ふること

多分、古典文学について語ります

空蝉との一夜がどんなだったのか。

ちょっと息抜き記事。

 

ほら、源氏物語って、契りを結ぶ(上品な表現にしてみた)場面って直接的には描写しないじゃないですか。それで、読んでてとまどうことがちょくちょくありませんか。

 

最近、どこでだったかな…昔は光源氏は空蝉と契ったのかということについて、昔は結局ヤってない説が結構あったんだけど、今はほとんどヤったという説になっているという話を読んだ気がするのです。

どこで読んだんだろ……(あれこれ乱読してるんで分からなくなってしまった)

 

んで、改めて「帚木でどういう記述だったかな…」と思って読み直して「ああそういえば、ここ自分も読んでて『え、結局ヤったの?ヤってないの?』って戸惑ったな」と思い出した。

 

源氏は、空蝉を強引に抱き上げて自分の寝所に連れてきて、途中で女房の中将に行き合っても動じず、「障子をひきたてて、『暁に御迎へにものせよ』とのたまへば/中将の前でぴしゃりと障子を閉めて『夜明けにお迎えに来い』とおっしゃった」というふてぶてしい態度。
そして、空蝉自身には、色々言葉を尽くして靡かせようと口説くわけですが、

例の、いづこより取う出たまふ言の葉にかあらむ、あはれ知らるばかり、情け情けしくのたまひ尽くすべかめれど

いつもの、どこから取り出していらした言葉なのであろうか、愛情を感じられるぐらい、優しく情ありげに色々と言葉を尽くしていらっしゃるようだけれども

 あれこれ愛情に満ちたことを言っているけれど、いつものように、口から出まかせと、地の文でばっさり切られてます。

「現ともおぼえずこそ。数ならぬ身ながらも、 思しくたしける御心ばへのほども、 いかが浅くは思うたまへざらむ。いとかやうなる際は、際とこそはべなれ」

「現実のこととも思えません。人数ならぬ卑しい身分の私ですが、あなたが思い劣していらっしゃるお心のほども、どうして浅いものと思わないでいられますでしょう。このような身分の者は、それなりの身の程というものがございます」

源氏の浮ついた口説き文句は、空蝉に「あなたがこうして身分の低いものと私を馬鹿にしていらっしゃるお心を、浅いお心と思わずにいられましょうか」とばっさりやられてしまいます。
空蝉の「心恥づかしきけはひ気恥しくなってしまうほど立派な態度」にたじろいだ源氏は、前世からの因縁(男が無理やり女を口説く時に「こうなる前世からの因縁だったのですよ」ってこじつけるの、常套手段デスヨネ的な)など持ち出して「まめだちてよろづに」真面目になって色々とくどきつづけますが、空蝉は、「強情で気に食わない女だと思われても良い」とあくまで拒み続けるので、源氏としては「なよ竹の心地して、さすがに折るべくもあらずしなやかな竹のようで、さすがに折ることもできない」と思っています。

なよ竹の心地して、さすがに折るべくもあらず。

 

ここは、どう解釈しても「空蝉が拒み続ける態度が、なよやかではあるものの折りづらい「なよ竹」のようで、さすがに折ることもできない=さすがに無理やり犯してしまうこともできない」という意味なんですよね。
昔、空蝉とは肉体関係なかったという説があったのだとしたら、ここらへんが根拠かなと思います。

 

しかし。

しかし次の行では

 

まことに心やましくて、あながちなる御心ばへを、言ふ方なしと思ひて、泣くさまなど、いとあはれなり。心苦しくはあれど、見ざらましかば口惜しからまし、と思す。慰めがたく、憂しと思へれば、「など、かく疎ましきものにしも思すべき。おぼえなきさまなるしもこそ、契りあるとは思ひたまはめ。むげに世を思ひ知らぬやうに、おぼほれたまふなむ、いとつらき」と恨みられて、

本当に気に食わない、強引な源氏の君の御心を、女は言いようもなくひどいと思って泣いている様子など、たいそう哀れであった。源氏は、心苦しくは思うが、契らなかったら残念だっただろう、とお思いになる。
女が、慰めようもなく、辛いと思っているので、
「どうして、そこまで私を憎いものとお思いになるのですか。思いがけない逢瀬だからこそ、前世からの契りがあったのだとお思いになりなさい。むやみに男女の仲を知らないように涙におぼれていらっしゃるのが薄情に思えます」と源氏の君は女をお恨みになって

と続きます。

傍線引いて強調したあたり。「強引」だとか、女が泣いているとか、男が女を「見る」という表現の古典での用法とか「見なかったとしたら残念だっただろう」と反実仮想になってるとことか。「契り」と口にしているとことか。
極めつけ最後のところ。

あなたは人妻で、処女と違って男女の仲のことだって知っているのだから、そんな泣いてばかりいるのは薄情だ。

と逆に非難してるところ。

 

うん、やはり源氏くん、強引にヤっちゃってますね。

なよ竹折れないんじゃなかったのかよ。サイテー。

 

こう、「折れない」と書いたかと思ったらコロっと次の行で時間が経過していて、その間の描写も省かれて「事後」になってるあたりが、諸説出たことの原因だったり、私自身が読んだ時にとまどったところだったのかな、と。

 

なんつーかアレですね。源氏もかなり迷ったけど、拒まれたまま終わるのが嫌で結局説得するのは諦めて強引にヤっちゃったと。

 

でもこの唐突さは、それはそれで表現上の技巧だったのかな。
迷ったけど無理やりヤっちゃえなんて光源氏の心理を微に入り細に入り書かれてもドン引きだし。

それだけじゃなくて、読んでいて「え、結局どうなんだろう、女が逃げ切るのかな、どうかな」と思わせておいて、話を飛ばして「え?結局どうだったの?え?やっぱり?」とどんでん返しを食らわせる手法って、玉鬘の物語でも使っているけれど、紫式部が好む「あえて書かない」という読者を翻弄する手口なのかなって思います。

初めて読んでる気持ちになって原文を読んで紫式部に翻弄されてみるのもまた楽し。

 

身分が低いと侮って無体なことをしていながら、思いのほかに侮れない人柄だったので、結局は源氏の方が空蝉に執着し、最後は尼になったのを引き取って生活の面倒まで見る…という話になっていくわけですが、こういう、光源氏の若さゆえ、帝の皇子として生まれたゆえの傲慢さも描くあたりが源氏物語の面白みですね。


光源氏ってなんかチートキャラみたいな扱いな気がするんですが、こういう傲慢さ、際限ないうぬぼれを描き出しつつ、宇治十帖では完璧超人だったみたいに言われているのって(私は宇治十帖も紫式部筆として疑念を感じないので)、紫式部の冷めた視線を感じてとてもゾクゾクします。