ふること

多分、古典文学について語ります

髭黒大将の北の方と雲居雁の類似

紫の上のことをあれこれ考えていて、女三宮降嫁後の彼女の失望はどこまでが愛情ゆえでどこまでがプライドゆえのものだったのだろうとか、体面とかプライドとか矜持とか、そういうものを「愛情問題」とは別に扱うとしたら、まずは平安貴族にとっての体面がどういうものだったかというのをちゃんと検討しなきゃなとか考えて、難しい思考に陥ってしまったので、ちょっと棚上げしてみようかと思ったり。

 

で、前から気になっていたところで、髭黒大将の元北の方と雲居雁って設定が結構似てるよね、という話をしてみる。

 

似ているってつまり、こんな感じです↓

  1. 夫は有名な真面目人間(まめ人)で出世頭、現在は「大将」
  2. 愛人はともかく、れっきとした妻は、長年一人だけだった
  3. 二人の間には子供が何人もいる
  4. 夫がいい年して突然、他の女への恋に夢中になった
  5. その女を無理やり妻にしたため、新しい妻は、結婚前も後も夫を嫌っている
  6. 新しい妻と元からの妻は、縁戚関係にある
  7. 新しい妻へ行く前に元からの妻を夫がなだめようとして揉める
  8. 夫が新しい妻に夢中なので、妻は家出してしまった
  9. 家出したところに夫が迎えに来るが、会わないで帰す。

狭い平安貴族の世界なので「浮気され妻」として設定が似通ってしまう…とだけで片付けるには不自然なほど、髭黒の元の北の方と雲居雁の設定は似てるんですよね。

 

以下、さらっと細かいとこ見ていきます。

 

1.夫が有名な真面目人間(まめ人)で出世頭、東宮の伯父で、現在は「大将」

本文から引用してみると、

大将は、名に立てるまめ人の、年ごろいささか乱れたるふるまひなくて過ぐしたまへる…(真木柱)
(髭黒)大将は真面目で有名な人で、長年少しも乱れた振る舞いもなく過ごしていらっしゃったのが…

まめ人の名をとりて、さかしがりたまふ大将…(夕霧)

真面目人間という評判を取って、分別ありげにふるまっていらっしゃった(夕霧)大将は…

 夫の性格描写が似たような感じですね。

一方で髭黒は「ひたおもむきにすくみたまへる御心(真木柱)一徹でかたくなな御性分」とか、「情けすこしおくれ、むらむらしさ過ぎたまへりける御本性にて(竹河)いささか思いやりがなく、気まぐれが過ぎる御性格で」など、あまりよろしくない性格描写があります。

夕霧は、容姿は光源氏似でやたらめったら褒められておりますが、性格については、

おほかたの人がら、まめやかに、あだめきたるところなくおはすれば(乙女)

おおよその人柄が、真面目で浮ついたところがない様子でいらっしゃるので

こちらは地の文での描写。

かばかりのすくよけ心に…(夕霧)」
これほど一本気な性格であるのに

これは光源氏が夕霧の性格を評して考えている場面です。親から見ても「一本気で真面目な性格」なわけです。

一方、妻たちから見るとどうかというと、

宮は、「いと心憂く、情けなくあはつけき人の心なりけり」と、ねたくつらければ(夕霧)
落葉宮は、「たいそう不快な、思いやりがなく軽率な人の心であったものだ」と腹立たしく耐え難いので

「不快だ」「思いやりがなく軽率だ」と、落葉宮から見た夕霧の性格評は散々です。

雲居雁

すがすがしき御心にて(夕霧)

思い切りが良い御性格なので

といった感じに見てますね。
やはり、真面目・まっすぐで一本気、ちょっと思いやりという面では至らぬところがある(まあ夕霧の落葉宮への態度から見ると、無神経なところも多々ありますし)…といった性格は、わりあい髭黒と夕霧は似た感じです。
(ただ、さすがに夕霧は、情けという面では父光源氏ほどこまごまと思いやるような面はないものの、思慮が浅いわけではなく、また髭黒ほど思いやりに欠けているわけでもなさそうです)。

また、夕霧も髭黒も、離婚騒ぎの当時は「大将」の位にあります。
真木柱巻の髭黒が右大将、夕霧巻の夕霧が左大将です。

大将というのは近衛府の長官で、大臣や大納言が兼任することが多く、かなり重々しく出世頭の役職で、もうじき摂政関白?という感じの地位です。
髭黒は真木柱当時、東宮の伯父でした(妹・朱雀院の承香殿の女御腹の皇子が当時の東宮)。また、夕霧巻の当時、夕霧もまた東宮の伯父でした(妹・明石の女御腹の皇子が東宮)。

ね、かなり設定似通ってるでしょ。

 

2.愛人はともかく、れっきとした妻は、長年一人だけだった

髭黒大将は、召人(女房身分の愛人)はそれなりにいたようですが、他にこれといった妻はいなかったようです。
夕霧は、子供が多かったのでいちおう藤典侍は妻の一人と言えるでしょうが、身分が違うので、やはりれっきとした妻は雲居雁一人だけでした。

 

3.二人の間には子供が何人もいる

髭黒は、元北の方との間に女の子が一人、男の子が二人がいました。
一方で夕霧と雲居雁の間には、女の子が4人(あるいは3人)、男の子が4人ほど。子供の人数は諸説ありますが、だいたい7~8人いたわけです。

結婚して10年ほどのうちにこの子供の数。すごいですね。
落葉宮との結婚騒ぎが起きるまではいかに夫婦仲が良かったか、窺い知れます。


髭黒と元北の方との間は、北の方の「物の怪」(と言い訳してるけど、実のところ何らかの精神障害ですかね…)を理由としていささかうとうとしくなっていたので、子供も3人どまりだったんですかね。それでも少なくはないですが…


4.夫がいい年して突然、他の女への恋に夢中になった

そんな真面目人間が、突然恋に浮き身をやつし、馴れない色男ぶりを発揮して新しい女を妻にしようとさまよい歩くようになるわけです。
髭黒が玉鬘に夢中になってうろつくさまも、夕霧が落葉宮に夢中になりつつ手を焼いてうろつくさまも、わりあいコミカルに描かれています。

 

5.その女を無理やり妻にしたため、新しい妻は、結婚前も結婚直後も夫を嫌っている

玉鬘は、結婚前は髭黒を夫候補として歯牙にも掛けていませんでした。そんな玉鬘の元に女房の手引で忍び込んで無理やり妻にしたため(ってか強姦ですね…)、玉鬘は妻にされた後もしばらくの間、夫を嫌い抜いています。
若紫も、無理やり妻にされた後、しばらく光源氏に対して怒っていましたが、怒るレベルではなく「嫌っている」と言ってもいいぐらい。
髭黒のすることなすこと気に喰わないみたいな描写が連続しています。


一方で落葉宮。
結婚前も、さっきの描写のように「いと心憂く、情けなくあはつけき人の心なりけり」とか評していますし、とことん夕霧を嫌がって塗籠にこもるまでしていて、結局は女房の手引で無理に妻にされてしまいますが(まあ結局は強姦ですよね…)、その後は「かういみじう衰へにたるありさまを、しばしにても見忍びなむやこのようにひどく容貌が衰えてしまった自分の有様を、大将は少しの間でも我慢できるだろうか」 と考え、自分の容貌に劣等感を持っている様子があり、ちょっと心が弱くなっている様子も見えます。
しかしそれでも、そのあとに雲居雁父の内大臣から恨み言を言われ、かつ弟の蔵人の少将に脅されたこともあり、落葉宮は「いとどしく心よからぬ御けしきひどく不快そうなご様子」でいます。

自分が妻にされたことで古くからの妻との間で騒動が起き、古い妻側に恨まれるのも不本意であるとして、新しい妻の機嫌が悪くなる…というのも、玉鬘と落葉宮に共通しています。

この時代、人に恨まれると物の怪として取り憑かれたりしますしね。やはり、自分の意思でもなく妻にされたことで人に恨まれるのは嫌ですよね。

まあそうは言っても、玉鬘も落葉宮も、結婚生活が続くにつれて諦めた?のだか、情が湧いたのだか、それなりに円満な夫婦仲になっていくようではありますが…

 

6.新しい妻と元からの妻は、縁戚関係にある

髭黒大将の元北の方は、新しい妻である玉鬘の養父、光源氏の妻である紫の上の姉。
落葉宮は、雲居雁の亡兄の妻。
ともに、縁戚関係にあってちょっと話がややこしかったりします。

紫の上のもとには、父の妻・姉の母である人が紫の上を悪し様に言っているのがほの聞こえてきますが、「自分にはどうしようもないこと」と困っています。

一方で、太政大臣たる光源氏を養父とし、内大臣を実父とする玉鬘本人には、式部卿宮もその妻も手の出しようがないのですが…

 

7.新しい妻へ行く前に元からの妻を夫がなだめようとして揉める

一応夫の側も、新しい妻に夢中でも、だからといって子供までいる長い付き合いの妻をすぐに捨てようとまで思っているわけではないのです。
なので、一応は妻をなだめようと試みます。

しかし、髭黒の場合は、新しい妻のもとに出かける準備をしていたら、香壺の灰をぶっかけられるという大騒動になります。

夕霧の場合は、ハンストしている妻を適当に寝技に持ち込んでなだめようとしたら「死になさい」など罵られる始末。

…ただ、この後は結局雲居雁も適当に言いくるめられ、なだめられてしまった気配もあり、そこは、決定的な妻への愛想尽かしにつながった髭黒のパターンとちょっと違った部分です。

8.夫が新しい妻に夢中なので、妻は実家に帰ってしまった

髭黒の妻も、雲居雁も、夫が新しい妻の元へ行って帰ってこない間に、見切りをつけて実家に帰ってしまいます。

髭黒の元北の方の実家も、当時の帝の伯父である式部卿宮ですから、なかなかの権門です。雲居雁の父も、当時致仕太政大臣
ふたりにはそれぞれ、帰る家、迎えてくれる親がいたわけです。

ただ、髭黒の妻の場合、父が積極的に迎えを寄越して引き取ったのに対し、雲居雁については自分からさっさと実家に帰ってしまい、父には「もうちょっと留まって様子を見るべきだったのに」と言われています。

9.家出したところに夫が迎えに来るが、会わないで帰す。

何しろ子供たちもいますし、髭黒も、夕霧も、妻が実家に帰ったことを知って、慌てて迎えに来ます。

しかし、髭黒の妻も雲居雁も、夫には会おうとしません。

もっとも、髭黒の妻は髭黒が娘に会いたいと望んでも会わせなかったのに対して、雲居雁は、姫君をも夕霧に会わせているところが大きな違いでしょうか。

 

…とまあ、夫婦の設定も、成り行きも、わりあい似たところがあるんですね。

 

なんでこんなに設定が類似しているのか?

これだけ似通っているというのは、やはり「わざと設定を似せた」のではないかな、と私は思うのです。
以前、紫の上と雲居雁の設定も意外と似ているという話をしました。

 

雲居の雁の話(2)。主に紫の上との共通点について
雲居の雁と紫の上の話の続き(2-2)をしつつ、藤原道隆の三の君の話。
雲居の雁と紫の上の共通点・最終回(2-3)。嫉妬プレイで倦怠期打破!

 

紫の上と雲居雁の設定にも共通点がある。そして雲居雁と紫の上の姉、髭黒大将の北の方にもかなりの共通点と同じ運命の成り行きがある。

源氏物語の作者は、この三人の女を配置し、髭黒大将の北の方を介して雲居雁と紫の上との対比を浮き彫りにさせるような物語の構造を意図したのではないかな…という気がしています。

 

次回、髭黒大将の北の方と雲居雁の対比の意味、違っている部分を掘り下げてみようかと思います。

長皇子→弟皇子への恋歌を見かけて驚いた話

ブックオフでぶらぶらしていて、たまたま「万葉集 対訳古典シリーズ 桜井満訳注/旺文社」の上巻が100円で置いてあったので、「そういえば文庫本の万葉集はもってないなあ」と思って手にとってパラパラとめくったら目についた歌が

 

  長皇子、皇弟(いろと)に与ふる御歌一首

丹生(にふ)の川瀬は渡らずてゆくゆくと恋(こひ)(いた)き我が背いで通ひ来ね(万2-130)

 

丹生の川の瀬は渡らないで、胸が痛むほど恋しい我が弟よ、どんどんとまっすぐこちらに通って来なさい

 

………弟?

 

唐突すぎるように感じて、ちと目を疑いました。

なぜ弟。どう見ても恋歌なんですが。「相聞」歌の中に入ってるし。

 

注に「作歌事情不明」と書いてありました。詞書にも「皇弟へ与ふる御歌」としか書いてないもんね。

 

wikiってみたり検索してみたり軽くウェブで調べてみましたが、弟というのは同母弟の弓削皇子のことだろう、とありました。

同母弟…というとますます不思議な気も……

 

弓削皇子というと、紀皇女への恋歌がいくつか万葉集に載っていて、20代ぐらいの若さで兄の長皇子に先立って亡くなった人です。


シチュエーションについてなんにも説明がないのでどうとも解釈しようがないんですが、逆に特に「こういう事情で」という説明がないからこそ、弟を想う歌でも相聞歌のうちにポンと入れるのが普通だったりするのかなあ…と思い、相聞歌をぱらぱらと見てみたら。

 

たとえば巻四の相聞歌の中に、こんなのありました。

 

大伴の田村(たむらの)家の大嬢(おほいらつめ)、妹坂上大嬢(さかのうへのおほいらつめ)に贈る歌四首


外にゐて恋ふるは苦し 我妹子を継ぎて相見む事(こと)(はか)りせよ(万4-756)

遠くあらばわびてもあらむを 里近くありと聞きつつ見ぬがすべなさ(万4-757)

白雲のたなびく山の高々(たかだか)に 我が思ふ妹を見むよしもがも(巻4-758)

いかならむ時にか妹を 葎(むぐら)(ふ)のきたなき宿に入りいませなむ(巻4-759)

外にいて恋しく思っているのは苦しいことです。あなたにいつも会えるような手立てを考えて下さい。

遠くにいるならば、ただ切なく思っていましょうが、里近くにあなたがいると聞きながら逢えないのは辛いことです。

白雲がたなびく山のように高々と私が恋しく思っているあなたに逢う方法があれば良いのに

どのような時になれば、あなたをこの雑草の生い茂る汚い家に迎え入れられるでしょうか。

 

これらも恋歌にしか見えない感じですが、こちらには説明がついていました。田村大嬢と坂上大嬢は姉妹なのだけれど、母が違っていて住んでいる場所が違ったので、「姉妹諮問(とぶら)ひに、歌を以ちて贈答す」だそうで…。


なるほど、こうして見ると、兄弟愛だろうが姉妹愛だろうが男女の愛だろうが何だろうが、どういう間柄の愛であろうと相思う歌は「相聞歌」であって、恋だの愛だの区別しない感じですかね。

愛に区別なんぞいらない。さすが万葉集、おおらかな感じでいいですね。

 

 

八十歳童貞魔法使い…じゃなかった、老僧の純真な欲望話

別に古典で下ネタ話ばっかり探して読んでるわけではないんですが、ついつい目が止まってしまったりはします。

 

宇治拾遺物語、巻四の8に、面白い話を見つけました。

命婦(源祇子)という女房がいて、その人は清水寺にいつもお参りしていました。彼女の師は法華経八万四千余部も読み、戒律を守ってきた八十歳の清い僧でした。
三十歳どころじゃありません、その2.7倍ほどの八十歳でございます。

魔法使い通り越して仙人とかそういうレベルでございますね。

し か し 。

爺さん、せっかく人生八十年を清く正しく童貞として生きてきたのに、若く美しい進命婦という弟子?を見て「欲心を起し」、あげくに病気になって死にそうになってしまいます。
様子を怪しんだ弟子たちが師に問いただすと、この老僧は

「まことは、京より御堂へ参らるる女に近づき馴れて、物を申さばやと思ひしより、この三か年不食の病になりて、今はすでに蛇道に落ちなんずる。心憂き事なり」

「実のところ、京から御堂に参詣なさる女に近づき慣れ親しんで物を言いたいと思ったことから、この三年物を食べられない病になって、今はもう死んで蛇道に落ちようとしているのだ。辛いことだ」

 と白状します。
ってか、弟子にそんなこと言えちゃうんだ。純だなあ。

 

そして白状されたお弟子さんの反応というのも、なかなか甲斐甲斐しい。

なんと、進命婦ご本人のところに行って、「うちのおっ師匠さん、こんなこと言ってまっせ」と話しちゃうんですね。


そうしたら進命婦は老僧のもとにやって来ます。
この老僧は、三年もの間、頭を剃らず、髭や髪が銀の針を立てたようになっていて、鬼のような外見であったと。

しかし、それでも進命婦、ひるみません。

恐るる気色なくしていふやう、「年比(としごろ)頼み奉る志浅からず。何事に候(さぶら)ふとも、いかでか仰せられん事そむき奉らん。御身くづほれさせ給はざりし先に、などか仰せられざりし」

命婦が恐れる様子もなく言うには、「長年、師としてあなたを頼みにお思い申し上げてきた私の志は浅からぬものです。なにごとでありましょうと、仰せになることにそむき申し上げることなどあるはずがございません。なぜ、お体が衰えなさってしまわれる前におっしゃって下さらなかったのですか」

言ってくれればやらせてさしあげたのに、なぜそんなに弱ってしまってくずおれるまで言って下さらなかったのですか?


くずほれさせ給はざりし先に」っていう言葉の選び方が笑えますね。文字通りっていうか単刀直入っていうか。

八十歳の童貞おじいちゃんを前にして、「元気があればやらせてあげるわよ」って、この人まだ二十歳前後とか、そんなもんだと思うんですよ年齢は。
かなりの太っ腹ねーちゃんです。

 

その言葉を聞いて感激した老僧は、八万余部読んだ法華経の中から最も功徳のある文句をあなたにさしあげます、と言って、

俗を生ませ給はば、関白、摂政を生ませ給へ。女を生ませ給はば、女御、后を生ませ給へ。僧を生ませ給はば、法務の大僧正を生ませ給へ。

俗人をお産みになるならば、関白・摂政をお産みになられますように。女をお産みになるならば、女御、后をお産みになられますように。僧をお産みになるならば、法務の大僧正(大寺院の最高の僧職)をお産みになられますように。

と言うやいなや死んでしまったのだそうです。

そして、実際にその進命婦は、藤原頼通藤原道長の嫡子)に愛されて、それぞれ摂政・関白になった藤原師実後冷泉天皇に女御として入内し皇后になった藤原寛子、覚円(園城寺法務・天台座主)を産んだということですよ…

と、ハッピーエンドなお話になっております。

 

頼通の正妻やもう少し身分の高い妻には子がなかったり、若死にしてしまったりしたことから、身分が定かでない進命婦(源祇子)が産んだ子たちが頼通の嫡子扱いになって、それぞれ出世したということなようです。

 

ある意味微笑ましいエピソードなのですが、何ていうか現代的感覚よりももっとおおらかな雰囲気がありますよね。

八十歳まで戒律を守って不犯で来た老僧がうら若い女に欲情を抱いたことに対して、弟子とかも「そんなとんでもない…」とか「うげ、キモ!」とかいう反応ではなく、師匠に同情して進命婦に話をしに行くわけです。

その上で、当の命婦の太っ腹な返答。


確か、空を飛べる能力まで身につけた仙人が、川で洗濯をしている若い女の太ももを見て欲情し、墜落しちゃったなんていう話がどっかにあったと思うんですが、悟り澄ましたようでも、いくつになっても人間の本能というか欲情っていうものは、ふとした隙に襲いかかってきて人を捉えたりするものなのでしょう。

老いてなお欲情に囚われた苦しみは、ある意味みにくくも滑稽な姿でもあるのですが、若者たちに温かい眼差しを向けられ、受け入れられることによって、言祝ぎを残して老人は安らかに死んでゆきます。

 

いいなあ、この進命婦のキャラ。自分にゃ無理だろなって思うけどね!

夫が新しい妻の元へ行くのを見送る妻たち2-2~女三宮降嫁直後の紫の上

 

 さて、いざ女三宮降嫁後の紫の上の心境です。

対の上も、ことに触れてただにも思されぬ世のありさまなり。 げに、かかるにつけて、こよなく人に劣り消たるることもあるまじけれど、また並ぶ人なくならひたまひて、はなやかに生ひ先遠く、あなづりにくきけはひにて移ろひたまへるに、 なまはしたなく思さるれど、つれなくのみもてなして、御渡りのほども、もろ心にはかなきこともし出でたまひて、 いとらうたげなる御ありさまを、いとどありがたしと思ひきこえたまふ。

対の上(紫の上)も、折に触れて何もないようにはお思いになれない状況でした。
本当に、このようなことでひどくあちらにひけを取って影が薄くなるようなことはないだろうけれども、このように並ぶ人もない状況に馴れてきていて、華やかな様子で将来の長い若い女三宮が侮りがたいご様子で六条院に移っていらしたので、(紫の上は)何となく体裁が悪いようにお思いになるけれど、あえて平静を装って、女三宮が六条院へお渡りになるにあたっても、六条院と心を合わせてこまごまとした準備もなさって、たいそういじらしいご様子であるのを、六条院はめったにない素晴らしいことだとお思い申し上げなさる。

 紫の上は、女三宮が降嫁してきたからといって、夫の愛がすぐさま女三宮に移って自分への愛情が劣ってしまうようなことになるとは思わないけれども、今まで六条院の一の人として君臨し、その状況に馴れてきた中で、侮るわけにはいかない高い身分の正妻として女三宮が現れることを、「なまはしたなく」(どっちつかずで落ち着かない、中途半端だ、きまりが悪い、体裁が悪い…といった感じ)思います。

ポイントは、やはりここでも、源氏の愛情自体をすぐに疑っているわけではないけれど、この状況が「きまり悪い・体裁が悪い」と感じていること。

しかしその内心を表さずに女三宮降嫁準備のための雑用を、源氏と共にあれこれしてやっている態度に、源氏は感激しています。
ある意味、源氏にとっては大変幸先が良い、都合の良い態度を紫の上は取っているわけです。

 

なお、降嫁後に光源氏女三宮に行くところを見送る紫の上の心境描写は以下のようです。

三日がほどは、夜離れなく渡りたまふを、 年ごろさもならひたまはぬ心地に、忍ぶれど、なほものあはれなり。 御衣どもなど、いよいよ薫きしめさせたまふものから、うち眺めてものしたまふけしき、いみじくらうたげにをかし。
六条院が3日間は夜離れなく続けて女三宮のもとにお渡りになるのを、(紫の上は)長年そのようなことに(続けて他の女性の元に夫が通うことに)慣れていらっしゃらないので、我慢はなさるけれど、やはり何となく寂しく感じる。(六条院の)ご衣装などに、いっそう香を薫きしめさせなさりながら、物思いに沈んでいらっしゃるご様子が、たいそういじらしく美しい。

 新妻のところに通うために身仕舞いをするのに、妻の前で夫の衣服に香を薫きしめる…というのが定番の描写ですね。
ここでは、何も言わずただ物思いに沈んでいて、その様子を源氏が「らうたげにをかし」いじらしく美しいと見ています。
そして

「 などて、よろづのことありとも、また人をば並べて見るべきぞ。 あだあだしく、心弱くなりおきにけるわがおこたりに、かかることも出で来るぞかし。若けれど、 中納言をばえ思しかけずなりぬめりしを」

いかなる事情があったからといっても、他の妻をこの人に並べて見るべきではなかったのに。浮気性で、心弱くなってしまった私の過失のために、このような事態になってしまったのだ。若いけれど、中納言のことは朱雀院も女三宮の婿として検討することができなくなったようであるのに。

と源氏は後悔します。


中納言というのは息子の夕霧のことで、朱雀院は最初に夕霧を女三宮の婿として第一候補にしていたのですが、夕霧は、ちょうど長年の想いが叶って三条の北の方、雲居雁と結婚したばかりでした。
実際、朱雀院が夕霧と対面した時に、女三宮のことをさりげなく仄めかしたことがあったぐらいです。なので、そこで夕霧が前向きな意向を漏らせば、とんとん拍子に女三宮は夕霧へ降嫁することに決まったに違いないのですが、夕霧としては、内親王を妻にするのは名誉なことだとは思うものの、

「女君の今はとうちとけて頼みたまへるを、年ごろ、つらきにもことつけつべかりしほどだに、他ざまの心もなくて過ぐしてしを、あやにくに、今さらに立ち返り、にはかに物をや思はせきこえむ、なのめならずやむごとなき方にかかづらひなば、何ごとも思ふままならで、左右に安からずは、わが身も苦しくこそはあらめ」

女君(妻の雲居雁)が、今は安心と心を許して自分を頼みに思っていらっしゃるのに、長年あちらの薄情な扱いにかこつけることができた間ですら他の女をという心もなく過ごしてきたのに、今更分別もなく後戻りして、急に物思いをおさせしてしまうことになる。並一通りでなく高貴な方に関わりができたら、万事自分の思う通りにもならず、両方を気遣って、自分も辛いに違いない。

と考えて、女三宮降嫁の件は見送るのです。

 

ってか夕霧クン。この時点ではとっても立派です。その理性をなんで中年になっても保っていられなかったのか。


夕霧のこの述懐は、後年の夕霧自身と雲居雁の関係にそのまんま当てはまる内容ですがね。まあこの時点で女三宮が夕霧に降嫁していれば、女三宮が第一の妻、雲居雁が第二の妻みたいになったでしょうから、後年の落葉宮との恋愛?沙汰の方がまだマシだったでしょうね。

にしても、息子が「自分を信頼しきっている妻を裏切って物思いをさせるのが可哀想だ」と妻を思いやり、また「高貴な人を妻にすると、両方に気を遣って大変だ」と自分自身についても冷静に予測できているのに、なんで光源氏はその程度の理性もなかったんですかね?

何でもかんでも、源氏は藤壺宮がちょっとでも関わると理性が飛ぶっていうのはあるけれど
後年の夕霧も理性吹っ飛んでますが、まあそれは落葉宮への恋そのもので理性吹っ飛んでるんであって、ありがちな話かも知れないけど、なんつーか源氏は女三宮への恋で理性吹っ飛んでるわけですらないところがたち悪いですね。

ここで源氏は一度紫の上の信頼を裏切ってしまった訳ですが、結果論としては、源氏の紫の上への愛情は、女三宮の降嫁後も変わることはありませんでした。

もし女三宮が源氏の期待した通り、美しく知的な少女だったらどうなったのか?それは分かりませんが…

しかしとりあえず、源氏は大切に育てられた皇女にも全く見劣りすることなく、知性も教養も美しさも、何もかもが素晴らしい紫の上への愛情を新たにします。

 

しかし、紫の上はこの時点では、前述のように決して源氏の自分への愛情自体にそこまで不安を覚えていた訳ではないようなのです。

ある意味それもすごいというか…

30歳過ぎて、夫が十代の若い妻を迎えているのに、それが恋愛結婚ではないからというのもあるのでしょうが、ここまで落ち着いてふるまえる紫の上の自信も大したものだ…という気がします。

若い妻を迎える準備に協力し、何も言わずに支度を手伝い、文句の一つも言いません。

 

それでも物思いに囚われている様子に、源氏は後悔に駆られて必死に慰めようとし、自分の愛情が変わらないことを訴えようとしますが、さすがに朱雀院の手前あまり女三宮を軽んじるわけにも行かないので、「もうあちらには行きません」とも誓えず、逡巡します。

紫の上は「ご自分でもお心を定めかねていらっしゃるのに、私には何ともあてにできませんわ」とほほえみながら軽くいなします。

源氏は、紫の上が手習いで「あてにならない夫婦仲なのに、頼みにしてしまったことだ」といった意味の古歌を書いていたのを見て、変わらぬ仲を誓うような歌を書いたりしていて、女三宮のところに行かねばならない時間になってもなかなか行きません。

それを紫の上は「かたはらいたきわざかな/心苦しいことですわ」と言って、出かけるように急かします。

 

 

この「かたはらいたきわざかな」という言葉は、女三宮にとって「かたはらいたし」ならば「早く出かけないとあちらにとって気の毒ですわ」とも解せるし、あるいは、自分にとって「かたはらいたし」つまり自分が決まりが悪い、恥ずかしい…という風にも解せます。

後者なら、「源氏があちらに行くのが遅くなると、自分が引き止めているように思われて決まりが悪い」といったニュアンスになりますね

どうなんでしょうね。後者と取る方が素直かも知れません。

 

そう言って源氏を送り出した紫の上の胸に去来していたのは、愛情を裏切られた思いなのかどうか…?

源氏自身が必死に変わらぬ愛を誓っていることもあり、紫の上はやはり、どちらかというと源氏の愛情が移ろうことよりも、自分の立場、体裁のことを気にしている雰囲気があります。

この時点で、既に、愛情の問題と考えている源氏と紫の上の間に溝ができてしまっている、不穏な雰囲気があるわけです。

 

というところまでで以下次号。

夫が新しい妻の元へ行くのを見送る妻たち2~紫の上

 

源氏物語に描かれた、「夫が新しい妻を作り、元からの妻が、夫が新しい妻の元へ出かけていくのを見送る」という場面。

最初に描かれたのは、紫の上の異母姉、式部卿宮の長女と髭黒大将との場面でした。

結局、式部卿宮邸に引き取られた北の方は髭黒大将とは離婚してしまい、娘の真木柱の姫君は、父髭黒が反対したにも関わらず(おそらく髭黒は姫君を入内させたかったんでしょうね)、祖父式部卿宮の世話で蛍兵部卿宮と結婚するが、あまりしっくりいかず…ということになりました。

 

紫の上からすると、自分の夫の養女(玉鬘)が髭黒大将の新しい妻であるため、自分が恨まれてしまう…と困惑しており、実際、姉も継母もその通り紫の上をひどく非難したり恨んだりしていたわけですが、その後しばらくたって、今度は自分が姉と同じ立場に陥ってしまう羽目になります。

髭黒大将と前の北の方との離婚騒動の2~3年後ぐらい、光源氏が四十の賀を迎える頃。
三十一~三十三歳ぐらいだった紫の上は、夫が朱雀帝の女三宮を正妻として迎えることとなり、それまでの「正妻同等」として六条院の事実上の女あるじとして君臨していた立場を追われてしまうことになります。

 

紫の上の立場~「対の上」という呼称

原典での紫の上の呼称に「対の上」という呼び方がありまして。

大鏡とか栄花物語とかもかな?「対の御方」「対の君」という呼び方はそれなりに他作品でも見かける呼び方なのですが、だいたいは「上」ではなくて「君」か「御方」で、召人(女房身分で主人の愛人になっている人)とか女房身分だけどその中ではちょっと地位が高そうな人とか、妻の一人だけど第一の妻ではない妻だとか、そういう人に使われていることが多いです。

「対」というのは、寝殿造のメインの寝殿ではなく、それに付属した建物ですが、その「対」に住んでいる御方とか君とか、そういう感じです。
寝殿に住まう妻は「北の方」なわけで。それよりちょっと落ちる感じ。

ただ、「対の御方」「対の君」といっても、ただ「対に部屋をもらって住んでいる」というだけでなく、「対にお住まいの方」として、対の建物がその人の居住区域として認識されているようなニュアンスになるわけですから、屋敷の主人にそれなりに重んじられている立場の人、という感じの呼称なわけです。

そしてまた「上」と「御方」「君」を比べると、呼び方のランクとしては、「上」の方が「御方」よりも敬意が上というか、地位が上というか。

「上」と呼ばれている場合、「北の方」とほとんど同じようなニュアンスで使われることも多いイメージかな。「上」は「主人」というニュアンスですから、女主人に使う呼称であって、ただ「御方」というのよりも格上な感じです。


「対」という寝殿よりも格が落ちる建物と、「上」という格上な呼び方とを組み合わせてある「対の上」というのはかなり特殊な呼び方で、こんな論文もあったりします。

 

「対の上という呼称」ーー特異な呼称の描くもの(鵜飼祐江)※「祐」は「示」偏

https://www.jstage.jst.go.jp/article/chukobungaku/85/0/85_63/_pdf

 

なお、上記の論文には、北の方が必ず寝殿に住むわけでもないとして、蛍兵部卿宮に死に別れた後、紅梅右大臣の北の方になった真木柱の姫君は「北の対」に住んでいたと推定されると記されています。
真木柱がどこに住んでいたかはっきり書かれているわけではないので、何とも言えないのですが…
一応気になるのは、紅梅の右大臣は、光源氏女三宮の降嫁を受けたのと同じように、今上帝の女二宮を自分のものにしたいと考えて運動していて、結局女二宮が薫と結婚したのを不満に思ってたりするんですね。
おいおい真木柱はどうするつもりだったんだよ、的な。


…紫の上の話に戻ると。

 

彼女の源氏の妻としての立場は議論になりがちなところですが、少なくとも女三宮が六条院の表向きの女あるじになるまでは、紫の上が正妻と同等の立場だったということは言えるでしょう。

しかし、親が認めた正式な結婚をした仲ではない、という「立場の軽さ」「不安定さ」は常に紫の上につきまとっていて、それが「対の上」という特殊な呼称にあらわれている…ということは確かに言えるところなのかな、と思います。

 

女三宮の降嫁が決まった時の紫の上の心境

女三宮の降嫁については、姉の髭黒大将と違うところはどこかというとやはり、「恋愛の上で夫が新しい妻を得たというわけではない」というところでしょうか。
髭黒は玉鬘に熱心に言い寄った挙げ句、女房の手引で寝所に忍び込んで結婚したわけですしね(但し玉鬘の父内大臣の内諾は得ていた)。

源氏は、朱雀院と対面した時に女三宮を妻として貰い受けて面倒を見ることを承諾して帰ってきて、さっそくくどくどと紫の上に言い訳をします。

人づてだと今まで断ってきたんだけれど、面と向かって頼まれたら断れなかった、とか。朱雀院がお気の毒で断れなかったとか。

「あぢきなくや思さるべき。いみじきことありとも、御ため、あるより変はることはさらにあるまじきを、心なおきたまひそよ」

「あなたは面白くないとお思いになるでしょう。どんなことがあっても、あなたの御ために今までと変わることは決してありませんから、気にしないで下さいよ」

などなど、一生懸命源氏クンは紫の上に言葉を尽くします。源氏としては、

はかなき御すさびごとをだに、めざましきものに思して、心やすからぬ御心ざまなれば 「いかが思さむ」と思すに、いとつれなくて、

紫の上は、ちょっとした浮気事ですら、目障りで気に入らないものとお思いになって、心穏やかでいらっしゃらないご性分なので、「どのように思うだろう」と源氏は思っていらっしゃたが、紫の上は非常に冷静で、

もともと、源氏が紫の上が嫉妬する様子を可愛く思っていた…という話は、以前しましたが、呑気にまた彼女が嫉妬するのではないかと予想していた源氏は、紫の上が非常に冷静な返事をしたので驚きます。

そしてこんなことを言う。

「 あまりかううちとけたまふ御ゆるしも、いかなればとうしろめたくこそあれ。まことは、さだに思しゆるいて、われも人も心得て、なだらかにもてなし過ぐしたまはば、いよいよあはれになむ。

「あまりこう気安くお許し下さるのも、どういうことなのだろうと不安に思います。それはまあともかくとして、もしそのように許して下さって、自分もあちらも事情を心得て、平和に暮らして下さったら、たいそうありがたいことです」

 

紫の上に嫉妬してもらえないのがちょっと寂しかった源氏くん。愛の確認だもんね、ヤキモチは……

 

でも、ちょっとした浮気ならともかく、紫の上としては、自分より立場が上のれっきとした正妻ができるとなれば、「嫉妬」どころではないわけです。
呑気なことを言ってる源氏クンに、ちょっとここはイラっとしますね。

 

そして源氏クン、「色々いう人がいても聞き入れなさるな」など「いとよく教へきこえたまふ」、要は説教をする。
上から目線ですな。


紫の上は、自由恋愛で出てきた話ではないのだから仕方ないこと、と自制します。しかし一方で内心では以下のように考えています。

「式部卿宮の大北の方、常にうけはしげなることどもをのたまひ出でつつ、あぢきなき大将の御ことにてさへ、あやしく恨み嫉みたまふなるを、かやうに聞きて、 いかにいちじるく思ひ合はせたまはむ」など、 おいらかなる人の御心といへど、いかでかはかばかりの隈はなからむ。
今はさりともとのみ、わが身を思ひ上がり、うらなくて過ぐしける世の、人笑へならむことを、下には思ひ続けたまへど、いとおいらかにのみもてなしたまへり。

「式部卿宮の大北の方が、いつも私のことを呪わしげにおっしゃっていて、自分にはどうしようもない大将のご結婚のことでさえ、私を変に恨んだり嫉んだりなさっていたそうだが、このようなことを聞いて、どんなにか合点がゆきなさることだろう」
などと、穏やかな人柄でいらっしゃるとは言え、このような心の底のわだかまりがないわけはない。
今となってはもう大丈夫とばかり、我ながら思い上がって、安心して過ごしてきた夫婦仲であったのが、物笑いの種になるだろうことを、内心では考え続けていらっしゃるけれども、表面ではたいそう穏やかにのみ振る舞っていらっしゃった。

やはり、自分を嫌い抜いて恨んでいる継母に「ざまあみろ」と思われるのは、紫の上もイヤなんですね。
そして、「人笑へならむこと」を気にしています。


恋愛の末に結婚ということになったわけではないので、やはり紫の上も、いつもの「愛情ゆえの嫉妬」と違い、自分のプライドとか、体面とかを気にしているわけです。

 

なんかこう、六条御息所の嫉妬についてこまごまと考察してみて、結局は自分のプライド、矜持といったものを傷つけられた時の拗らせ方はひどいことになりかねない…という観もあり。

これまでは愛情ゆえの「物怨じ」をしてきた紫の上が、ここで「人笑へならむこと」を気にしているというのは、大変不吉な兆候と言えるのかも知れません。

 

というあたりで、次回は実際に源氏が女三宮のところへ出かける時の紫の上の様子について考えてみたいと思います。

狭衣大将がダメすぎてダメ男好きでも喰い切れない件

日本の三大物語って、源氏物語狭衣物語うつぼ物語だとか聞きました。

このうち狭衣物語は、私は最近になって始めて読んだんですよ。

んで、あまり若いうちに読まなくて良かったとしみじみ思った。若いうちに読んでたら、腹が立って本を破きたくなったかも。

なんつーかイケメン無双っていうか、イケメンは全て許されるっていうか…
まあ王朝物語の世界観だと、美しい人というのは前世で善行を積んだ功徳みたいな考え方しますからね、美しく優れた人は、何やっても許されるものなんです。

そりゃそうなんだけどさ。

以下ネタバレしつつ、モヤモヤをぶちまける。

 

主人公は狭衣大将。一世源氏と皇女の息子で毛並みもよく、すごーく美しくて色んな才能も天才レベルで優れていて、楽器を演奏したら天人が降りてきて連れていきそうになるぐらいというスターです。

そんな狭衣クンは、母大宮が養女として育てた美女、源氏の宮を熱愛していました。

しかし源氏の宮は入内することになっていて、後に斎院に卜定され、かつ、そもそも本人には狭衣になびく気がないため、どうしても狭衣クンの手には入らない、高嶺の花です。

狭衣クンは、源氏の宮を想いつつ、色んな女と逢瀬を重ね、天才というよりむしろ天災レベルの疫病神っぷりを発揮し、関わる女という女を片端から不幸に陥れていくのです。

話の最後の方には、まあそこまで不幸ではないかなって女もいたけどね。

 

狭衣クンは、性格的には、源氏物語宇治十帖の薫大将の根暗さとプライド、これと思い込んだ女への執着、内省的な性格という形を踏襲しつつ、そこに匂宮のような恋への積極性と衝動性を加味したという、「それやったらイカンだろ」としか言いようのないキャラ造型です。



それでも飛鳥井の女君の話はまだいい。悲劇だし狭衣も悪いけど、狭衣のせいだけじゃないから。許す。

 

女二宮の件がですね、なんともね。

 

なにしろ、狭衣大将はこんな感じです↓

 

女二宮との縁談があるけど、女二宮と結婚しちゃったら源氏の宮と結婚できなくなるから気が進まないな。でも女二宮がどんな人か覗いてみよう。思いの外、美人だったから忍び込んでしまえ。結婚はやっぱりためらわれるけどヤっちゃえ。

こうしてみると美人で素晴らしい女性で愛しく思えるけど、源氏の宮のことがあるから、どうせ我ながら心変わりするに決まってるし、結婚はイヤだし。

この人とは自分にその気があればいつでも結婚できるけど、でもなんかやっぱり表立って求婚する気になれないしな。どうしたもんかな。ぜひまた逢いたいけど、無理に逢おうとして周りに知れたら結婚させられちゃうしな。ちょっと秘密にしといて様子みよう。踏ん切りつかないし。結婚はともかく、こっそり逢えればいいんだけど無理かな。

 

…と、うだうだうだうだうだうだ。

うん、サイテー男ですね!!

 

ここまででも結構サイテーだけど、実際はもっともっとサイテーですよ。

更なるネタバレになりますが、そうやって狭衣クンが女二宮との結婚を、契った後でも逡巡し続けている間に、彼女は一度の逢瀬の結果として妊娠してしまったのです。
女二宮の母后は、最初は愛娘を妊娠させた相手が誰か分かりません。分からないままに、子は母后が産んだことにして取り繕います。
そして、生まれた子を見て父親は狭衣だと悟った母后は、娘を妊娠させながらも白ばっくれたままでいた狭衣を怨みつつ、心労のために亡くなってしまうのです。

 

ってか全部オメーのせいだ狭衣。

 

狭衣クンは女二宮が妊娠していたことは知らなかったのだけれど、そもそも彼が結婚を迷ったりしてなきゃ良かっただけのことです。

 

なお、一応、狭衣が報いを受けてない訳ではありません。当然のように女二宮には愛想を尽かされ見捨てられ、狭衣サンは見捨てられてからはやたらと彼女に執着し続けて叶わぬ想いを抱え続けています。

おそらく、源氏の宮に対するよりも懊悩は深そう。
それでもまあ自業自得でしかありませんね。

なんかここまでとことんダメなヤツだと、いっそのこと清々しいかも知れない。という気すらしてきます。

 

なお、彼のサイテーっぷりは女二宮に対してだけではありません。妻になった女一宮が、年上で容貌が気に入らないからといって冷たくし続けたり。
狭衣さん、心の底から、1ミリも迷うことなく面食いで、美しさが唯一にして最高の尺度って感じの人なんですが、ここまで美しさにこだわり続け、そしてここまでとことん女達を不幸に陥れ続けられると、なんつーかむしろ滑稽味すら出てきます。

 

その意味で、喰い切れないけど毛嫌いもできないキャラクターだなあ。狭衣くん…
ダメ男、好きなんですけどね。「とりかへばや」の宰相の中将とか、ワタシはすんごい好きなんだけどね。

やっぱり狭衣クン、陰キャっぽいところがイカンのかなあ。最後の最後にわけのわからん即位なんぞしなければもうちょっとマシな印象だったのに。

 

ま、若い頃に狭衣物語読んでたら、納得いかなすぎて本ごとぶん投げてたと思いますけどね。

 

ワタシと源氏物語~源氏物語の人物名称についてとか

息抜き?じゃないけど、自分語り的な。

このブログも源氏物語について語る率がすごく高いわけですが、いつも人物をどう呼ぶかというので迷いがあったりします。


光源氏や紫の上は、原典でも使われている呼び名なので違和感もさほどないし、六条御息所とかも、そんなに差はないのでいいんですが、個人的に「葵の上」とか「夕霧」とか「雲居雁」っていうのは、ちょっと違和感あります。

「頭中将」も困る。

 

夕霧、葵というのは、主にその人が語られている巻名から取った後世での通称ですが…

葵の上は、原典では「大殿(おほいとの/おほいどの?)」と出てくることが多いので、個人的には「大殿」か「大殿の上」と呼びたいですね。
でもそれじゃ通じないしな…

 

なお、源氏物語で「大殿」というのは、摂政関白レベルの大臣(政権を握ってる大臣っていうか)のことがそう呼ばれているっぽい雰囲気です。光源氏や頭中将がそういう「一の人」の地位に立ったあと、「大殿」と呼ばれていたりします。


葵の上の場合、父左大臣が桐壺帝時代の「大殿」だったから、彼女も「大殿」とか「大殿の君」とか呼ばれたりするわけです。「六条」もそうだけど、なんかこの時代、場所を人の呼称に使ったりするわけで、大殿(厳密には父左大臣を指す)の邸にお住まいになっている光源氏の奥方、みたいなニュアンスですね。

 

雲居雁の場合は「三条の北の方」と呼ばれることが多いので、それでいいじゃん…と思ったりもするんですが、それだと結婚前の呼称にはならないですね。

源氏物語を訳したり、作品化したり、源氏物語について語ったりする場合、どうしても特定の呼称がないと不便なので「葵の上」とか「夕霧」とか「雲居雁」などの呼称が作られたということでしょうが、しかし訳だとか作品だとかで固有名詞かのようにそれらの呼称が使われてしまうと、個人的には違和感MAXだったりします。
(とはいえ、源氏の訳は子供の頃にしかちゃんと読んだことがないので、どういう風になってたかあまりよく覚えていない…。与謝野晶子訳で、やたらめったら「女王」という言葉が使われていたのは覚えてる。紫の上も「紫の女王」とか言われてたけど、今はそれも違和感あります。原典で見ない言葉だから)

各訳を見直してみようと思ったのだけれど、うちに一個もないことに気がついた…。谷崎源氏も与謝野源氏も田辺源氏も、橋本源氏すら全部読んだはずなのに、すべて実家に置いてきた…(谷崎・与謝野源氏はまだ捨てずに取っておいてくれてるかも知れないが…)
円地源氏も小学生の頃に読んだ覚えあるんだけど、あれは抄訳だったなあ…
なぜだろう、橋本源氏は全部読んだはずなのに、内容をちっとも覚えてないんですよ。


ある時期から原典しか読みたくないみたいな変なこだわりが出てきてしまったので、自宅に訳があるのは全集系だけになっちゃった。
岩波文庫の古い版(山岸徳平氏の)が文庫本で持ち歩きやすいのでそれをいつも愛読してて、それでも「読点の打ち方が気に入らない!」とかプンプン怒るようになっちゃって、源氏物語大成を買ってみたり…

そのくせ、ちゃんと研究してみようとかいう発想はなくて、評論とか論文とか読むのもずっと避けてたぐらいです。どうやら自分の頭の中にある「マイ源氏物語」以外のものを受け付けない的な、病重き状態にまでこじらせていたので(笑)

最近はちょっと正気を取り戻しつつあり、ネットで検索して出てくる論文とかは読んでみたり、資料本みたいなのを買ってみたりはしますが、相変わらずまともに研究本を読んでみようという気にはなれないでいるという、中途半端な感じです。
ああ、今でも、作家の訳本は読めない状態かも。まだまだ病重いわ(笑)
あさきゆめみし」だけは許容。マンガだからかな、なんとなく。


…呼称の話に戻ると。

源氏名」って言葉のニュアンスからも、「夕霧」だとか「雲居雁」とかは、ちょっと優美すぎる気がするんですね。
夕霧については、「乙女」のあたりで「若君」→「冠者の君」「侍従の君」とか呼ばれるあたりの初々しさ、「中将」になってちょっと大人びたけどまだまだ若手っぽい感じ、そこから「宰相の中将」になって、いよいよ出世した観出てきて、さてそこから「中納言」になって「おお、もう中納言か!偉くなったなあ」としみじみし、「大将の君」になって、うんすっかり高官だね!という威厳があって、でもなんか「中納言」「大納言」よりも「大将」の方が雄々しい感じがしていいよね、とか…ともかく官位による呼称の変転にめっちゃ萌えるので、「夕霧」だけよりせめて「夕霧の大将」とか官位をつけて呼びたい。

 

まあそこは光源氏についてもですが、彼はあまり呼称の変転が少ない気がして。「中将→大将→権大納言内大臣太政大臣」ぐらいでしたっけね。

 

紫式部は、きっと官位とかそういう呼称で生じるイメージっていうのも計算して、登場人物の官位を決めてたんだろうな~と思います。
女性も男性も、その場面でどういう呼称で呼ぶかについて緻密な計算があるのを感じるので、なるべくいつも原典どおりで呼びたいなと思う。

 

でもやっぱりそれじゃ話が通じないよね。困った。

 

そういうわけで、ブログ記事書く時も、人の呼び方をどうするかいつも悩みながら書いてたりします。カッコつけて通称つけてみたり何だり。

そういう試行錯誤も「ああこの人こじらせてるからな」と生ぬるく見守ってやって下さると嬉しいです。