ふること

多分、古典文学について語ります

嫉妬のかたち・2-1~光源氏と六条御息所の関係

源氏物語で嫉妬というと六条御息所、って感じですね。
嫉妬のあまり生霊になり、かつ死霊としても彷徨ってしまったという彼女。

 

とりあえず、六条御息所光源氏の関係について、原典での描写を拾ってみます。

 

夕顔

原典では、まず夕顔の巻の冒頭に「六条わたりの御忍び歩きのころ」として、光源氏17歳の頃に、六条のあたりにお忍びで通っていた…と話が出て、そのあとに夕顔との出会いの話のあと、また六条の話に戻り、このような描写があります。

 

六条わたりにも、とけがたかりし御気色をおもむけ聞こえたまひて後、ひき返し、なのめならむはいとほしかし。されど、よそなりし御心惑ひのやうに、あながちなる事はなきも、いかなることにかと見えたり。女は、いとものをあまりなるまで、思ししめたる御心ざまにて、齢のほども似げなく、人の漏り聞かむに、いとどかくつらき御夜がれの寝覚め寝覚め、思ししをるること、いとさまざまなり。

六条のあたりの御方に関しても、源氏の君の求愛を容易に受け入れないご様子であったのを強いてなびかせ申しあげた後、一転して、いい加減な態度になるようなことは気の毒なことである。しかし、他人でいた頃のご執心ぶりのようにひたむきなことはないというのも、一体どういうことであろうかというふうに見える。
女は、たいそう物を思い詰めるご気性で、人が噂を漏れ聞いたら、年齢の釣り合いも似つかわしくないと思うだろうに、このように源氏の君がいらっしゃらず、たいそう辛く感じる夜には、寝覚めがちに色々と煩悶なさるのだった。

六条の御方の性格として

  • 齢のほども似げなく」つまり、光源氏より年上で、年齢が釣り合わない。(年齢が釣り合わないというのは、女の方が年下のパターンもありえますが、この時点で光源氏はまだ17歳ほどの若い貴公子なわけなので、女が年上なのだろうと推察がつくわけです)
  • いとものをあまりなるまで思ししめたる御心ざま」つまり、物を思い詰める性格。
  • 人の漏り聞かむに」と、人聞きを心配している。

ということが述べられています。

また、

  • 光源氏が、気が向かない六条の御方に熱心に言い寄っていたが、関係を持つのに成功した後は、それまでほど熱心ではなくなり、訪れない夜も多くなった。

ということが書かれています。

釣った魚には餌をやらんってやつでしょうか。

「近劣りする」というか、よそで憧れていた時に比べると、多少幻滅があったんでしょうか。

ちなみに、源氏物語を鑑賞する上での重要ポイント。

原典では、この時点ではまだ、六条の女がどういう身分であるか、明かされてはいないのです。ただ、敬語の使われ方や、人聞きを心配しているというあたりで、世評を気にするようなそれなりの身分のある人なんだろう、ということが推察できる状況です。

そしてその場面のあと、光源氏が六条の御方を訪れた翌朝、

霧のいと深き朝、 いたくそそのかされたまひて、ねぶたげなる気色に、うち嘆きつつ出でたまふを

霧がたいそう深い朝に、ひどく急かされなさって、眠そうな様子でため息をつきながら源氏の君がお出になるのを

とあって、源氏がせっかく訪れた翌朝に、「早く帰って」と急かしている様子が見受けられます。
この時代、「露顕(ところあらはし)」のような披露宴をするとか、何らかの形で二人の仲を世間に公表して「夫」「妻」として遇するような仲になっていない限り、男女の仲は「秘密」のこととして、女のもとを訪れた男は夜が明けないうちに帰らねばならず、ずるずると居座るのはみっともないことなのです。
それは女にとっても…なんていうんですかね、男側が公的に関係を認めてもいないのに、女が男をずるずる日が明るくなるまで居座らせていたら、けじめがない女、だらしない女、安っちい女…みたいな印象になるというか。
ここで六条の御方は、やはり自分の体面を気にして、恋人に「早く帰れ」と急かしているわけです。
まあ六条の本音からしたら「居座りたいなら妻にしろ」って感じでしょうか。


そのあと、眠そうだった光源氏くんは、朝っぱらから六条の御方の女房である中将に目を留めて、口説きます。朝っぱらから口説きます。繰り返す。朝っぱらから、愛人の侍女を口説いてます
昨夜に不満だったんですか光源氏くん。六条さん、年上のわりにあまり床上手じゃなかったんですかね(下世話すぎる推量でスミマセン…)。

ま、中将には上手にスルーされるわけですが…

ここらへん、器量もよく、たしなみもあり、思慮深い良い女房を、六条の御方が揃えていることを示す場面にもなっています。
前栽の様子や、かわいらしい男童が良さげな格好をしていて、風雅に朝顔の花を折って源氏の君に差し上げるところなど、大変に風流で優雅な情景が続けて描かれていて、女房や侍童など、使用人の器量も装束も優れているところから、六条が、財力もあり、嗜みも深い貴婦人だということが知れるわけです。


その他、「若紫」巻、「末摘花」巻にも、ちらちらっと光源氏が六条のあたりに通っていた話が出ています。

末摘花

ここもかしこも、うちとけぬ限りの、気色ばみ心深きかたの御いどましさに、

こちらもあちらも、心打ち解けず、気取って思慮深さを競い合ってばかりいるご様子なので、

 こちらもあちらも…とほのめかされていますが、ここまでの描写からして、正妻である大殿の上(葵の上)と、愛人である六条の御方のことを指すのだろうと推測がつくわけです。
このあと、気が張らない愛人だった夕顔のことを惜しむ気持ちから、同じように心が休まる可愛い恋人を作りたい、とばかりに、源氏があちこち物色してあるき、すぐなびく女も多かったけれど、なかなか思うような女に巡り会えない…といったありさまが描かれます。

かの紫のゆかり、 尋ねとりたまひて、そのうつくしみに心入りたまひて、 六条わたりにだに、離れまさりたまふめれば、

あの紫のゆかりの方を引き取りなさって、その少女を可愛がることに心を入れていらっしゃるので、六条のあたりですら、あまり通われず離れていらっしゃることが多くなっているようで

 「六条わたりにだに」というあたりから、逆に、六条の御方が、愛人の中では重要な位置を占めていることも分かります。

 

こうして、六条の愛人が年上で、身分も高く財力もあり、世間体を気にする思慮深い人で、源氏としてはあまり気が許せない、ちょっと疲れるような女性だということが描かれた上で、「葵」の巻でいよいよ彼女がどういう人かが明かされる…という流れになるわけです。


なんていうか、注釈つきの本や現代語訳本を読んでいると、ここらへんの「作者の仕掛け」を味わいにくく、最初から「六条御息所」とネタバレ込みで読むことになってしまいがちなことがちょっとつまらないですね。
(それって玉鬘物語については顕著に言えることだとも思いますが)


そして、葵の巻での車争いの話に至る前に、六条の愛人がどういう人であるかということが明らかにされます。


まことや、かの六条御息所の御腹の前坊の姫君、斎宮にゐたまひにしかば、 大将の御心ばへもいと頼もしげなきを、「幼き御ありさまのうしろめたさにことつけて下りやしなまし」と、かねてより思しけり。

そういえば、あの六条御息所の御腹の前東宮の姫君が、(桐壺院から朱雀帝への譲位により)斎宮におなりになったため、(御息所は、)源氏の大将の御心も非常に頼りにならない有様なので、「斎宮の幼いご様子が心配なのにかこつけて、共に伊勢に下ってしまおうか」と、かねてからお思いになっていた。

いきなり「かの六条御息所の御腹の前坊の姫君」なんて出てきて、さも周知の事実のように語ってるんですが、源氏の愛人である六条の御方がどういう人だったかについてはここが初出です。
ここまで、身分も高く、たしなみ深く、源氏がなかなか軽く扱えなそうな愛人だということばかりほのめかされていたのが、いきなり「前東宮の妃であり、東宮との間に姫君を産んだ方」ということが明らかになります。
そしてまた、六条御息所と源氏の噂を耳にした桐壺院が、「故宮のいとやむごとなく思し、時めかしたまひしものを東宮が、たいそう大事に思い、寵愛なさっていた方なのに)」と、東宮妃として時めいた人であったことも語られています。

さらに、

また、かく院にも聞こし召し、のたまはするに、人の御名も、わがためも、好色がましういとほしきに、いとどやむごとなく、 心苦しき筋には思ひきこえたまへど、まだ表はれては、わざともてなしきこえたまはず。
女も、似げなき御年のほどを恥づかしう思して、心とけたまはぬけしきなれば、それにつつみたるさまにもてなして、院に聞こし召し入れ、世の中の人も知らぬなくなりにたるを、深うしもあらぬ御心のほどを、いみじう思し嘆きけり。

また、このように桐壺院が、六条御息所と源氏の噂をお聞きになって色々おっしゃるにつけても、御息所の名誉のためにも、自分自身のためにも、好色がましく困ったことであるが、源氏の君は、御息所をいっそう大事に、気遣うべき方とはお思い申し上げているものの、まだ表だって特別な待遇でお扱い申し上げることはなさらなかった。
女の方も、似つかわしくないご年齢を恥ずかしくお思いになっていて、気をお許しにならないご様子なので、源氏の君はそれに遠慮している風に振る舞っていて、女としては、二人の仲を院もお聞きになり、世の中の人々も知らぬ人がないほどになってしまったのに、源氏の君がそう深い愛情ではない御心であるのを、ひどく思い嘆いていらっしゃった。

 

あんなにも六条の御息所が、世評を気にし、体面を保とうと心を砕いていたのに、二人の浮名はあらわに流れて院の耳にまで入るほどになってしまっています。
東宮妃であり、東宮が亡くならず即位していれば、中宮にもなったかも知れないような高貴な人。そういう人をただの愛人にするのは恐れ多いことだ、と、桐壺院みずから源氏を叱るほどの相手であり、源氏もよくそのことは分かっている。
それなのに、源氏はどうしても表だって妻として遇する気にはなれず、御息所が自分が年上で不釣り合いなのを気にしているのをいいことに、それに遠慮している風をよそおってごまかすだけ
ここらへんの扱いはちょっと酷ですね、源氏クン。
当然、そういう源氏の愛情の薄さを、六条御息所は深く嘆いているわけです。

そういう状況で、光源氏の正妻である左大臣家の姫、大殿の上(葵の上)と六条御息所が、葵祭りで源氏の姿を見物しようとした時にかち合ってしまい、供人同士が争いになり、結果、六条御息所は大恥をかかされることとなります。

本来、身分的にも六条御息所左大臣家の姫にも引けを取らない高貴な方ですが、光源氏を中心に見るとなると、かたやれっきとした正妻、御息所はただの愛人。

その差を思い知らされて深く恨んだ六条御息所は、無意識のうちに生霊となって葵の上をとり殺してしまい、しかもそれを源氏自身に見顕されてしまう。
そのため、いよいよ源氏の愛情も冷めてしまう…という状況に陥ってしまいます。


世間的に見れば、正妻である葵の上が亡くなったら、いよいよ六条御息所が正妻として扱われるようになるのではないかと見ていたものの、生霊の件で源氏の心は離れてしまい、そうはならない。
そこでまた御息所は恥をかくことになる。

結局、御息所は斎宮について伊勢に下ることにするものの、光源氏との仲がうまくいかないので、娘にかこつけて伊勢に下って、捨てられる前に別れた」ということが世間的にもバレバレ。
せめて、葵の上が亡くなったりしなければ、六条御息所の方から源氏を見限って別れた、という体裁にできたんでしょうけれど、かえって葵の上を取り殺したために、自分の体面は救いようもなく傷つくことになってしまったという状況です。