なんか帝の後宮ってユルくない?と思った話。
「後宮」っていうと。
中国の後宮なんかは、男子禁制で宦官しかいないわけじゃないですか。
日本でも、将軍の後宮、つまり大奥は女人しかいませんよね。
そういうのって、やはり「後宮の女性の浮気対策」「王、皇帝、将軍などの、後宮のあるじの子ではない子供を後宮の女性が孕まないように」っていうことですよね。
そういうキビシイ感覚で、日本の平安時代ぐらいのみかどの後宮を考えていると、これはかな~りイメージが違うようです。
源氏物語で、光源氏が女三宮の柏木との不倫を知った時、しんねりむっつりネチネチとこんなことを考えてます。
帝の御妻をも過つたぐひ、昔もありけれど、それはまたいふ方異なり。 宮仕へといひて、我も人も同じ君に馴れ仕うまつるほどに、おのづから、さるべき方につけても、心を交はしそめ、もののまぎれ多かりぬべきわざなり。
女御、更衣といへど、とある筋かかる方につけて、かたほなる人もあり、心ばせかならず重からぬうち混じりて、思はずなることもあれど、 おぼろけの定かなる過ち見えぬほどは、さても交じらふやうもあらむに、ふとしもあらはならぬ紛れありぬべし。
帝のおきさきとですら過ちを犯してしまうような例は、昔もあったけれど、それはまた話が違う。宮仕えをしていて、自分も相手も同じ主君にお使えする状況に馴れていくうちに、自然と、宿縁といったものもあって、お互い心を通じ合わせ始めるようなことにもなり、密かな情事を持つといったことも多くなるというものだ。
女御、更衣と言っても、色々な方面につけても不十分な所のある人もいて、人柄も必ずしも重々しくないような人も中には混ざっているものであって、それで思いの外な事件もあったとしても、並々でないはっきりとした過失と見えるほどのことがない限りは、そのまま宮仕えをし続けることもあるだろうから、全く露見していないような過失もあることだろう。
(中略)「 帝と聞こゆれど、ただ素直に、公ざまの心ばへばかりにて、宮仕へのほどもものすさまじきに、心ざし深き私のねぎ言になびき、おのがじしあはれを尽くし、見過ぐしがたき折のいらへをも言ひそめ、自然に心通ひそむらむ仲らひは、同じけしからぬ筋なれど、寄る方ありや。わが身ながらも、さばかりの人に心分けたまふべくはおぼえぬものを」
帝と申し上げるような方に仕えるといっても、ただ従順に、表向きお仕えしているというだけの気持ちでいて、宮仕えも何となく面白くないところに、こころざし深い様子で私的に熱心に言い寄ってくる男になびいてしまって、お互い愛情を尽くして、黙って見過ごせないような折々の返事なども交わし始め、自然と心が通い合うようになるような仲であれば、同じようにとんでもないことだといっても、同情することもできそうだというものだ。
我がことながら、宮があの程度の男に心を分けなさるだろうとは思えないのだが」
とりあえず訳しちゃったけど…
つまりですね。
- 帝のおきさきだって、たとえば帝にそんなに私的な愛情で愛されるなんてこともないような境遇の人なんかは、宮仕えもつまらなくて言い寄ってくる男になびいちゃうこともあるよね。
- でもボクは宮のこと大事に大事にしてたんだから、浮気されるなんて心外だ、プンプン
- 我ながら、柏木みたいな若造に目移りされてしまうような程度の男とは思えないんだがなあ。おかしいなあ
というのが光源氏クンの述懐です。
おいおい。
自分が帝の后妃と密通しまくってるからって、正当化しすぎなんちゃうの。
しかも、藤壺宮も朧月夜尚侍も、帝に愛されまくってたよね?
それでもアンタ、密通してたよね??!
光源氏くんのクドクドとした述懐は、まずは長ったらしい自己正当化から始まり、俺ってこんなイイ男なのにNTRとか、意味わかんね~んだけど!というナルシスト全開な思考に帰結します。
まあ一応そのあと、「もしかしたらボクちんの藤壺宮との密通も、パパにバレてたのかな…。パパってば、分かってて知らぬ顔してたのかな。ああ、おそれおおいことしちゃったな…」とか反省もしてますけど。
まあでもさ、今回ツッコミたいのはそこじゃない。
帝の后妃との密通もそれなりにある話だ…というのって、光源氏の単なる自己正当化かというと、実際そうでもないんですよね。
在原業平と藤原高子とか。
藤原綏子ってのはアレですよ、三条天皇の東宮時代に、東宮妃として宮中にいた頃から頼定と密通していたらしく、噂を聞いたか何かで不審に思った東宮が、彼女の異母兄である藤原道長に真偽を確かめるように命じたら、道長はずかずかと彼女の私室にまで押し入って、衣装の胸をはだけて乳房を直にひねり、母乳がほとばしるのを確認して、東宮のもとに「密通は事実でした」って報告したっていう…(大鏡のエピソードっすね)。
子供まで産んでるってあたりがすげぇ。
んでもって、
道長、いもうとのおっぱいわしづかみ。
いや、これって高校生の時に読んだか何かで、結構呆然としたエピソードだったんで…ちょっと強調してみました。
それでまた、この時の綏子のお相手だった源頼定って人、なんかこう…おきさきフェチだったんですかね?
綏子の死後ですが、今度は一条天皇の女御だった藤原元子と密通してるんですね。
一条天皇の死後ではありますが。(帝の死後や出家後、再婚する女御は珍しくはなかったようですけどね…)
元子の父大臣は激怒して、元子をひっつかまえて髪を切って無理やり尼にし、それでも元子が頼定と別れなかったので、とうとう屋敷から追い出してしまったそうな。
それでも別れず、結局二人は添い遂げたそうですが。
ああ…それを言うなら、光源氏だっておきさきフェチだろって言ってもいいよね。藤壺、朧月夜、元東宮妃の六条御息所。それと言い寄ってるだけで成就してないけど秋好中宮だって。
まあ、頼定は一度に一人なだけマシですけど。
ってかだから、何を言いたかったかというと、帝のおきさきの密通がちょくちょくあることだったっていうのはホントのことだったらしく。
藤原綏子なんて、特に罰されることもなく正二位に叙されたりしているそうですし。
中国の皇帝の後宮に比べて、ゆるくない?
つーかゆるすぎませんこと??
あーユルいなってエピソードにはもうひとつあって。
一条天皇の皇后だった藤原定子ね。
彼女、第一子の皇女を、内裏を退出したあと「どう考えても内裏退出前に懐妊したとは考えられない受胎期間を経て」産んでるんです。妊娠12ヶ月。
誰の子だよ。
まあその話はまた長くなりそうなんで別に書こう。