ふること

多分、古典文学について語ります

万葉集・大伴宿禰家持、交遊(とも)と別るる歌三首

ときどき、この前買った万葉集の文庫本をぱらぱら見ています。
それで目についた歌など。

 

万葉集巻四(相聞)、大伴宿禰家持、交遊(とも)と別るる歌三首

 

けだしくも人の中言聞(きこ)せかも ここだく待てど君が来まさぬ(680)

おそらく、人の中傷をお聞きになったからだろう。こんなに待っていてもあなたがいらっしゃらないことだ

 

なかなかに絶つとし言はば かくばかり息の緒にしてわれ恋ひめやも(681)

かえって仲を絶つと言うならば、このように命までかけて私はあの方を恋しないであろうに

 

思ふらむ人にあらなくに ねもころにこころ尽くして恋ふるわれかも(682)

私を思ってくれる人ではないのに、ねんごろに心を尽くして恋しく思っている私であるよ

 

大伴家持が、男性の友人に送った歌です。

いや別に、ワタシが元腐女子だからといって男性同士の相聞歌ばかり目につくというわけではないわけでもないんですが、だからといって別にBLソング♪とか言いたいわけではなくて、そういう関係とかそうじゃないとかそういうことはあまり関係ないんじゃないかというか、そうであってもなくてもいいんじゃないかとか、まあともかく、男性同士でも女性同士でも何でも、熱烈な歌を贈ったっていいんじゃないですかね!

いちいち区分して同性の異性のという現代的感覚の方がせせこましい気がします。

 

とりあえず、何かしら中傷が相手の耳に入ったのではないかと思うようなことがあり、家持より身分が少し高そうな人が、来てくれる筈なのに来てくれなかったとか、冷たくされたとか、そういうことがあったんですかね。

むしろ政治的な情勢とかが背景にあったのかな~とか思ってしまうんですが、さらっと検索もしてみましたが、相手が誰とかいう話は見かけなかった…
家持の方に政治的な思惑があって相手の機嫌を取ろうとしてこんな熱烈な歌を贈ったんだったりして?政治的策動なんじゃないかな?とか、妄想的にはモヤモヤ考えてます。

 

ともかくこんな風に、男女の恋歌の中にさらっと普通に男性同士の恋歌も混ざってる万葉集の世界観が好きだなあ。

よりを戻した夕霧夫婦と、別れてしまった髭黒夫婦と。

髭黒夫婦と夕霧夫婦の決定的な違い:結局よりを戻したということ

雲居雁と髭黒北の方のシチュエーションが似ている…という話をしたのですが、一方で、髭黒北の方は夫と完全に離婚してしまい、雲居雁は結局よりを戻した…というところが決定的に違うわけです。

 

なぜ雲居雁と夕霧はよりを戻したのか?戻せたのか?

また、たとえば紫の上の場合、夫と別れたわけではないけれど、思いつめて(?)病になり死にかけたり、あまり丸く収まった気配でもありません。少なくとも、女三宮の件で決定的に源氏との間で変わってしまったものがあり、元には戻れなかった。

 

しかし雲居雁の場合、家出までしたのにいつのまにか元鞘に収まっていて、物語中、よりを戻した経緯すら全く書かれておらず、ただ、夕霧が「一夜おきにきっかり15日ずつ雲居雁と落葉宮のもとに通うようになった」ということが分かるのみ。

その後の夫婦仲がどうかというと、描写は少ないのですが、「竹河」巻には、玉鬘の娘に失恋した息子が落ち込んでいるのを見て雲居雁は涙ぐんで心配しており、それに対して夕霧が「自分が無理にでも玉鬘に頼めば良かった」と言っている…という、夫婦揃って親バカ炸裂しているというか、妻の涙を見てフォローしたくて言ったのか、ともかく、柏木のことで夫婦なかよく一喜一憂してた頭中将夫妻と同じような雰囲気です。
まわりの評価も「双方に羨みがないようもてなしている」といった感じで、何というか事も無げというか、意外に平和に収まってしまっているという。

あれだけ揉めたのに、いったい何がどうなってよりを戻せたのでしょう…

 

家出した妻を迎えにいった時の夫の態度の違い

そもそも、髯黒北の方が実家に帰ってしまった時も髭黒は迎えに行ってますし、夕霧も雲居雁が実家に帰ってしまった時に、「父大臣の手前もあるので」と迎えに行ってます。

しかし、迎えに行って妻とやりとりする時の態度には、かなり違いがあります。

 

北の方が実家に帰ったと聞いた髭黒は、

「いと若々しき心地もしはべるかな。思ほし捨つまじき人びともはべればと、のどかに思ひはべりける心のおこたりを、かへすがへす聞こえてもやるかたなし。今はただ、なだらかに御覧じ許して、罪さりどころなう、世人にもことわらせてこそ、かやうにももてないたまはめ」など、聞こえわづらひておはす。「姫君をだに見たてまつらむ」と聞こえたまへれど、出だしたてまつるべくもあらず。(真木柱)

「たいそう大人げないような気もいたします。お見捨てになられるはずもない子供たちもいますから、と、のんびり構えていましたお詫びを、繰り返し申し上げても仕方がありません。今はただ、穏便にお許し下さい。言い逃れる余地もないように世の中の人たちも納得するようなことになったなら、このようになさるのも分かりますが」などと、申し上げる言葉にも困っていらっしゃった。「姫君にだけでもお会いしたい」と申し上げなさるが、北の方は姫君を大将の前にお出し申し上げるはずもない。

髭黒は、この部分のちょっと前のあたりで、内心で「自分は、妻の物の怪つきのおかしな振る舞いを長年大目に見てきたのに」と不満に思っていましたが、いざ妻を迎えに来た時は、さすがにそんなことは口には出しません。

実家に帰られてしまったという状況を「若々し」く感じる、つまり大人げないと非難がましく言いながらも、一応は下手に出て謝罪しつつ、子供たちを口実に、穏便に済ませてくれと頼み込み、娘に会わせてくれと要求します。しかしあっさり断られます。

 

一方で夕霧。

「今さらに若々しの御まじらひや。かかる人を、ここかしこに落しおきたまひて、など寝殿の御まじらひは。ふさはしからぬ御心の筋とは年ごろ見知りたれど、さるべきにや、昔より心に離れがたう思ひきこえて、今はかく、くだくだしき人の数々あはれなるを、かたみに見捨つべきにやはと、頼みきこえける。はかなき一節に、かうはもてなしたまふべくや」と、いみじうあはめ恨み申したまへば、

「今さら大人げないご交際をなさっているのですね。このような幼い人たちをあちこちに落としおきなさったりして、なぜ寝殿で姉君とお話などされているのです。私にふさわしくないご気性だと長年分かってはいましたが、前世の深い因縁でもあったのか、昔からあなたのことを私は忘れがたくお思い申し上げていて、今はこうして、煩わしい子供たちもたくさん可哀想な様子でいるのに、お互いに見捨ててよいものかと思ってあなたを頼みにお思い申し上げていたのです。ちょっとしたことで、こんな風になさってよいものでしょうか」と、ひどく非難しお怨み申し上げなさったので、


のっけから、雲居雁が子供たちを邸や実家の部屋に置いて、姉女御と話をしに行っていることを非難。
おまけに「ふさはしからぬ御心の筋とは年ごろ見知りたれどあなたの性格は私にふさわしくないって知っていたけれど」などと、真っ向から妻をディスっています
普段から妻を「鬼」呼ばわりしていたらしきことは、家出前のケンカでも話題に出ていましたから、夕霧は妻に対してはかなり口が悪い。というか、ずけずけ言うんですね。

その上で、子供たちを口実に、「こんなちょっとしたことで、子供たちを置いて家出するなんて」と攻め立てます。

他に妻を作ってくることがちょっとしたことですかそうですか。

髭黒に比べて、夕霧はずいぶんと妻に対して大上段です。髭黒は妻を内心でディスってても口には出さなかったのに、夕霧は言いまくり。
しかもこれ、直接言い合ったわけではなく、女房を介してのやりとりなんですよ。遠慮のエの字もありませんね、夕霧さん。

自分が妻を裏切っておいて、それで怒って家出した妻を迎えに来ておいて、こんだけ大上段な態度に出られるというのも珍しいんじゃないだろうか。

それに対して雲居雁の返答はこんなです。

 

「何ごとも、今はと見飽きたまひにける身なれば、今はた直るべきにもあらぬを、何かはとて。あやしき人びとは、思し捨てずは、うれしうこそはあらめ」と聞こえたまへり。 
「なだらかの御いらへや。言ひもていけば、誰が名か惜しき」とて、しひて渡りたまへともなくて、その夜はひとり臥したまへり。(夕霧)
「今となってはもう何もかも、あなたは私に飽き飽きなさってしまったのですから、今さら直るはずもないものを、どうしようもないと思いまして。みっともない子供たちのことは、お見捨てにならなければ嬉しく思いますわ」
とお返事申し上げなさった。
「流暢なお答えですね。煎じ詰めればあなたの不名誉になることでしょうに」と言って、あえてこちらにいらっしゃいとも言わずに、その夜は一人で寝てしまわれた。

どうせもうあなたは私のことが何もかも気に入らないのでしょ。「ふさわしからぬ」なんておっしゃる私の性格だって、今さら直しようもないんだからどうしようもないわ。こうして私たちの仲がおしまいになっても、子供たちのことはお見捨てにならないと嬉しゅうございますわ。


雲居雁も、負けてはいません。

夕霧が子供たちのことを「くだくだしき人」と言って、「あなたは子供たちが煩わしくて、邸に残したり部屋に残してよそに遊びにいったりしてるんだろう」みたいに皮肉を言ったのに対し、「あやしき人々」と答えて、「みっともない怪しげな子供たちで悪うございましたわね」的に答えています。

夕霧は、大上段に出て非難すれば、慌てて反省して妻が戻ってくるとでも思ったのかも知れませんが、かえって開き直られてしまったので、「結局はあなたの名折れになることなのに」とぶつくさ言い、そのまま子供たちと一緒に寝てしまいます。

そして、うんざりしながら眠って翌朝になってどうするかというと…
改めて妻を脅しにかかります。大上段な態度は変わっていません。

「人の見聞かむも若々しきを、限りとのたまひ果てば、さて試みむ。かしこなる人びとも、らうたげに恋ひきこゆめりしを、選り残したまへる、やうあらむとは見ながら、思ひ捨てがたきを、ともかくももてなしはべりなむ」と脅しきこえたまへば、すがすがしき御心にて、この君達をさへや、知らぬ所に率て渡したまはむ、と危ふし。

人が見たり聞いたりしても大人げないと思うでしょうから、あなたがもう終わりだとおっしゃっておしまいになるのであれば、そのように試してみいましょう。あちらの邸に残っている子供たちも、いじらしげにあなたのことを恋い慕い申し上げているようですが、あなたがわざわざ選んでお残しになったのも、わけがあるのだろうとは思いますが、私は見捨てがたいので、どうにかお世話することにしましょう」と脅し申し上げなさったので、思い切りのよいご気性だから、この子供たちさえも知らない所へ連れて行ってしまわれるだろうか、と、北の方は危うくお思いになる。


あなたが別れるっていうならば、試しに別れてみましょうか」と夕霧は妻を脅します。
おまけに、「あなたは気に入らない子供たちを邸に残したのでしょう」と皮肉り、「あなたが見捨てたそんな子供たちでも、私は見捨てられないので、どうにかお世話することにしますよ」と仄めかします。
雲居雁は、あっさり脅しに引っかかり「もしかして、子供たちを新しい妻のところに連れていくつもりでは…」と不安になります。

しかしそんな不安を感じたわりには、雲居雁は姫君をも夕霧に会わせているんですね。

 

姫君を、「いざ、たまへかし。見たてまつりにかく参り来ることもはしたなければ、常にも参り来じ。かしこにも人びとのらうたきを、同じ所にてだに見たてまつらむ」と聞こえたまふ。
まだいといはけなく、をかしげにておはす、いとあはれと見たてまつりたまひて、
「母君の御教へにな叶ひたまうそ。いと心憂く、思ひとる方なき心あるは、いと悪しきわざなり」と言ひ知らせたてまつりたまふ。

大将は、姫君に「さあ、こちらへいらっしゃい。あなたにお会いしにこちらにまいるのもみっともないことだから、私はいつもこちらにはこられません。あちらにも可愛い子供たちがいるのだから、同じ場所でお世話いたしましょう」と申し上げなさる。

姫君は、まだたいそう幼く、きれいな様子でいらっしゃるのを、たいそう愛しく思いながらご覧になって、
「母君のお教えになることに従ってはいけませんよ。たいそうなさけなく、物分りが悪いところがあるのは、とても悪いことです」とお教え申し上げなさる。


夕霧は、娘を「一緒に三条邸に帰ろう」と説得しつつ、かつ、「お母様みたいになっちゃいけませんよ」と妻の悪口を言い聞かせています。(ってか子供に悪口いっちゃダメだろ…)が、
まあ何ていうか正直、自分の浮気を棚に上げて妻を責めまくって子供にまで妻に悪口をいう夕霧クン、大変おとなげないですね

妻に家出されて、逆ギレしまくっております。

 

遠慮がちに物を言っている髭黒と比べると、言いたい放題な夕霧

そこまで言っちゃうの、という感じで、この時はこれで物別れになってしまいます。

 

関係の修復に向かいそうもない「夕霧」章での描写

その後、雲居雁の父大臣も「家出してきたのは軽々しいしもうちょっとそのまま様子を見るべきだったけど、家出してしまったものは仕方がない」と言って、娘をすぐに帰そうともしません。

夫の側は、自分が他に新しい妻を作って妻を裏切っておきながら、妻を責め立てることしかせず、しまいにはお互いに「別れよう」とまで言って物別れになり、夫は新しい妻のご機嫌とりに何日も右往左往。妻はどうしようもなくて嘆くばかり。

そんな状態で、章の最後は「この御仲らひのこと、言ひやるかたなく、とぞ」と締めて、その後どうなったということを書かずに終わりになります。

これはもう、修復難しそうって思いますよね。

 

なぜか、いつのまにかよりを戻している…

それなのに、2年ほど後の紫の上の死後の五節の頃には、雲居雁の弟たちが、夕霧の父である光源氏の邸に『思ふことなげなるさま』で夕霧と雲居雁の子供たちを連れてきているわけで、夕霧と雲居雁はとっくの昔によりを戻していることが間接的に分かるわけです。

その間の事情、語られず。

髭黒の北の方については、ちらちらと「すっかり別れてしまったけれど生活の面倒などは髭黒が見ていた」とか「真木柱の姫君は、髭黒の反対にも関わらず式部卿宮が蛍兵部卿宮と結婚させた」など語られているのですが…

 

似たようなシチュエーションで、妻の家出と迎えに行った夫との決裂という経緯を辿ったのに、なぜ正反対の結果になったのか。
なぜ作者・紫式部は「よりを戻した」経緯を書かなかったのか。

 

ここはやはりこれだけ詳細に夕霧と雲居雁夫妻について描いてきて、さりげなく紫の上・髭黒の元北の方との対比を浮き彫りにさせてきた以上、作者としては「ここまで描いてきたことで、どうして結果が違ったのか分かるでしょう」と言いたいのかな、と思うのです。

 

ひとつの伏線は、雲居雁の父大臣が、夕霧の新しい妻の落葉宮に圧力をかけたこと。
落葉宮の立場からしたら、夕霧が雲居雁と本当に別れてしまったら、有力者一族を完全に敵に回してしまうことになるわけで。

もうひとつの理由は何かというと…陳腐なようですが、やっぱり愛情と信頼の違いなんだろうな~と思います。
それは髭黒とその北の方との描写の違いでは顕著であるのですが、源氏と紫の上の描写との比較でも、どこかしら違っている部分だと思うのです。

以下次号…

 

髭黒大将の北の方と雲居雁の類似

紫の上のことをあれこれ考えていて、女三宮降嫁後の彼女の失望はどこまでが愛情ゆえでどこまでがプライドゆえのものだったのだろうとか、体面とかプライドとか矜持とか、そういうものを「愛情問題」とは別に扱うとしたら、まずは平安貴族にとっての体面がどういうものだったかというのをちゃんと検討しなきゃなとか考えて、難しい思考に陥ってしまったので、ちょっと棚上げしてみようかと思ったり。

 

で、前から気になっていたところで、髭黒大将の元北の方と雲居雁って設定が結構似てるよね、という話をしてみる。

 

似ているってつまり、こんな感じです↓

  1. 夫は有名な真面目人間(まめ人)で出世頭、現在は「大将」
  2. 愛人はともかく、れっきとした妻は、長年一人だけだった
  3. 二人の間には子供が何人もいる
  4. 夫がいい年して突然、他の女への恋に夢中になった
  5. その女を無理やり妻にしたため、新しい妻は、結婚前も後も夫を嫌っている
  6. 新しい妻と元からの妻は、縁戚関係にある
  7. 新しい妻へ行く前に元からの妻を夫がなだめようとして揉める
  8. 夫が新しい妻に夢中なので、妻は家出してしまった
  9. 家出したところに夫が迎えに来るが、会わないで帰す。

狭い平安貴族の世界なので「浮気され妻」として設定が似通ってしまう…とだけで片付けるには不自然なほど、髭黒の元の北の方と雲居雁の設定は似てるんですよね。

 

以下、さらっと細かいとこ見ていきます。

 

1.夫が有名な真面目人間(まめ人)で出世頭、東宮の伯父で、現在は「大将」

本文から引用してみると、

大将は、名に立てるまめ人の、年ごろいささか乱れたるふるまひなくて過ぐしたまへる…(真木柱)
(髭黒)大将は真面目で有名な人で、長年少しも乱れた振る舞いもなく過ごしていらっしゃったのが…

まめ人の名をとりて、さかしがりたまふ大将…(夕霧)

真面目人間という評判を取って、分別ありげにふるまっていらっしゃった(夕霧)大将は…

 夫の性格描写が似たような感じですね。

一方で髭黒は「ひたおもむきにすくみたまへる御心(真木柱)一徹でかたくなな御性分」とか、「情けすこしおくれ、むらむらしさ過ぎたまへりける御本性にて(竹河)いささか思いやりがなく、気まぐれが過ぎる御性格で」など、あまりよろしくない性格描写があります。

夕霧は、容姿は光源氏似でやたらめったら褒められておりますが、性格については、

おほかたの人がら、まめやかに、あだめきたるところなくおはすれば(乙女)

おおよその人柄が、真面目で浮ついたところがない様子でいらっしゃるので

こちらは地の文での描写。

かばかりのすくよけ心に…(夕霧)」
これほど一本気な性格であるのに

これは光源氏が夕霧の性格を評して考えている場面です。親から見ても「一本気で真面目な性格」なわけです。

一方、妻たちから見るとどうかというと、

宮は、「いと心憂く、情けなくあはつけき人の心なりけり」と、ねたくつらければ(夕霧)
落葉宮は、「たいそう不快な、思いやりがなく軽率な人の心であったものだ」と腹立たしく耐え難いので

「不快だ」「思いやりがなく軽率だ」と、落葉宮から見た夕霧の性格評は散々です。

雲居雁

すがすがしき御心にて(夕霧)

思い切りが良い御性格なので

といった感じに見てますね。
やはり、真面目・まっすぐで一本気、ちょっと思いやりという面では至らぬところがある(まあ夕霧の落葉宮への態度から見ると、無神経なところも多々ありますし)…といった性格は、わりあい髭黒と夕霧は似た感じです。
(ただ、さすがに夕霧は、情けという面では父光源氏ほどこまごまと思いやるような面はないものの、思慮が浅いわけではなく、また髭黒ほど思いやりに欠けているわけでもなさそうです)。

また、夕霧も髭黒も、離婚騒ぎの当時は「大将」の位にあります。
真木柱巻の髭黒が右大将、夕霧巻の夕霧が左大将です。

大将というのは近衛府の長官で、大臣や大納言が兼任することが多く、かなり重々しく出世頭の役職で、もうじき摂政関白?という感じの地位です。
髭黒は真木柱当時、東宮の伯父でした(妹・朱雀院の承香殿の女御腹の皇子が当時の東宮)。また、夕霧巻の当時、夕霧もまた東宮の伯父でした(妹・明石の女御腹の皇子が東宮)。

ね、かなり設定似通ってるでしょ。

 

2.愛人はともかく、れっきとした妻は、長年一人だけだった

髭黒大将は、召人(女房身分の愛人)はそれなりにいたようですが、他にこれといった妻はいなかったようです。
夕霧は、子供が多かったのでいちおう藤典侍は妻の一人と言えるでしょうが、身分が違うので、やはりれっきとした妻は雲居雁一人だけでした。

 

3.二人の間には子供が何人もいる

髭黒は、元北の方との間に女の子が一人、男の子が二人がいました。
一方で夕霧と雲居雁の間には、女の子が4人(あるいは3人)、男の子が4人ほど。子供の人数は諸説ありますが、だいたい7~8人いたわけです。

結婚して10年ほどのうちにこの子供の数。すごいですね。
落葉宮との結婚騒ぎが起きるまではいかに夫婦仲が良かったか、窺い知れます。


髭黒と元北の方との間は、北の方の「物の怪」(と言い訳してるけど、実のところ何らかの精神障害ですかね…)を理由としていささかうとうとしくなっていたので、子供も3人どまりだったんですかね。それでも少なくはないですが…


4.夫がいい年して突然、他の女への恋に夢中になった

そんな真面目人間が、突然恋に浮き身をやつし、馴れない色男ぶりを発揮して新しい女を妻にしようとさまよい歩くようになるわけです。
髭黒が玉鬘に夢中になってうろつくさまも、夕霧が落葉宮に夢中になりつつ手を焼いてうろつくさまも、わりあいコミカルに描かれています。

 

5.その女を無理やり妻にしたため、新しい妻は、結婚前も結婚直後も夫を嫌っている

玉鬘は、結婚前は髭黒を夫候補として歯牙にも掛けていませんでした。そんな玉鬘の元に女房の手引で忍び込んで無理やり妻にしたため(ってか強姦ですね…)、玉鬘は妻にされた後もしばらくの間、夫を嫌い抜いています。
若紫も、無理やり妻にされた後、しばらく光源氏に対して怒っていましたが、怒るレベルではなく「嫌っている」と言ってもいいぐらい。
髭黒のすることなすこと気に喰わないみたいな描写が連続しています。


一方で落葉宮。
結婚前も、さっきの描写のように「いと心憂く、情けなくあはつけき人の心なりけり」とか評していますし、とことん夕霧を嫌がって塗籠にこもるまでしていて、結局は女房の手引で無理に妻にされてしまいますが(まあ結局は強姦ですよね…)、その後は「かういみじう衰へにたるありさまを、しばしにても見忍びなむやこのようにひどく容貌が衰えてしまった自分の有様を、大将は少しの間でも我慢できるだろうか」 と考え、自分の容貌に劣等感を持っている様子があり、ちょっと心が弱くなっている様子も見えます。
しかしそれでも、そのあとに雲居雁父の内大臣から恨み言を言われ、かつ弟の蔵人の少将に脅されたこともあり、落葉宮は「いとどしく心よからぬ御けしきひどく不快そうなご様子」でいます。

自分が妻にされたことで古くからの妻との間で騒動が起き、古い妻側に恨まれるのも不本意であるとして、新しい妻の機嫌が悪くなる…というのも、玉鬘と落葉宮に共通しています。

この時代、人に恨まれると物の怪として取り憑かれたりしますしね。やはり、自分の意思でもなく妻にされたことで人に恨まれるのは嫌ですよね。

まあそうは言っても、玉鬘も落葉宮も、結婚生活が続くにつれて諦めた?のだか、情が湧いたのだか、それなりに円満な夫婦仲になっていくようではありますが…

 

6.新しい妻と元からの妻は、縁戚関係にある

髭黒大将の元北の方は、新しい妻である玉鬘の養父、光源氏の妻である紫の上の姉。
落葉宮は、雲居雁の亡兄の妻。
ともに、縁戚関係にあってちょっと話がややこしかったりします。

紫の上のもとには、父の妻・姉の母である人が紫の上を悪し様に言っているのがほの聞こえてきますが、「自分にはどうしようもないこと」と困っています。

一方で、太政大臣たる光源氏を養父とし、内大臣を実父とする玉鬘本人には、式部卿宮もその妻も手の出しようがないのですが…

 

7.新しい妻へ行く前に元からの妻を夫がなだめようとして揉める

一応夫の側も、新しい妻に夢中でも、だからといって子供までいる長い付き合いの妻をすぐに捨てようとまで思っているわけではないのです。
なので、一応は妻をなだめようと試みます。

しかし、髭黒の場合は、新しい妻のもとに出かける準備をしていたら、香壺の灰をぶっかけられるという大騒動になります。

夕霧の場合は、ハンストしている妻を適当に寝技に持ち込んでなだめようとしたら「死になさい」など罵られる始末。

…ただ、この後は結局雲居雁も適当に言いくるめられ、なだめられてしまった気配もあり、そこは、決定的な妻への愛想尽かしにつながった髭黒のパターンとちょっと違った部分です。

8.夫が新しい妻に夢中なので、妻は実家に帰ってしまった

髭黒の妻も、雲居雁も、夫が新しい妻の元へ行って帰ってこない間に、見切りをつけて実家に帰ってしまいます。

髭黒の元北の方の実家も、当時の帝の伯父である式部卿宮ですから、なかなかの権門です。雲居雁の父も、当時致仕太政大臣
ふたりにはそれぞれ、帰る家、迎えてくれる親がいたわけです。

ただ、髭黒の妻の場合、父が積極的に迎えを寄越して引き取ったのに対し、雲居雁については自分からさっさと実家に帰ってしまい、父には「もうちょっと留まって様子を見るべきだったのに」と言われています。

9.家出したところに夫が迎えに来るが、会わないで帰す。

何しろ子供たちもいますし、髭黒も、夕霧も、妻が実家に帰ったことを知って、慌てて迎えに来ます。

しかし、髭黒の妻も雲居雁も、夫には会おうとしません。

もっとも、髭黒の妻は髭黒が娘に会いたいと望んでも会わせなかったのに対して、雲居雁は、姫君をも夕霧に会わせているところが大きな違いでしょうか。

 

…とまあ、夫婦の設定も、成り行きも、わりあい似たところがあるんですね。

 

なんでこんなに設定が類似しているのか?

これだけ似通っているというのは、やはり「わざと設定を似せた」のではないかな、と私は思うのです。
以前、紫の上と雲居雁の設定も意外と似ているという話をしました。

 

雲居の雁の話(2)。主に紫の上との共通点について
雲居の雁と紫の上の話の続き(2-2)をしつつ、藤原道隆の三の君の話。
雲居の雁と紫の上の共通点・最終回(2-3)。嫉妬プレイで倦怠期打破!

 

紫の上と雲居雁の設定にも共通点がある。そして雲居雁と紫の上の姉、髭黒大将の北の方にもかなりの共通点と同じ運命の成り行きがある。

源氏物語の作者は、この三人の女を配置し、髭黒大将の北の方を介して雲居雁と紫の上との対比を浮き彫りにさせるような物語の構造を意図したのではないかな…という気がしています。

 

次回、髭黒大将の北の方と雲居雁の対比の意味、違っている部分を掘り下げてみようかと思います。

長皇子→弟皇子への恋歌を見かけて驚いた話

ブックオフでぶらぶらしていて、たまたま「万葉集 対訳古典シリーズ 桜井満訳注/旺文社」の上巻が100円で置いてあったので、「そういえば文庫本の万葉集はもってないなあ」と思って手にとってパラパラとめくったら目についた歌が

 

  長皇子、皇弟(いろと)に与ふる御歌一首

丹生(にふ)の川瀬は渡らずてゆくゆくと恋(こひ)(いた)き我が背いで通ひ来ね(万2-130)

 

丹生の川の瀬は渡らないで、胸が痛むほど恋しい我が弟よ、どんどんとまっすぐこちらに通って来なさい

 

………弟?

 

唐突すぎるように感じて、ちと目を疑いました。

なぜ弟。どう見ても恋歌なんですが。「相聞」歌の中に入ってるし。

 

注に「作歌事情不明」と書いてありました。詞書にも「皇弟へ与ふる御歌」としか書いてないもんね。

 

wikiってみたり検索してみたり軽くウェブで調べてみましたが、弟というのは同母弟の弓削皇子のことだろう、とありました。

同母弟…というとますます不思議な気も……

 

弓削皇子というと、紀皇女への恋歌がいくつか万葉集に載っていて、20代ぐらいの若さで兄の長皇子に先立って亡くなった人です。


シチュエーションについてなんにも説明がないのでどうとも解釈しようがないんですが、逆に特に「こういう事情で」という説明がないからこそ、弟を想う歌でも相聞歌のうちにポンと入れるのが普通だったりするのかなあ…と思い、相聞歌をぱらぱらと見てみたら。

 

たとえば巻四の相聞歌の中に、こんなのありました。

 

大伴の田村(たむらの)家の大嬢(おほいらつめ)、妹坂上大嬢(さかのうへのおほいらつめ)に贈る歌四首


外にゐて恋ふるは苦し 我妹子を継ぎて相見む事(こと)(はか)りせよ(万4-756)

遠くあらばわびてもあらむを 里近くありと聞きつつ見ぬがすべなさ(万4-757)

白雲のたなびく山の高々(たかだか)に 我が思ふ妹を見むよしもがも(巻4-758)

いかならむ時にか妹を 葎(むぐら)(ふ)のきたなき宿に入りいませなむ(巻4-759)

外にいて恋しく思っているのは苦しいことです。あなたにいつも会えるような手立てを考えて下さい。

遠くにいるならば、ただ切なく思っていましょうが、里近くにあなたがいると聞きながら逢えないのは辛いことです。

白雲がたなびく山のように高々と私が恋しく思っているあなたに逢う方法があれば良いのに

どのような時になれば、あなたをこの雑草の生い茂る汚い家に迎え入れられるでしょうか。

 

これらも恋歌にしか見えない感じですが、こちらには説明がついていました。田村大嬢と坂上大嬢は姉妹なのだけれど、母が違っていて住んでいる場所が違ったので、「姉妹諮問(とぶら)ひに、歌を以ちて贈答す」だそうで…。


なるほど、こうして見ると、兄弟愛だろうが姉妹愛だろうが男女の愛だろうが何だろうが、どういう間柄の愛であろうと相思う歌は「相聞歌」であって、恋だの愛だの区別しない感じですかね。

愛に区別なんぞいらない。さすが万葉集、おおらかな感じでいいですね。

 

 

八十歳童貞魔法使い…じゃなかった、老僧の純真な欲望話

別に古典で下ネタ話ばっかり探して読んでるわけではないんですが、ついつい目が止まってしまったりはします。

 

宇治拾遺物語、巻四の8に、面白い話を見つけました。

命婦(源祇子)という女房がいて、その人は清水寺にいつもお参りしていました。彼女の師は法華経八万四千余部も読み、戒律を守ってきた八十歳の清い僧でした。
三十歳どころじゃありません、その2.7倍ほどの八十歳でございます。

魔法使い通り越して仙人とかそういうレベルでございますね。

し か し 。

爺さん、せっかく人生八十年を清く正しく童貞として生きてきたのに、若く美しい進命婦という弟子?を見て「欲心を起し」、あげくに病気になって死にそうになってしまいます。
様子を怪しんだ弟子たちが師に問いただすと、この老僧は

「まことは、京より御堂へ参らるる女に近づき馴れて、物を申さばやと思ひしより、この三か年不食の病になりて、今はすでに蛇道に落ちなんずる。心憂き事なり」

「実のところ、京から御堂に参詣なさる女に近づき慣れ親しんで物を言いたいと思ったことから、この三年物を食べられない病になって、今はもう死んで蛇道に落ちようとしているのだ。辛いことだ」

 と白状します。
ってか、弟子にそんなこと言えちゃうんだ。純だなあ。

 

そして白状されたお弟子さんの反応というのも、なかなか甲斐甲斐しい。

なんと、進命婦ご本人のところに行って、「うちのおっ師匠さん、こんなこと言ってまっせ」と話しちゃうんですね。


そうしたら進命婦は老僧のもとにやって来ます。
この老僧は、三年もの間、頭を剃らず、髭や髪が銀の針を立てたようになっていて、鬼のような外見であったと。

しかし、それでも進命婦、ひるみません。

恐るる気色なくしていふやう、「年比(としごろ)頼み奉る志浅からず。何事に候(さぶら)ふとも、いかでか仰せられん事そむき奉らん。御身くづほれさせ給はざりし先に、などか仰せられざりし」

命婦が恐れる様子もなく言うには、「長年、師としてあなたを頼みにお思い申し上げてきた私の志は浅からぬものです。なにごとでありましょうと、仰せになることにそむき申し上げることなどあるはずがございません。なぜ、お体が衰えなさってしまわれる前におっしゃって下さらなかったのですか」

言ってくれればやらせてさしあげたのに、なぜそんなに弱ってしまってくずおれるまで言って下さらなかったのですか?


くずほれさせ給はざりし先に」っていう言葉の選び方が笑えますね。文字通りっていうか単刀直入っていうか。

八十歳の童貞おじいちゃんを前にして、「元気があればやらせてあげるわよ」って、この人まだ二十歳前後とか、そんなもんだと思うんですよ年齢は。
かなりの太っ腹ねーちゃんです。

 

その言葉を聞いて感激した老僧は、八万余部読んだ法華経の中から最も功徳のある文句をあなたにさしあげます、と言って、

俗を生ませ給はば、関白、摂政を生ませ給へ。女を生ませ給はば、女御、后を生ませ給へ。僧を生ませ給はば、法務の大僧正を生ませ給へ。

俗人をお産みになるならば、関白・摂政をお産みになられますように。女をお産みになるならば、女御、后をお産みになられますように。僧をお産みになるならば、法務の大僧正(大寺院の最高の僧職)をお産みになられますように。

と言うやいなや死んでしまったのだそうです。

そして、実際にその進命婦は、藤原頼通藤原道長の嫡子)に愛されて、それぞれ摂政・関白になった藤原師実後冷泉天皇に女御として入内し皇后になった藤原寛子、覚円(園城寺法務・天台座主)を産んだということですよ…

と、ハッピーエンドなお話になっております。

 

頼通の正妻やもう少し身分の高い妻には子がなかったり、若死にしてしまったりしたことから、身分が定かでない進命婦(源祇子)が産んだ子たちが頼通の嫡子扱いになって、それぞれ出世したということなようです。

 

ある意味微笑ましいエピソードなのですが、何ていうか現代的感覚よりももっとおおらかな雰囲気がありますよね。

八十歳まで戒律を守って不犯で来た老僧がうら若い女に欲情を抱いたことに対して、弟子とかも「そんなとんでもない…」とか「うげ、キモ!」とかいう反応ではなく、師匠に同情して進命婦に話をしに行くわけです。

その上で、当の命婦の太っ腹な返答。


確か、空を飛べる能力まで身につけた仙人が、川で洗濯をしている若い女の太ももを見て欲情し、墜落しちゃったなんていう話がどっかにあったと思うんですが、悟り澄ましたようでも、いくつになっても人間の本能というか欲情っていうものは、ふとした隙に襲いかかってきて人を捉えたりするものなのでしょう。

老いてなお欲情に囚われた苦しみは、ある意味みにくくも滑稽な姿でもあるのですが、若者たちに温かい眼差しを向けられ、受け入れられることによって、言祝ぎを残して老人は安らかに死んでゆきます。

 

いいなあ、この進命婦のキャラ。自分にゃ無理だろなって思うけどね!

夫が新しい妻の元へ行くのを見送る妻たち2-2~女三宮降嫁直後の紫の上

 

 さて、いざ女三宮降嫁後の紫の上の心境です。

対の上も、ことに触れてただにも思されぬ世のありさまなり。 げに、かかるにつけて、こよなく人に劣り消たるることもあるまじけれど、また並ぶ人なくならひたまひて、はなやかに生ひ先遠く、あなづりにくきけはひにて移ろひたまへるに、 なまはしたなく思さるれど、つれなくのみもてなして、御渡りのほども、もろ心にはかなきこともし出でたまひて、 いとらうたげなる御ありさまを、いとどありがたしと思ひきこえたまふ。

対の上(紫の上)も、折に触れて何もないようにはお思いになれない状況でした。
本当に、このようなことでひどくあちらにひけを取って影が薄くなるようなことはないだろうけれども、このように並ぶ人もない状況に馴れてきていて、華やかな様子で将来の長い若い女三宮が侮りがたいご様子で六条院に移っていらしたので、(紫の上は)何となく体裁が悪いようにお思いになるけれど、あえて平静を装って、女三宮が六条院へお渡りになるにあたっても、六条院と心を合わせてこまごまとした準備もなさって、たいそういじらしいご様子であるのを、六条院はめったにない素晴らしいことだとお思い申し上げなさる。

 紫の上は、女三宮が降嫁してきたからといって、夫の愛がすぐさま女三宮に移って自分への愛情が劣ってしまうようなことになるとは思わないけれども、今まで六条院の一の人として君臨し、その状況に馴れてきた中で、侮るわけにはいかない高い身分の正妻として女三宮が現れることを、「なまはしたなく」(どっちつかずで落ち着かない、中途半端だ、きまりが悪い、体裁が悪い…といった感じ)思います。

ポイントは、やはりここでも、源氏の愛情自体をすぐに疑っているわけではないけれど、この状況が「きまり悪い・体裁が悪い」と感じていること。

しかしその内心を表さずに女三宮降嫁準備のための雑用を、源氏と共にあれこれしてやっている態度に、源氏は感激しています。
ある意味、源氏にとっては大変幸先が良い、都合の良い態度を紫の上は取っているわけです。

 

なお、降嫁後に光源氏女三宮に行くところを見送る紫の上の心境描写は以下のようです。

三日がほどは、夜離れなく渡りたまふを、 年ごろさもならひたまはぬ心地に、忍ぶれど、なほものあはれなり。 御衣どもなど、いよいよ薫きしめさせたまふものから、うち眺めてものしたまふけしき、いみじくらうたげにをかし。
六条院が3日間は夜離れなく続けて女三宮のもとにお渡りになるのを、(紫の上は)長年そのようなことに(続けて他の女性の元に夫が通うことに)慣れていらっしゃらないので、我慢はなさるけれど、やはり何となく寂しく感じる。(六条院の)ご衣装などに、いっそう香を薫きしめさせなさりながら、物思いに沈んでいらっしゃるご様子が、たいそういじらしく美しい。

 新妻のところに通うために身仕舞いをするのに、妻の前で夫の衣服に香を薫きしめる…というのが定番の描写ですね。
ここでは、何も言わずただ物思いに沈んでいて、その様子を源氏が「らうたげにをかし」いじらしく美しいと見ています。
そして

「 などて、よろづのことありとも、また人をば並べて見るべきぞ。 あだあだしく、心弱くなりおきにけるわがおこたりに、かかることも出で来るぞかし。若けれど、 中納言をばえ思しかけずなりぬめりしを」

いかなる事情があったからといっても、他の妻をこの人に並べて見るべきではなかったのに。浮気性で、心弱くなってしまった私の過失のために、このような事態になってしまったのだ。若いけれど、中納言のことは朱雀院も女三宮の婿として検討することができなくなったようであるのに。

と源氏は後悔します。


中納言というのは息子の夕霧のことで、朱雀院は最初に夕霧を女三宮の婿として第一候補にしていたのですが、夕霧は、ちょうど長年の想いが叶って三条の北の方、雲居雁と結婚したばかりでした。
実際、朱雀院が夕霧と対面した時に、女三宮のことをさりげなく仄めかしたことがあったぐらいです。なので、そこで夕霧が前向きな意向を漏らせば、とんとん拍子に女三宮は夕霧へ降嫁することに決まったに違いないのですが、夕霧としては、内親王を妻にするのは名誉なことだとは思うものの、

「女君の今はとうちとけて頼みたまへるを、年ごろ、つらきにもことつけつべかりしほどだに、他ざまの心もなくて過ぐしてしを、あやにくに、今さらに立ち返り、にはかに物をや思はせきこえむ、なのめならずやむごとなき方にかかづらひなば、何ごとも思ふままならで、左右に安からずは、わが身も苦しくこそはあらめ」

女君(妻の雲居雁)が、今は安心と心を許して自分を頼みに思っていらっしゃるのに、長年あちらの薄情な扱いにかこつけることができた間ですら他の女をという心もなく過ごしてきたのに、今更分別もなく後戻りして、急に物思いをおさせしてしまうことになる。並一通りでなく高貴な方に関わりができたら、万事自分の思う通りにもならず、両方を気遣って、自分も辛いに違いない。

と考えて、女三宮降嫁の件は見送るのです。

 

ってか夕霧クン。この時点ではとっても立派です。その理性をなんで中年になっても保っていられなかったのか。


夕霧のこの述懐は、後年の夕霧自身と雲居雁の関係にそのまんま当てはまる内容ですがね。まあこの時点で女三宮が夕霧に降嫁していれば、女三宮が第一の妻、雲居雁が第二の妻みたいになったでしょうから、後年の落葉宮との恋愛?沙汰の方がまだマシだったでしょうね。

にしても、息子が「自分を信頼しきっている妻を裏切って物思いをさせるのが可哀想だ」と妻を思いやり、また「高貴な人を妻にすると、両方に気を遣って大変だ」と自分自身についても冷静に予測できているのに、なんで光源氏はその程度の理性もなかったんですかね?

何でもかんでも、源氏は藤壺宮がちょっとでも関わると理性が飛ぶっていうのはあるけれど
後年の夕霧も理性吹っ飛んでますが、まあそれは落葉宮への恋そのもので理性吹っ飛んでるんであって、ありがちな話かも知れないけど、なんつーか源氏は女三宮への恋で理性吹っ飛んでるわけですらないところがたち悪いですね。

ここで源氏は一度紫の上の信頼を裏切ってしまった訳ですが、結果論としては、源氏の紫の上への愛情は、女三宮の降嫁後も変わることはありませんでした。

もし女三宮が源氏の期待した通り、美しく知的な少女だったらどうなったのか?それは分かりませんが…

しかしとりあえず、源氏は大切に育てられた皇女にも全く見劣りすることなく、知性も教養も美しさも、何もかもが素晴らしい紫の上への愛情を新たにします。

 

しかし、紫の上はこの時点では、前述のように決して源氏の自分への愛情自体にそこまで不安を覚えていた訳ではないようなのです。

ある意味それもすごいというか…

30歳過ぎて、夫が十代の若い妻を迎えているのに、それが恋愛結婚ではないからというのもあるのでしょうが、ここまで落ち着いてふるまえる紫の上の自信も大したものだ…という気がします。

若い妻を迎える準備に協力し、何も言わずに支度を手伝い、文句の一つも言いません。

 

それでも物思いに囚われている様子に、源氏は後悔に駆られて必死に慰めようとし、自分の愛情が変わらないことを訴えようとしますが、さすがに朱雀院の手前あまり女三宮を軽んじるわけにも行かないので、「もうあちらには行きません」とも誓えず、逡巡します。

紫の上は「ご自分でもお心を定めかねていらっしゃるのに、私には何ともあてにできませんわ」とほほえみながら軽くいなします。

源氏は、紫の上が手習いで「あてにならない夫婦仲なのに、頼みにしてしまったことだ」といった意味の古歌を書いていたのを見て、変わらぬ仲を誓うような歌を書いたりしていて、女三宮のところに行かねばならない時間になってもなかなか行きません。

それを紫の上は「かたはらいたきわざかな/心苦しいことですわ」と言って、出かけるように急かします。

 

 

この「かたはらいたきわざかな」という言葉は、女三宮にとって「かたはらいたし」ならば「早く出かけないとあちらにとって気の毒ですわ」とも解せるし、あるいは、自分にとって「かたはらいたし」つまり自分が決まりが悪い、恥ずかしい…という風にも解せます。

後者なら、「源氏があちらに行くのが遅くなると、自分が引き止めているように思われて決まりが悪い」といったニュアンスになりますね

どうなんでしょうね。後者と取る方が素直かも知れません。

 

そう言って源氏を送り出した紫の上の胸に去来していたのは、愛情を裏切られた思いなのかどうか…?

源氏自身が必死に変わらぬ愛を誓っていることもあり、紫の上はやはり、どちらかというと源氏の愛情が移ろうことよりも、自分の立場、体裁のことを気にしている雰囲気があります。

この時点で、既に、愛情の問題と考えている源氏と紫の上の間に溝ができてしまっている、不穏な雰囲気があるわけです。

 

というところまでで以下次号。

夫が新しい妻の元へ行くのを見送る妻たち2~紫の上

 

源氏物語に描かれた、「夫が新しい妻を作り、元からの妻が、夫が新しい妻の元へ出かけていくのを見送る」という場面。

最初に描かれたのは、紫の上の異母姉、式部卿宮の長女と髭黒大将との場面でした。

結局、式部卿宮邸に引き取られた北の方は髭黒大将とは離婚してしまい、娘の真木柱の姫君は、父髭黒が反対したにも関わらず(おそらく髭黒は姫君を入内させたかったんでしょうね)、祖父式部卿宮の世話で蛍兵部卿宮と結婚するが、あまりしっくりいかず…ということになりました。

 

紫の上からすると、自分の夫の養女(玉鬘)が髭黒大将の新しい妻であるため、自分が恨まれてしまう…と困惑しており、実際、姉も継母もその通り紫の上をひどく非難したり恨んだりしていたわけですが、その後しばらくたって、今度は自分が姉と同じ立場に陥ってしまう羽目になります。

髭黒大将と前の北の方との離婚騒動の2~3年後ぐらい、光源氏が四十の賀を迎える頃。
三十一~三十三歳ぐらいだった紫の上は、夫が朱雀帝の女三宮を正妻として迎えることとなり、それまでの「正妻同等」として六条院の事実上の女あるじとして君臨していた立場を追われてしまうことになります。

 

紫の上の立場~「対の上」という呼称

原典での紫の上の呼称に「対の上」という呼び方がありまして。

大鏡とか栄花物語とかもかな?「対の御方」「対の君」という呼び方はそれなりに他作品でも見かける呼び方なのですが、だいたいは「上」ではなくて「君」か「御方」で、召人(女房身分で主人の愛人になっている人)とか女房身分だけどその中ではちょっと地位が高そうな人とか、妻の一人だけど第一の妻ではない妻だとか、そういう人に使われていることが多いです。

「対」というのは、寝殿造のメインの寝殿ではなく、それに付属した建物ですが、その「対」に住んでいる御方とか君とか、そういう感じです。
寝殿に住まう妻は「北の方」なわけで。それよりちょっと落ちる感じ。

ただ、「対の御方」「対の君」といっても、ただ「対に部屋をもらって住んでいる」というだけでなく、「対にお住まいの方」として、対の建物がその人の居住区域として認識されているようなニュアンスになるわけですから、屋敷の主人にそれなりに重んじられている立場の人、という感じの呼称なわけです。

そしてまた「上」と「御方」「君」を比べると、呼び方のランクとしては、「上」の方が「御方」よりも敬意が上というか、地位が上というか。

「上」と呼ばれている場合、「北の方」とほとんど同じようなニュアンスで使われることも多いイメージかな。「上」は「主人」というニュアンスですから、女主人に使う呼称であって、ただ「御方」というのよりも格上な感じです。


「対」という寝殿よりも格が落ちる建物と、「上」という格上な呼び方とを組み合わせてある「対の上」というのはかなり特殊な呼び方で、こんな論文もあったりします。

 

「対の上という呼称」ーー特異な呼称の描くもの(鵜飼祐江)※「祐」は「示」偏

https://www.jstage.jst.go.jp/article/chukobungaku/85/0/85_63/_pdf

 

なお、上記の論文には、北の方が必ず寝殿に住むわけでもないとして、蛍兵部卿宮に死に別れた後、紅梅右大臣の北の方になった真木柱の姫君は「北の対」に住んでいたと推定されると記されています。
真木柱がどこに住んでいたかはっきり書かれているわけではないので、何とも言えないのですが…
一応気になるのは、紅梅の右大臣は、光源氏女三宮の降嫁を受けたのと同じように、今上帝の女二宮を自分のものにしたいと考えて運動していて、結局女二宮が薫と結婚したのを不満に思ってたりするんですね。
おいおい真木柱はどうするつもりだったんだよ、的な。


…紫の上の話に戻ると。

 

彼女の源氏の妻としての立場は議論になりがちなところですが、少なくとも女三宮が六条院の表向きの女あるじになるまでは、紫の上が正妻と同等の立場だったということは言えるでしょう。

しかし、親が認めた正式な結婚をした仲ではない、という「立場の軽さ」「不安定さ」は常に紫の上につきまとっていて、それが「対の上」という特殊な呼称にあらわれている…ということは確かに言えるところなのかな、と思います。

 

女三宮の降嫁が決まった時の紫の上の心境

女三宮の降嫁については、姉の髭黒大将と違うところはどこかというとやはり、「恋愛の上で夫が新しい妻を得たというわけではない」というところでしょうか。
髭黒は玉鬘に熱心に言い寄った挙げ句、女房の手引で寝所に忍び込んで結婚したわけですしね(但し玉鬘の父内大臣の内諾は得ていた)。

源氏は、朱雀院と対面した時に女三宮を妻として貰い受けて面倒を見ることを承諾して帰ってきて、さっそくくどくどと紫の上に言い訳をします。

人づてだと今まで断ってきたんだけれど、面と向かって頼まれたら断れなかった、とか。朱雀院がお気の毒で断れなかったとか。

「あぢきなくや思さるべき。いみじきことありとも、御ため、あるより変はることはさらにあるまじきを、心なおきたまひそよ」

「あなたは面白くないとお思いになるでしょう。どんなことがあっても、あなたの御ために今までと変わることは決してありませんから、気にしないで下さいよ」

などなど、一生懸命源氏クンは紫の上に言葉を尽くします。源氏としては、

はかなき御すさびごとをだに、めざましきものに思して、心やすからぬ御心ざまなれば 「いかが思さむ」と思すに、いとつれなくて、

紫の上は、ちょっとした浮気事ですら、目障りで気に入らないものとお思いになって、心穏やかでいらっしゃらないご性分なので、「どのように思うだろう」と源氏は思っていらっしゃたが、紫の上は非常に冷静で、

もともと、源氏が紫の上が嫉妬する様子を可愛く思っていた…という話は、以前しましたが、呑気にまた彼女が嫉妬するのではないかと予想していた源氏は、紫の上が非常に冷静な返事をしたので驚きます。

そしてこんなことを言う。

「 あまりかううちとけたまふ御ゆるしも、いかなればとうしろめたくこそあれ。まことは、さだに思しゆるいて、われも人も心得て、なだらかにもてなし過ぐしたまはば、いよいよあはれになむ。

「あまりこう気安くお許し下さるのも、どういうことなのだろうと不安に思います。それはまあともかくとして、もしそのように許して下さって、自分もあちらも事情を心得て、平和に暮らして下さったら、たいそうありがたいことです」

 

紫の上に嫉妬してもらえないのがちょっと寂しかった源氏くん。愛の確認だもんね、ヤキモチは……

 

でも、ちょっとした浮気ならともかく、紫の上としては、自分より立場が上のれっきとした正妻ができるとなれば、「嫉妬」どころではないわけです。
呑気なことを言ってる源氏クンに、ちょっとここはイラっとしますね。

 

そして源氏クン、「色々いう人がいても聞き入れなさるな」など「いとよく教へきこえたまふ」、要は説教をする。
上から目線ですな。


紫の上は、自由恋愛で出てきた話ではないのだから仕方ないこと、と自制します。しかし一方で内心では以下のように考えています。

「式部卿宮の大北の方、常にうけはしげなることどもをのたまひ出でつつ、あぢきなき大将の御ことにてさへ、あやしく恨み嫉みたまふなるを、かやうに聞きて、 いかにいちじるく思ひ合はせたまはむ」など、 おいらかなる人の御心といへど、いかでかはかばかりの隈はなからむ。
今はさりともとのみ、わが身を思ひ上がり、うらなくて過ぐしける世の、人笑へならむことを、下には思ひ続けたまへど、いとおいらかにのみもてなしたまへり。

「式部卿宮の大北の方が、いつも私のことを呪わしげにおっしゃっていて、自分にはどうしようもない大将のご結婚のことでさえ、私を変に恨んだり嫉んだりなさっていたそうだが、このようなことを聞いて、どんなにか合点がゆきなさることだろう」
などと、穏やかな人柄でいらっしゃるとは言え、このような心の底のわだかまりがないわけはない。
今となってはもう大丈夫とばかり、我ながら思い上がって、安心して過ごしてきた夫婦仲であったのが、物笑いの種になるだろうことを、内心では考え続けていらっしゃるけれども、表面ではたいそう穏やかにのみ振る舞っていらっしゃった。

やはり、自分を嫌い抜いて恨んでいる継母に「ざまあみろ」と思われるのは、紫の上もイヤなんですね。
そして、「人笑へならむこと」を気にしています。


恋愛の末に結婚ということになったわけではないので、やはり紫の上も、いつもの「愛情ゆえの嫉妬」と違い、自分のプライドとか、体面とかを気にしているわけです。

 

なんかこう、六条御息所の嫉妬についてこまごまと考察してみて、結局は自分のプライド、矜持といったものを傷つけられた時の拗らせ方はひどいことになりかねない…という観もあり。

これまでは愛情ゆえの「物怨じ」をしてきた紫の上が、ここで「人笑へならむこと」を気にしているというのは、大変不吉な兆候と言えるのかも知れません。

 

というあたりで、次回は実際に源氏が女三宮のところへ出かける時の紫の上の様子について考えてみたいと思います。