を繰り返し、色んな女性との間に関係を築いてきたわけですが、ある意味膠着状態でもあった女達との関係が、正妻葵の上の死後、それぞれ一気に動いて行っている観があります。

六条御息所とはとうとう別れる。
朧月夜尚侍とは(彼女との結婚は断ったけれど関係は絶たないという選択をしたために)いよいよ兄との三角関係に。
紫の上とはむしろ落ち着いた夫婦関係になる。
けれど、一方で、源氏はいよいよ藤壺に焦がれて塗籠事件を起こし、拒否されてふてくされて雲林院に籠もる。
そして雲林院から、朝顔斎院に過去の関係を取り戻したい的な、不埒な手紙を送る。

そしてとうとう藤壺宮が、源氏の態度に困って、彼を振り切るために出家してしまう。


東宮の地位の裏付けとするためにわざわざ桐壺院が藤壺宮を中宮に据えたにも関わらず、地位を振り捨てるようにして宮が出家してしまったことによって、いよいよ東宮の後見たる源氏一派の政治的不遇は顕著となります(藤壺の出家は源氏の自業自得ですが)。
そんな中、同じく不遇をかこつようになった三位中将(いわゆる頭中将)らと一緒に、ろくに出仕もしないで遊び暮らしたり…といったふてぶてしいふるまいをしつつ、源氏は朧月夜尚侍とも密会を繰り返し、果てには「賢木」巻の最後では、尚侍の父右大臣に密会の現場を発見されてしまいます。

ここらへん、怒涛のような展開が続くのですが。

どうもこう…
それまで源氏にとって重要な位置を占めていた女達…葵の上、六条御息所、そして思いをかけ続けていた朝顔斎院が彼の周囲から消えてしまったこと、そして肝心の藤壺宮にも手ひどく捨てられてしまったことで、ちょっと源氏はやけっぱちになっている観があります。
それゆえ、朧月夜尚侍との関係に執着して、無理なことをして逢い続けたのではないかという気配もあり。

そしてそういう彼の行動が、政治的不遇な状況をいよいよ加速させるという悪循環に直接つながってしまう。

最後には、朝顔斎院との文通と、朧月夜尚侍との関係と、この二つの恋愛沙汰が問題になり、光源氏は須磨・明石に放浪することになっていくわけです。しかし光源氏の流浪は、むしろ本当は、藤壺宮との不倫、その関係から不義の子の東宮を儲けた…というより大きな罪への報いなのでは…と読者に思わせる仕掛けにもなっています。

 

「賢木」の巻のあと、須磨へ出立する前に、あちこちの女達を訪れる源氏の姿には「ここまでの女性関係総精算」みたいな風情がありますね。

 

それにしても、青春時代が終わり、女達に去られてやけっぱちになり、最後の青春の光とばかりに朧月夜との恋愛に執着する光源氏の気持ちも分かるけれど……

せっかく紫の上を妻にして落ち着いた夫婦関係を築いたんだから、それに満足しておとなしくしていれば、政治的にもそこまで追い込まれなかったんじゃないの、とつっこまずにはいられません。


それができない激しさを持つのが光源氏という人なのですが、しかし結局、光源氏がそういう「自分でも抑えきれない衝動」で行動してしまうのは、すべて「藤壷宮」絡み

六条御息所とは、哀れを誘うしみじみとした別れをしていても、「捨てないでくれ」と衝動的に振る舞ったことは一度もありません(口説く時にはもうちょっと情熱的だったのかも知れませんけどね。年上の貴女、元お妃という高貴な女性に、藤壺宮と似た何かがあるとでも思って)。
朝顔斎院に対しても、結局最後まで彼女の意思を尊重して、強引に妻にすることもなかった。


王朝物語の恋愛描写で、常套的に用いられる表現にうつし心」が失せた、とかなくなった、という表現があります。

「とりかへばや」物語で、宰相の中将が人妻である四の君のところに忍び入ろうとするときに「現し心もなくなりにければ」と描写されており、また、宰相の中将が男だと思っているはずの中納言(女主人公)と関係を
持つに至るときも、中納言が宰相の中将に「うつし心はおはせぬか」と言っていたりします。

狭衣物語で、狭衣が女二宮のところに忍び込んだときも「うつし心もなきやうにて」って描写があったり。
「夜の寝覚め」でも、男主人公が女主人公のところに忍び入った時に、自分で「うつし心もなくなりけるぞや」って言ってたりします。

まあなんていうか、基本、恋愛沙汰で理性を失って相手を求める行動(主に男)の言い訳?というか何というか…で「うつし心がなくなってしまった」みたいに言うことが多いようなんですよね。

 

で、光源氏が「賢木」で藤壺宮のところに忍び入ったシーンに、「うつし心失せにければ、明け果てにけれど、出でたまはずなりぬ/源氏の君は、理性も失ってしまったので、夜が明け果てたけれど、そのまま藤壺宮の寝室から出ないままになってしまわれた」という描写が出てきます。

光源氏の恋愛は数々描かれているけれど、「うつし心がなくなった」という描写があるのは藤壺相手だけなんじゃないかな…
ちょっと確信はありませんが(でもこういうのって、誰かが論文とか書いてそうな話ですね)。


逆に、他の女との恋愛は、常に光源氏はどこかしら理性を失わず計算したり、値踏みしたりしているところがあるように思います。
紫の上相手ですらそう。

そもそも、一時失脚の原因となった朧月夜との情事でも、源氏は一度も「うつし心がなくなって」密会したという感じじゃありません。
密会がバレた時でさえ、朧月夜の父右大臣の様子を、自分の舅の左大臣の振る舞いと比べて可笑しく思っていたり…と、どこか余裕がある。

結局、光源氏が恋に惑乱するのは藤壺宮相手だけ。

そう考えると………その藤壺宮への惑乱があり余って、少しでも藤壺に似た女を求め、心の隙を埋めようとしてあれやこれやと恋愛沙汰を繰り返すんですから、他の女たちにとってはある意味はた迷惑…
そして藤壺宮自身にとっても、「源氏の自分への執着がやむように」とこっそり祈祷までさせてたぐらいですから、結局は迷惑。

光源氏、すげー可哀想だけど迷惑男なんだなあ。しみじみと。

 

 

まあなんていうか、結局個人的に注目したいところはどこかというと、光源氏の須磨への退去までに、怒涛のようにそれまでの数々の女関係が煮詰まって収束していく物語の緻密な構造が、やっぱりすごいな~というところです。
別れの場面などなども、比べてみると光源氏のそれぞれの女への態度の違い、思いの違いが細かく描き分けられていて、何度読んでも味わい深い。

ただ、あんまり現代的な感覚で読んでしまうと、ひたすら光源氏という男にイライラしたり腹が立ったり「バカじゃないの?」としか思えなかったり、あるいは逆に現実感のないキャラクターにしか感じられなかったりしてしまうかも…というところが壁なのかな。

私自身は、読み込めば読み込むほど、一見現実離れしたチートキャラとして描かれているかのように思える光源氏というキャラクターのリアルさが感じられてきて、ホントに1000年読んでもおいしい話だな~と思ったりするわけです。

…でも、光源氏萌え~という話に共感してくれそうな人って、今まで出会ったことがないんですよ。何でだろう。うーん。

というわけで今回の結論は光源氏萌え友達募集」っていうところかな…