ふること

多分、古典文学について語ります

なんで光源氏は朝顔に「過去の肉体関係」を仄めかし続けるのか?!

源氏物語を読んでいて、いまだに不思議で仕方がないことの一つが、光源氏朝顔斎院の関係。
彼らの馴れ初めはそもそも直接的には語られていません。

初出は「帚木」の巻で空蝉が住む邸(紀伊守の邸)で女房たちが光源氏の噂話をしていた時に、「式部卿宮の姫君に朝顔奉りたまひし歌などを、すこしほほゆがめて語」っていたのを光源氏が盗み聞きしているシーン。

この「朝顔に歌をつけて贈った」ということがあったという話は後々も繰り返し出てくるのだが、この「朝顔の歌を贈った」時にどういう経緯だったのかというのが、よく分からない。
そもそも「朝顔」というのは、男女が逢い見て一晩共寝した翌朝の顔のことを指すことが多いわけなんですが。


帚木のつぎ、「葵」の巻では、朝顔の姫君が源氏と付かず離れずの関係を保ちつつ、結婚等は考えていないというあたりが描かれてます。


その後「賢木」の巻で、桐壺院の崩御に伴って斎院が交代し、朝顔の姫君が斎院になります。
斎院は未婚の皇女、女王がなるものなので、ここで光源氏との関係は絶えるかと思いきや、相当乱暴に迫ったのにどうしても藤壺がなびいてくれなかったことに不貞腐れた挙げ句に、あてつけに雲林院に籠もった源氏が、朝顔の斎院がいる場所が近くだからといって、手紙を送ります。

そもそもがこのシーンの光源氏クン、お寺に籠もって仏道修行に励むかと思いきや、あちこち女に手紙を出しーの、過去の女をあれこれ思い出しーので、雑念…つか性欲にまみれたまんまで、ろくなことやっとりません。

そしてまた、朝顔斎院との手紙のやりとりの内容が、ちょっと不可解。

 

  かけまくはかしこけれどもそのかみの
  秋思ほゆる木綿欅かな

昔を今にと思ひたまふるもかひなく、とり返されむもののやうに」と、なれなれしげに、唐の浅緑の紙に、榊に木綿つけなど神々しうしなして参らせたまふ。

「口に出していうのは大変恐れ多いけれども、昔の秋が思い出されることです(木綿襷というのは、神事に奉仕するときに用いる木綿でつくったたすきで、神事に関する縁語などを散りばめてある)。昔を今に、と思いますが、甲斐もありませんね、取り返せるもののように言うのも」と、なれなれしい内容の手紙を、唐の浅緑の紙に、榊に木綿をつけたりなどして、神々しく作り上げて斎院に差し上げなさる。

 

「かけまくはかしこけれども」なんて、神様の手前畏れ多い、と一応言いつつ、「昔のような関係を取り返したいものです」などと、過去の関係ありげな図々しい歌を読みかけてるんです。(昔を今に、というのは元歌を引いたもので、元歌は、昔の女とよりを戻したくて贈ったという歌です)

その手紙への斎院の反応↓

 

   「そのかみやいかがはありし木綿欅
   心にかけてしのぶらむゆゑ
         近き世に」
とぞある。 御手、こまやかにはあらねど、らうらうじう、 草などをかしうなりにけり。まして、朝顔もねびまさりたまへらむかし」と 思ほゆるも、ただならず、恐ろしや。

「昔はどうだったというのでしょう。あなたが心にかけて偲んでいらっしゃるというその所以はいったい。最近のことなら尚更分かりません」(「近き世に」は、何か元歌があるらしい)」とあった。源氏の君は「(斎院の)御手跡は、繊細な美しさはないがたくみな書きぶりで、崩した草書など上手になっていらっしゃる。まして、『朝顔』もさぞかし美しくなっていらっしゃることだろう」と思えるにつけても、平静ではいられず、恐れ多いことである。


斎院は、「昔の関係って何のことでしょう。あなたが思い出してお偲びになるようなことが、私とあなたの間に何かありましたか」といったような返事を、源氏が斎院に贈った手紙につけてあった木綿の端こ書き付けていました。
「よりを戻したいものだ」なんて言われて見過ごせず、「よりを戻すような関係だった覚えはございませんでしたが何か」と返事しているわけです。

まあそりゃね、斎院って未婚の皇女・女王がなるものであって、それってやっぱりただ未婚ってだけじゃなくて処女じゃなきゃアカンわけでしょ常考
それを「あなたと昔ヤった時のことがしのばれる」なんて手紙を堂々と神域に寄越されちゃ、だまっちゃいられなかったんでしょうね。

にしてもですね、ここは源氏がありもしなかった肉体関係を匂わせている(それもたいがいですが)と解釈すればそれで良さそうでもあるし、訳注とかでもそんな感じに解釈されてきている感じなんですが、それでも腑に落ちないポイントがある。

源氏は「朝顔もねびまさりたまへらむかし」と考えてるわけですね。

これは、普通に解釈すると「共寝した翌朝見たあの姫君のお顔も、さぞかし美しくなりまさっていらっしゃるだろう」という意味になります。
光源氏が詠んだ歌は、嘘っぱちな肉体関係を匂わせただけと解釈もできるんだけど、ここは光源氏のモノローグ部分なので、嘘とも解釈できない。
朝顔」は普通は「共寝した翌朝見た顔」だけれども、ここを単なる「朝の顔」あるいいは「昔贈った朝顔の歌の頃からもっと美しくなっていらっしゃるだろう」と解釈している訳本もあるようです。
そうは言っても「顔」は「顔」。やはりどう考えても、光源氏朝顔の姫君の顔を昔見たことがあるとしか思えない表現であるように思います。

しっかし、この時代だと、女の顔を見たことある=肉体関係成立後、なんだよなあ。
だいたい、男が女の顔を見るのって、結婚4日目の朝なんですよ。
それまでは暗闇の中、来ては帰るから、顔もろくにみたことないのが当たり前なんだし。


ここらへん、「あさきゆめみし」では、むかしある朝に、光源氏が姫君に出くわして偶然姿を見た…みたいな解釈にしていて、美しい出会いのシーンを描いていました(しかし何でそんなことになったのかというあたりは説明ナシ。まあ説明のしようがないというのもある)


ま、肉体関係まではないけど何かで顔を見たことはあ、というのが妥当な解釈なんでしょうが……。う~ん…。

朝顔の姫君は深窓の姫君だし、ちょっとやそっとで顔を見られるようなことってないはずなんですよね。
よくある「かいま見」ならば、そういうことがないとは言えない。
しかしそれであれば、一方的に覗き見で顔を見たことあるだけのことを、肉体関係まであったかのようにいわくありげな言い方するもんですかね?!
それだと、なんか図々しいにも程があるというか、妄想たけだけしいって感じで…ちょっとキモい

そして、源氏が朝顔の姫君に「過去の肉体関係を匂わせる」のは、ここだけではないんです。

朝顔の姫君が斎院を退下した後、光源氏が再度彼女に言い寄った際、姫君は光源氏に御簾の内も許さず会話も直接はせず、女房を介して返事をし、はてには奥に引っ込んで人づての返事すらしなくなってしまう、という疎々しさで対応する(昔顔まで見たことあるとは思えない…)。

(後日追記。御簾の内を許してくれ云々と源氏が要求している会話はあるものの、とりあえず源氏は簀子ではなく廂の間には入れてもらえているので、それ自体はそんなに疎疎しい対応ではないかも。あくまで女房のはからいですが。しかし、朝顔自身はそれ以上近づけることなく、また直接返事をしようとはしなかった…という感じです)

そしてそのつれない態度にあぐねて源氏が帰宅した後、このような手紙を朝顔の花とともに元斎院に届けさせる。(「にほひもことに変われるを」とあるので、色彩も移ろって色あせてしまった朝顔を贈ったのではないかと思えますが…)

 

「けざやかなりし御もてなしに、人悪ろき心地しはべりて、後手(うしろで)もいとどいかが御覧じけむと、ねたく。されど

        見し折のつゆ忘られぬ朝顔
        花の盛りは過ぎやしぬらむ
年ごろの積もりも、あはれとばかりは、さりとも、思し知るらむやとなむ、かつは」

あなたのきっぱりと拒絶なさるお扱いにきまり悪い気持ちがしまして、すごすごと帰る後ろ姿もどのようにご覧になっただろうと、悔しくて。ですが、
   昔お逢いした時の、けして忘れられぬあなたの朝のお顔も
   花の盛りの美しさを過ぎてしまわれたでしょうか

長年のお慕いしてきた私の気持ちを、そうは言ってもかわいそうにとぐらいはご理解いただけるのではないかと、一方で期待も…」

 
この歌の詠みっぷり、どうでしょう。
「見し折の…朝顔」と、ここでははっきり「見し」と言っているので、どう解釈しても歌の字面は「昔契りを結んだ翌朝の、忘れることができないあなたのお顔は」という意味になります。
その上で、「あなたはもう盛りの美しさも過ぎてしまったでしょうね」と。


「昔アナタと寝ましたよね私。あの朝のアナタの顔、今でも忘れられないんですよ。でもあの美しかったお顔も、きっと長い年月が経って、美しさの盛りを過ぎてしまったでしょうね」

…うん。なんとも失礼この上ない歌です。
まして、この二人にもし肉体関係なかったのにあったかのように詠んでいるのだとしたら、尚更、失礼通り越してセクハラ妄想オヤジいい加減にしろキモイんじゃワレ!塩撒くぞゴルァ!!というレベルです。

 

…それに対する朝顔元斎院の返歌は↓こんな感じ。

  「秋果てて霧の籬にむすぼほれ
   あるかなきかに移る朝顔
似つかはしき御よそへにつけても、露けく」
秋も終わりに近づいて、霧のかかった垣根にまとわりつき、あるかなきかのようにはかなく枯れて色も移ろってしまった朝顔のような私です。
私に似つかわしいたとえをあなたがなさるにつけても、涙が露のようにこぼれます」

…おっしゃる通り、盛りを過ぎてはかなく色香も移ろってしまったわたくしですわ。と、謙遜して返しています。
「昔の関係」についてはスルーして、朝咲いて夕方には枯れてしまう花のはかなさのみ取り上げて詠み込めている感じですね。

うーん…
これでは真相を断定しづらい。

どうなんでしょうねこの二人。

(1) 源氏は、朝顔の姫君に対しては、どういうわけかシツコクねちっこく何度も何度も、ありもしなかった肉体関係を仄めかす図々しい歌ばかり読みかけてセクハラするのをやめられなかった。

(2)実は二人は昔、どういう経緯でか分からないがこっそり関係を持ったことがあった。しかし姫君はきっぱりとなかったことにしていて、光源氏と深い仲を続けようとはせず、処女のフリをして斎院も務めてバックレてた。

 

…どっちの解釈も、なんかイヤ


(1)の解釈、つまり光源氏が、何度も何度もありもしない肉体関係を仄めかして図々しい歌を詠みかけているとしたら、何で朝顔にだけそんな態度なのかという謎も生じます。他の女たちには、こんな図々しい態度取ったりしてないと思うんですけどね。
空蝉に対してだって、最初は強引にヤっちゃったけど、面と向かった口説き文句とか手紙とかはそんな図々しいこと言ったりしてなかったような。
光源氏は、スマートで優雅な貴公子ですからね、基本。

もともと女に図々しく馴れ馴れしい態度を取る性格なのだったら分かるけど、そういうわけでもないのに朝顔にだけこれ?
やはり謎。


かといって(2)の解釈もどうなの…。
深窓の姫君がそんな関係持ったことがあったら、絶対誰かしら知っている女房がいて、男はその女房に手紙の仲介をさせたり、手引させたりして…とかなりそうなものだけど、そういう女房がいる様子もないし。

あ、でも、朧月夜尚侍がまだ「深窓の令嬢」だった頃に光源氏が最初に関係を持った時は、その夜あったことを知る女房とかいなくて、源氏も手紙のやりとりすら誰に頼みようもなくて困ってましたね。
しかし、花散里にせよ朧月夜にせよ、「姉が女御で、妹も宮中に遊びに?来ていた」というきっかけがあったんですが、朝顔の姫君は姉妹もいないし、何かしらそういう機会があったとも考えづらいし…
うーんうーん。


なお、上の歌のやりとりのあと、地の文で

 

その折は罪なきことも、つきづきしくまねびなすには、ほほゆがむこともあめればこそ、さかしらに書き紛らはしつつ、おぼつかなきことも多かりけり。
その当時は特に問題なかったようなことも、もっともらしく書き伝えようとすると、事実を誤って伝えることもあるようなので、こうして分かった風に書きつくろいながらも、疑わしいような部分も多くなってしまったことですよ。

と、こうして書いていることが事実と違っているかも知れませんよ、なーんてフォローらしきものが入っているんですね。

光源氏の歌があまりにあんまりなので、それへのフォローかとも思うんですが…

一応は(1)の解釈が正当でありつつ、案外本当に昔ふたりが逢瀬を持ったことがあった、なんて可能性も完全には否定しきれない気もします。


紫式部サン、そんな仄めかしの余地を残そうと意図して、光源氏朝顔への不可思議な態度を描き続けたのかも知れません。わからんけど。