ふること

多分、古典文学について語ります

嫉妬のかたち3~六条御息所は、なぜ女三宮を出家させて満足したのか

前の続きで、誇りが傷ついたが故に怨霊化した六条御息所が、最後に女三宮に取り憑いたのはなぜか、そして女三宮を出家させて満足したかのように「もう帰ろう」と姿を消したのはなぜか…ということを、改めて考えてみます。

 

女三宮の出家は、光源氏にとってどういう意味を持っていたか?

そもそも、女三宮が出家することは、源氏にとっては一体どういう意味合いだったのか。

愛情の問題

まずは、出家されてしまうと、もう夫婦として関係を持つことはできません。基本的には。一応。

…現実の世の中だと、中宮定子は出家したのに一条天皇が無理に関係継続して、還俗したってことになってましたけど…
花山天皇は、出家して法皇になった後も、愛人作りまくって子供も作ってましたけどね…。さすがに体裁悪いから、生まれた子は冷泉天皇の猶子として親王宣下受けてたけど。
一条天皇女御だった藤原元子は、父親に尼にされたけど、無視して源頼定との関係を続けてましたね、駆け落ちまでして。まあこの場合、本人には尼になる気なんてサラサラなかったわけですけど。

反例は多々思い浮かびますが、まあ一応、出家してしまうと夫婦としての関係を離れることにはなっているわけで。
でもそういう反例も色々あるからですかね、光源氏女三宮に未練たっぷりで出家後も言い寄ったりしてましたが、いかに頼りなげな性格の女三宮と言えど、光源氏のイヤミにウンザリし、見切りを付けて出家までしたわけですから、さすがに流されることもありませんでした。

 

ですから「妻としての女三宮を喪う」という意味は確実にあったわけですが、光源氏としては妻としてはやはり紫の上のことをより愛していたわけなので、紫の上を取り殺し損ねて、出家させることもできなかった六条御息所が、次善として女三宮を出家させて満足というのも疑わしい気がします。

 

そもそも、光源氏女三宮への愛情を問題にするならば、出家したことよりも先に、柏木に寝取られたことそのものの方が大きな衝撃だったはずで。
それがあったがゆえに、出家するときも源氏自身が「その方が良いかも知れない」とすらちらっと考えているぐらいです。

 

柏木と女三宮との密通自体が「祟り」だったのか?


ではその、柏木と女三宮の密通の始まりからすでに、六条御息所の祟りだったのか?

 

これについては、「あさきゆめみし」ではそのような解釈を仄めかしているような感じです。
しかし、柏木と女三宮の密通時点では、六条御息所は紫の上に取り憑いて殺そうとしている真っ最中だったハズなんですよね。

同時に二人に祟ることができるのか?というと…どうなんだろう。

六条御息所自身が、「うまく取り返した、と紫の上のことを思っているのが悔しかったから、気づかれないようにしてずっとこのあたりにいた」と言っているので、女三宮のあたりに取り憑いたのは、明らかに紫の上を殺しそこなって源氏の前に一度姿を現した後なんです。

 

というと、柏木と女三宮の密通は、ただの密通。

別に祟りだとかいうわけではなさそうです。

 

とすると、もう源氏の女三宮への愛情はその時点で裏切られているわけなので、六条御息所の戦果ではなさそう。

 

仏道への志で遅れをとること。

では女三宮が出家することに何の意味があったか、と立ち戻ると…

 

以前、光源氏が語る「理想の女」は「自分に素直に従い、思い通りになる女」という記事を書きましたが、女三宮は、「自分に素直に従い、思い通りになる女」である上に、身分高く美しいと名高く、中年になって功成り名遂げた光源氏のトロフィーワイフとしては最高だったわけです。
その女三宮を柏木に寝取られたのは源氏の恥ですが、それは決して表沙汰にはならない。でも、理由を「出産で体が弱って死にそうになったから」と体裁を繕っていたとしても、女三宮が出家したということは、年上夫の光源氏が捨てられたことには違いがなく、かつ隠しようもなく世の中に公表されてしまう事実なわけです。


やっぱりここかな~、と思う。

 

せっかくのトロフィーワイフに捨てられて、仏道のこころざしでも遅れを取ってしまう。
トロフィーワイフを若者に寝取られることほどではないかも知れませんが、自意識が高いナルシストな光源氏にとっては、出家されてしまったことは世間向けに隠しようもないだけに、それなりにメンツが傷つくことであるには違いないでしょう。

 

朧月夜尚侍の痛烈な最後の手紙

そう考えると思い出すのは、女三宮が出家する少し前(女三宮の妊娠中のことでしたが)、朧月夜尚侍にさらっと出家されてしまった時のこと。


光源氏は、女三宮の密通を知って、朧月夜が心弱く自分に靡いたことまで見下す気持ちになって足が遠のいていたようなのですが、その隙に彼女はさっさと出家してしまいます。

朧月夜が出家しようと思っていたのは以前からで、それを光源氏との関係が復活して引き止められていたので(つくづく、女を出家させたがらないヤツだ…)、源氏の気持ちが離れたのをきっかけにさっくり出家しちゃったわけですね。

源氏はその知らせを聞いて驚いて、朧月夜に、出家するとも教えてくれなかったことへの恨み言や、「さまざまなる世の定めなさを心に思ひつめて、今まで後れきこえぬる口惜しさ色々な人生の無常さを思い知りながら、今まで世を捨てることもなく、あなたに遅れを取ってしまったことの残念さ」つまり、自分は出家したいのに今だに出家できないでいるのに先を越されてしまった残念さや、自分を捨ててしまっても、回向のうちには入れてもらえるだろうと頼みにしている…といった消息を送ります。

それに対し、朧月夜は「源氏に手紙を送るのはこれが最後」と思いつつ、以下のような手紙を送ります。

「常なき世とは身一つにのみ知りはべりにしを、後れぬとのたまはせたるになむ、げに、
    海人舟にいかがは思ひおくれけむ
  明石の浦にいさりせし君
回向には、あまねきかどにても、いかがは」(若菜下)
「無常の世と感じていたのは私だけと思っておりましたが、あなたが先を越されてしまったとおっしゃるなんて。確かにおっしゃるとおり、どうしてあま舟に乗り遅れなさったのでしょうか。明石浦で海人のようにお暮らしになったあなたですのに。(なぜ私が尼になるのに遅れをとったりなさったのでしょうか。明石に流浪なさって、世の無常を思い知ることもできたはずのあなたですのに)
回向にとおっしゃることについては、一切衆生のためのものですから、そのお一人として含まれないことがありましょうか。

常なき世とは身一つにのみ知りはべりにしを」のあたりは、源氏が「さまざまなる世の定めなさを心に思ひつめて」と書いてよこしたことにも対応していますし、また「世」に「男女の仲」的なニュアンスをも込めていると思われます。
つまり、「なんで出家すると教えてくれなかったのか」に対して「私たちの仲を常なきものと思い知っていたのは私の方だけと思っていましたが」と、源氏の自分に対する薄情さ(現に、女三宮のこと以降気持ちが離れていたわけで)に言及して、それが理由だと仄めかしつつ、「あなたが世の無常を思い知っていらっしゃったとは思わなかったわ」とも仄めかしています。

そして、「あなたは、自分も世を捨てたいのに先を越されてしまったとおっしゃいますけれど、確かに、あなたは明石浦にさまよって世の無常をお知りになることもできたはずですから、尼になった私に遅れを取るようなことになったのは不思議ですわね」と、痛烈なことをはっきり言います。
 

私が世を捨てた後になって、「私のために須磨でのわび住まいをした」など今更持ち出して愛情ありげにおっしゃるけれど、あなたの愛情が定まらず当てにならないことは分かっていますのよ。
どうせ世を捨てたいなんてことも、本気で思ってはいらっしゃらないのでしょ。世の無常なんて本当にはおわかりになっていらっしゃらないんだわ。
私はもう俗世の未練を捨てましたから、あなたのことは、世の人間の一人でしかありませんわ。


朧月夜は、自分たちの男女の仲についてと、世の無常を知るという悟りについて、両方について、言葉の上だけで愛情を、また知ったふうな無常観を取り繕い、行動が伴っていない源氏の浅さを痛烈に当てこすっているわけなんです。

いやーこういうやりとり見ると、和歌ってすごいコミュニケーションツールだなって思います。


この痛烈さというのは、何ともはや…今まで源氏に振り回され続けてきていた彼女が、「これが最後だから」とここまで言うのか、ということにも感嘆します。

朧月夜を軽く見ていた源氏、このような痛烈な「最後の手紙」をもらい、憤然とし、自分一人の胸にもしまえず、思わず紫の上に

「いといたくこそ恥づかしめられたれ。げに、心づきなしや」

たいそうひどく辱められてしまった。本当に気に喰わないことだ。

とぶつくさこぼしてプンプンしてました。

 

源氏の老醜を際立たせる

 まあそうやって、光源氏がいまだに種々の煩悩に囚われて出家もできないでいるうちに朧月夜に出家で先を越された上に、自分の浅薄さをはっきり指摘されて悔しがっていたことを考えると、この上、女三宮にまで出家されて先を越されたということは、女達に仏道への志でも遅れを取っていることをまざまざと明らかにすることでもあるわけです。

年下の若い妻がいて、彼女の後見をしなければならない…というのは、光源氏が世を捨てない理由にもなっていたわけですから、その年下妻にも遅れを取るというのは「世の無常を知り、いつかは世を捨てて仏道の修行に励もうと思っている」という「求道者」としての源氏の自己イメージを著しく傷つけることになるわけです。


仏道が重んじられていて、人生の終着点として世の無常に悟りを開き、出家する…というのがある種の理想的終活でもあった時代背景のことも考えると、ここはナルシスト光源氏のプライドにとっては大いなる危機とも言えるでしょう。


ただ、光源氏女三宮を「浅はかな人だからどうせ大した道心ではないだろう」と侮ってもいて(だからこそ出家後に口説いてみたりといったこともしたのでしょうけれど)、「年下の妻にも遅れを取ってしまった」ということについてはそんなに痛切に感じてはいないようでもあります。

何より、当時は病がちになっているとはいえ、紫の上がまだ生きていた。
彼女と離れることができないがゆえに、源氏は紫の上の出家も許せず、そして自分も出家できない。

この時点での源氏は、まさに朧月夜に痛烈に言われた通り、世の無常を悟ることなく、紫の上との情愛に執着し、紫の上には恨めしく思われている、出家してしまった女三宮にまで未練たっぷり、という愛欲の地獄の只中にいるようです。

 

女三宮が出家して「後見を託された若い妻がいるので…」という口実すらなくなったことにより、そういった源氏の老醜といってもよい姿が余計に浮き彫りになっている。

ナルシストで、藤壺宮以外の女達をどこかしら軽んじて見ている源氏が、いつのまにか女達に置いていかれ、取り残されている。
そして自分がそんな老醜を晒していることすら、最後に源氏のそばにとどまってくれた紫の上が、明石の中宮に手を握られながら亡くなってしまうまでは気が付かない。
亡くなったときも、命絶えて間に合わなくなってしまってから、生前の出家の念願を叶えさせてやらなかったのが可哀想だからと、今更のように髪だけを下ろしてやろうかと思い惑って息子にやんわりと窘められる有様。

結局のところやはり、女三宮の出家というのは、源氏の悟りきれなさ、老醜を際立たせるための重要な舞台装置になっている、と言えるでしょう。

 

女三宮自身にとっての「六条御息所の祟り」とは?

一方で、直接祟られたはずの女三宮自身にとってはどうなのか。

再び、御息所の死霊が女三宮に取り憑いてやった、と言って去っていった場面に戻ってみましょう。

御息所の死霊が「かうぞあるよ。いとかしこう取り返しつと、一人をば思したりしがいとねたかりしかば、このわたりにさりげなくてなむ、日ごろさぶらひつる。今は帰りなむ」(「どう、こんなことになったではないか。うまく取り返した、と一人のことをお思いになっているのが悔しかったから、気づかれないようにしてずっとこのあたりにいたのです。今はもう帰ろう」)といって笑い声をあげたのを見て、光源氏

 

さは、このもののけのここにも、離れざりけるにやあらむ」と思すに、 いとほしう悔しう思さる。

「さては、この物の怪がこちらにも離れずいたからなのだな」とお思いになると、宮のことが気の毒にも、また悔しくもお思いになる。

と、女三宮が出家するに至る前のことは物の怪のせいだったのだ、と思い、女三宮を「いとほしく」=気の毒に思っているのです。

この光源氏の述懐から、読者としては「女三宮は、六条御息所の死霊のせいで出家してしまったんだな。若くて美しい人がもったいない」と自然と感じさせられることになりがちです。

ある意味、ここは紫式部が張った罠による誘導なのではないか、と思うのです。


この光源氏の感想があるせいで、読者は「もともと女三宮は浅はかな人柄だから、物の怪に惑わされて思いつめて出家してしまったんだな」と考えてしまいます。

しかし、実際どうでしょう。


女三宮は、大した道心でもないようでいて、かといって道心を妨げるような欲望も彼女にはない。
その後の人生では、だんだんと成長する息子を頼りに、彼女を困らせたり心を乱すような波乱もなく、平和にゆったりと暮らしているようで、出家したことを「あの時はどうかしていた。物の怪に取り憑かれていたのかも…」といったように後悔する様子も全くありません。

そもそも女三宮が出家をやりとげたのは父朱雀院がそれを認めて出家させてやったからですが、朱雀院にまで死霊が取り憑いていたというわけもない。朱雀院は、女三宮が源氏に紫の上より軽んじられていたことを悔しく思っていて、源氏の意向にも逆らうような形で娘を出家させてしまったわけです。
その経緯はむしろ、朱雀院と女三宮光源氏に対する復讐劇かとも思えるような成り行きでした。


光源氏は、女三宮が最初に朱雀院に出家させてくれと言ったときも、朱雀院に大して「今までも出家したいとおっしゃっていましたが、物の怪が言わせているのかも知れないので聞き入れなかったのです」と抗弁していましたから、六条御息所の死霊を見て「女三宮はやはり物の怪に惑わされて出家してしまったのだ」と思ったわけですが、むしろそれは「妻が自分を捨てたくて出家した」と思いたくない、物の怪のせいにして、上から目線で哀れみたい…という源氏の歪んだナルシシズムの表れのように思えます。

実際に出家する経緯といい、出家した後の女三宮の様子といい、「出家する」という意思自体を物の怪に惑わされて吹き込まれたのだとは思いにくい。


それよりもむしろ、六条御息所の死霊は、女三宮に取り憑いて体の具合を悪くさせることで、出家するための口実を彼女に与えやっただけなのでは?という気がします。


朱雀院とて、女三宮が死にそうなぐらい具合が悪いという状況がなければ、夫の意向を無視して女三宮を出家までさせることは難しかったわけです。
そう考えると、どうも 六条御息所女三宮と朱雀院が、三者協力して女三宮の出家を成功させているかのような……

そんな様相すら見えてくるのではないでしょうか。


 総括

まとめると

  • 六条さんは、自分のプライド・体面・世間体をずたずたにされ、誇りを傷つけられたことで源氏を恨んでいて、源氏自身が彼女の悪口を言ったのをきっかけに、源氏周辺で祟りを始めた。
  • 紫の上のことは、源氏の愛執がひどいのを見て源氏が哀れになり、取り殺せなかった。
  • かわりに女三宮に取り憑いたが、どうも出家自体は女三宮自身の意思であり、取り憑いて体の具合を悪くさせて、出家の口実を彼女に与えただけなのではないか。
  • 六条御息所は、女三宮を出家させることで、源氏が若い妻に捨てられたことを世間に知られずにいられないように仕向けた。
  • 同時に、紫の上への愛執とともに源氏が俗世に取り残されるという状況を作り出し、源氏が出家できないまま老醜を晒すように仕向けた。

だいたいこういうことになるのかなあ…と思います。

 

結論として~愛執に囚われたのは源氏であって、六条御息所ではなかったのでは?

こうしてみると、何というか六条御息所を死霊化させた嫉妬というのは、源氏の愛情を争って源氏が愛している女たちに向かっていたというものではない。

むしろ、光源氏が、彼自身の誇りと高い自意識とで六条御息所を見くだしていたこと、そして同時に、彼が位人臣を極めて准太上天皇まで上り詰め、内親王すら妻に迎えて、その誇りを思う存分満足させて自惚れ切っている……

六条御息所の誇りをずたずたにしておきながら、おのれは自惚れに浸っている。その自惚れが許されている源氏自身への嫉妬であり、復讐心だったのではないか、という気がします。


人間と人間としての嫉妬というのですかね。

高い地位を得て上り詰める運、そして実力、人望、世間での評判、そして異性への魅力。

どれをとっても、六条御息所光源氏に負けてしまっていた。

男女で単純に比較することはできないようですが、光源氏自身が秋好中宮と夕霧を比較して、葵の上と六条御息所では葵の上が勝っていて、誇りかにしていたのに、夕霧と中宮では中宮の方が勝っている…などとしみじみしているぐらいですから、比較できないわけではない。

六条御息所は、夫の東宮に死なれてしまったという「運」などでも劣っていたわけですが、中でも「異性への魅力」という点について、光源氏と真っ向勝負して完全に負けてしまった。どうあがいても、自分の愛情の方が源氏の愛情よりも強かったわけですから。
そのことによって、彼女の世間での評判はひどいものになってしまった。

そこを恨みに思い、怨霊化するほどに、彼女は誇りが高い人だったのではないか…と私は思うのです。
六条御息所は、よくあるイメージのように、愛執に惑って怨霊化した人ではなく、誇りが傷ついた怨みで怨霊化した人だったのではないか、と


そしてむしろ、愛執に取りつかれて惑っていたのは、藤壺宮への愛執を、彼女が死んでも断ち切れずに惑っていたり、紫の上の出家の望みを最後まで叶えてやることもできず執着し続けた光源氏の方だったのではないでしょうか。
(もっとも、紫の上の死後には、源氏もようやく心を整理して求道という方向に進んでいけたようですが…)

だから、些末なことのようですが、夕顔を取り殺したのは六条御息所の生霊ではない、と私は解釈していたりもします。夕顔は、六条御息所の体面を傷つけたりしたわけではないので。

 

…なんかやたらと長くなってしまったんですが、六条御息所に関する考察はこれで一段落。

なんか最初は、雲居雁の嫉妬と六条御息所の嫉妬を比べてみたくて考え始めたことだったんですが、なんかすっかり元の話から離れてしまいました。

次は、また雲居雁の話に戻ってみたいと思っています。