ふること

多分、古典文学について語ります

元祖イクメンな、うつほ物語主人公仲忠さん

うつほ物語(宇津保物語)の話、第三弾。


うつほ物語は、すごく大雑把に言って、藤原仲忠を主人公とする話と、源正頼の女のあて宮の話との2つの流れがあります。

あて宮の話はちらちらと述べたように、絶世の美女である彼女への恋に多くの求婚者たちが身を焦がすけれど、結局あて宮は東宮に入内し、仲忠への未練やその他の鬱屈などありつつも東宮の寵愛を独占し、東宮の即位後は藤壺女御となり、熾烈な東宮立坊争いの果てに、産んだ皇子が東宮に立坊する…という話です。

男主人公仲忠は、摂関家の御曹司藤原兼雅の落し胤で、幼い頃は母と二人で貧窮しており、山の中で木の実を拾ったり芋を掘ったりして暮らしていました。長じてから、右大将となった父兼雅に再会して母ともども引き取られ、嫡子として元服し、出仕して貴族としての道を歩み始めます。
そんな仲忠もあて宮を恋する男たちの一人でしたが、結局はあて宮への恋は実らず、そのかわりに、あて宮の姉女御腹の女一の宮(つまりあて宮には姪にあたる)を帝から妻に賜ります。

ここまで、琴の話は説明が厄介なのではしょった。

最初は、仲忠は女一の宮を妻にしてもあて宮に未練があり、彼女を得られなかったことを残念に思っていましたが、女一宮が懐妊したころから様子が変わってきます。
というか、がらっと態度を変えます。

かくて、返る年の睦月(むつき)ばかりより、一の宮孕(はら)みたまひぬ。中納言、かの蔵なる産経(さんきゃう)などいふ書(ふみ)ども取り出でて並べて、女御子(みこ)にてこそあれ、と思ほして、生まるる子、かたちよく、心よくなる、といへるものをば参り、さらぬものも、それに従ひてしたまふ。参りものは、刀(かたな)、俎(まないた)をさへ御前にて、手づからといふばかりにて、われなほ添ひ賄ひて参りたまふ。かくて、その年は立ち去りもしたまはず。(蔵開上)

こうして、よく年の一月頃から、女一宮は懐妊なさった。中納言(仲忠)は、あの蔵(注:仲忠の母の実家にあった、伝来の書物が入った蔵)にあった産経(注:お産についての指導書)などという書物を取り出して並べて、「女のお子であって欲しい」とお思いになって、生まれる子が器量よく性格も良くなるというものばかりを女一の宮にさしあげ、それ以外のものについても、産経に従ってそのとおりになさる。女一の宮が召し上がるものは、包丁・俎すら御前に置かれて、手づからと言ってもいいほどの様子で、ぴったりそばにいて食事を整えてさしあげなさった。
このようにして、その年は中納言は女一の宮のそばから立ち去ることもなさらなかった。

 

妊娠した妻のために、本で勉強して、お腹の子に良いものなどあれこれ選んで自分で調理せんばかりにして食事を整えて食べさせるという甲斐甲斐しさ。
おまけに、ぴったり妻のそばから離れようともしなかった、という…

お産の時もおろおろとつきまとい、無事に生まれて女の子と聞くと喜んで万歳楽を踊りだして周りに笑われたりしています。

そのあともずっと生まれた子(ちなみに名前は『いぬ宮』と言います)を抱いていて、湯浴みをさせる時にもつきまとっているので湯浴みをさせる役の典侍を困らせてしまい「あちらにいっていただけませんか」などと言われています。

はてには、妻の女一の宮に「早く二人目が欲しい。次は男の子が良い」とささやくので、女一の宮

うたていふものかな。いと恐ろしきわざにこそありけれ、と思して、いらへもしたまはず。(蔵開上)
嫌なことを言うものだ。(出産は)ひどく恐ろしいことだったのに、とお思いになって、返事もなさらない。

そりゃそうですよね。
ようやく出産を終えたと思ったら「早く次を」なんてダンナに言われたら、「うるせぇ黙れ自分で産んでみろ」って言いたくなるというもの。(いや女一の宮はそこまでは言ってませんが)

 

仲忠くんは、ひたすら猫可愛がりするだけというわけではなく、始終新生児の娘を抱いて可愛がってあれこれ世話をし、おしっこを引っ掛けられても怯みません。

 

父君に尿(しと)ふさにしかけつ。宮に「これ抱(いだ)きたまへ」とてさし奉りたまへば、「あなむつかし」とて押し出でて、うち後方(しりへ)向きたまひぬ。君、「頼もしげなの人の親や」。典侍(ないしのすけ)にさし取らせて、拭(のご)はせたまふ。宮、「いかに香(か)臭からむ。あなむつかしや」とてむつかりたまふ。(蔵開上)

(いぬ宮は)父君に尿をたっぷりと浴びせかけた。仲忠中納言が宮に「この子を抱いて下さい」といって差し出されると、宮は「まあ、嫌だわ」と言って押しやって、向こうを向いてしまわれた。中納言の君は、「頼りにならない親ですね」といって典侍にいぬ宮を受け取らせて、かけられた尿を拭いなさった。宮は、「どんなに匂いが臭いことでしょう。ああ、嫌だわ」と言ってご機嫌斜めでいらっしゃる。

 

父の仲忠はおしっこを引っ掛けられても平気なのに、母親の女一の宮は「くさい」と言って嫌がります(笑)

まあこの時代の貴族女性、しかも皇女ですから、もっぱら子供の世話は乳母がやりますしね。
にしてもこれ、現代で言えば、うんちのおむつを変えたがらない男親に「親の自覚あるのか」とツッコミ入れたくなる…という、よく聞く話を思い出します。

男女逆だけど

 

仲忠はこの調子でともかく子煩悩で、男同士で子供のろけみたいなことを語ったりするありさま。


そんな子煩悩全開な仲忠ですが、出産した女一の宮のもとにかつての想い人、藤壺(あて宮)から手紙が来た時には、女一の宮の代わりと言って自分で返事を書き、かつ「昔の恋も忘れられません」なんて言い添えてたりもします。
一方で、女一宮と藤壺の話をした時に「藤壺を見たらあなたは平静ではいられず、何か間違いをしでかすでしょう」と妻に言われると、「昔だって過ちはしでかさなかったのに、まして今は何をしでかすというのか」と全否定したり、夫のあて宮への気持ちを疑う妻に「あなたと結婚したので彼女のことは忘れました」「もし自分があて宮を見てフラっとしても、またあなたを腕に抱けば同じようにあなたに夢中になってしまいます」なんて、テキトーなんだかリアルなんだか分からない釈明をしたりもしています。

もっとも、仲忠は「忘れた」とか言いつつ、あて宮へのある種の心寄せがなくなることはなかったようで、あて宮腹の皇子と自分の姉妹が産んだ皇子とで東宮立坊争いになった時も、頑として自分の甥のために動こうとはしません。
ひとつには、あて宮の息子が東宮になったら自分の娘を入内させたいと考えていたからなようですが…
また、物語の最後の方でも、藤壺がいる方を見やって「いかでなほものをば思はぬぞ(楼の上 下)/どうして今もなお、(あの方のことを)思わずにいられようか」なんて言っています。


それでも、あて宮の仲忠に対する未練に比べれば、仲忠は…なんていうか、生々しい感情が伴わない、昇華された憧れみたいなさっぱりした雰囲気です。

 

一方で主人公仲忠の妻である女一の宮はというと、この人は帝の長女という立場だからか、子供のおしっこを嫌がったりとか、箱入りお姫様っぷり全開で、かつ、源正頼の孫娘だからか、強い女たちの一人でもあります。

一の宮が二人目を妊娠した時、夏の暑い時期に削り氷ばかり食べていて、夫の仲忠が(妊婦が食べるべき物を本で研究してる人なので)「削氷ばかり食べるのは妊婦にはよくない」と言って止めるのでご機嫌斜めになり、

からうしてよかりつる心地を惑はすか。など。ここにな来よ。往ね(国譲中)」
かろうじてましになった気分を悪くしようというの。どうして。ここに来ないで、出て行って


と散々な言いっぷりで、夫を困らせています。

 

そんな女一宮は、二人目の出産の時は難産で死にかけてしまいます。

夫の仲忠は「妻が死んでしまうなら自分も死ぬ」と言って願掛けをして大騒ぎ。
仲忠が死ぬ死ぬと騒ぐので、仲忠の父母も大騒ぎ。仲忠の母は「自分が代わりに死ぬ」といって泣き騒ぎます。

そんな愁嘆場の中で、女一宮の祖父でありあて宮の父である源正頼が「きっと産婦が疲れてしまってこういうことになってるんでしょう。自分は沢山の子の父で、娘たちの子供たちも世話して生ませてきたのだから、自分が生かしてあげますよ」と言い出し、仲忠を励まします。

女一宮には母女御や仲忠の母など沢山の女が付き添っていましたが、彼女らも「もう助からないだろう」と諦め気味。
しかし正頼は、そんな女達を追い払って、仲忠を妻の側に入れさせます。

一の宮は薬湯すら飲めずぐったりと臥していましたが、仲忠が泣く泣く「私の心ざしだと思って薬湯を飲んで下さい」と懇願すると、ようやくわずかに薬湯を一口飲み、食べ物も一口食べることができました。
一方で、正頼と仲忠は加持の声をあまりうるさくさせないようにしたり、「騒がしすぎると良くない」と言って人を減らしたり、薬湯をしばしば飲ませ、魔除けの弦打をするなどテキパキと差配し、その甲斐あってか、女一宮は明け方になってようやく無事出産にこぎつけます。

 

この女一の宮の二人目出産では、子沢山の源正頼と夫の仲忠がタッグを組んで大活躍して無事出産にこぎつける、という展開。

まあなんつーか…

出産の時の夫の立ち会いは大事ですよね。

 

ちなみに源正頼は、妻は二人いますが、一人は元服の時の添い臥しをした大臣の娘で、一人は帝が彼を見込んで后腹の皇女を降嫁させたので、ふたりとも恋愛結婚ではなく社会的に決められた妻です。しかし正頼はその妻たち以外の妾妻や愛人など作った様子もなく、二人の妻に沢山の子供を生ませ続けているので、どちらかというと真面目で家庭を大事にする人だった模様。(源氏物語の夕霧は、正頼のキャラを参考にしてそうです)

 

「うつほ物語」は男性が書いたらしいですが(まあ露骨な下ネタを見ると、これは男が書いたものだなってしみじみ思いますが)、つわりでご機嫌斜めの妻の様子だとか、子供がわがままを言って髪の毛をひっぱって駄々をこねる描写、はいはいの子が物を掴んで壊してしまうなど、子供たちの描写がわりとリアルなので、それなりに家庭生活を営んでいて、子供の面倒もよく見ていた人なんではないかなと思われます。

 
その上、主人公の仲忠は、かつて片思いしていたあて宮への想いこそ多少引きずっているものの、女一の宮と結婚した後は、基本的に妻一筋。
その他の登場人物の男たちも、恐妻家で妻にベタぼれな男が多く、男性が書いたわりには(?)家庭を大事にする話になっています。

妻子がありながらあて宮への恋に狂ってしまって家庭をぶち壊しにし、あて宮が入内した後は絶望して田舎に引っ込んでしまった実忠という登場人物もいるのですが、実忠も、あて宮が説得して世に戻らせ、周囲がお膳立てをして妻子とよりを戻させて家庭を再生する方向に向かう、という話になっています。

読み手のメインが女性たちだったから、女性に受けるようにそういう話になったんですかね?
分かりませんが、男が家庭に落ち着いていく話と考えると、源氏物語とは逆ですね。

源氏物語で、紫の上が「物語などでも、浮気男や二股男とかかずらった女も、最後は一人の男と落ち着くようなのに、自分はいつまでもふわふわと落ち着けない身の上だ」といった嘆きをしていますが、宇津保物語のことも念頭にあったような設定でしょうか。