ふること

多分、古典文学について語ります

嫉妬のかたち2-3~六条御息所・怨霊編

 さて、源氏物語の話。
六条御息所が死霊となった後、彼女が何にこだわって祟ったのか…ということを考えてみようと思います。

 

六条さん怨霊版が出てくるのは、若菜下巻。

六条院(源氏)の妻たちと娘の明石女御とで催した女楽が終わった後、源氏が女三宮のもとで夜を過ごしているうちに紫の上が発病し、二条院に転地してそこで源氏が紫の上の看病にかまけている間に、六条院では衛門督(柏木。中納言兼任)が女三宮の元に忍び入り、思い余って契りを結んでいました。
翌朝、女三宮は驚きや衝撃、罪の意識で具合が悪くなり、そのことを聞いた源氏が「紫の上のみならず、女三宮まで病気とは」と驚いて六条院に来て、すぐ帰るわけにもいかず夜を過ごしていたら、紫の上が息を引き取った、という知らせが来ます。
狼狽して二条院に戻った源氏は、帰ろうとしていた僧たちを引き留め、すぐれた僧たちを集めて蘇生を願って祈祷させると、それまで現れなかった物の怪が小さい童女に移って騒ぎ始め、同時に紫の上は息を吹き返しました。

そして、
童女に移った物の怪が源氏に言った言葉が、以下です。

 

若菜下

「人は皆去りね。院一所の御耳に聞こえむ。おのれを月ごろ調じわびさせたまふが、情けなくつらければ、同じくは思し知らせむと思ひつれど、さすがに命も堪ふまじく、身を砕きて思し惑ふを見たてまつれば、今こそ、かくいみじき身を受けたれ、いにしへの心の残りてこそ、かくまでも参り来たるなれば、ものの心苦しさをえ見過ぐさで、つひに現はれぬること。さらに知られじと思ひつるものを。

「人は皆去れ。院おひとりのお耳に申し上げたい。(といって人払いをさせて、)私を何か月ものあいだ調伏し困らせなさるのが薄情で辛いので、同じことなら院に思い知らせ申し上げたいと思ったが、そうはいってもやはり、命も絶えてしまいそうなほどひどく悲しみ苦しんで惑乱していらっしゃるのを拝見すると、今でこそこのようにあさましい物の怪の身になってしまっていますが、昔の心が残っているからこそ、こうまでしてこちらに来ましたわけですから、お気の毒な様子を見過ごすことができず、ついに姿を現してしまったことです。決してあなたには知られまいと思っていたのに」

物の怪は人払いをさせて、源氏ひとりに訴えます。

本当はあなたに思い知らせてやろうと思ったのだけれど、そもそも昔の愛情が残っているからこそこうしてあなたのそばにまで来たのだから、あなたが悲しんで辛そうな姿を見過ごせず、ついこうして姿を現してしまった。

そう言って物の怪が髪を顔にかけて泣いている様子は、源氏が葵上が亡くなった際に見た物の怪の気配と同じだった。
源氏は、「本当にあなたか」と問い詰め、「はっきり名乗れ。でなければ、人が知らないようなことで、自分にはそれと思い出せるようなことを言え」と物の怪を問いただします。
すると物の怪はぽろぽろと泣いて

「 わが身こそあらぬさまなれそれながら
   そらおぼれする君は君なり
   いとつらし、いとつらし」
と泣き叫ぶものから、さすがにもの恥ぢしたるけはひ、変らず、なかなかいと疎ましく、心憂ければ、もの言はせじと思す。

私の身こそ、かつてとは違う身になってしまいましたが、素知らぬふりをするあなたはあなたで、昔のままですね。ああ辛い、とても辛い」と泣き叫ぶものの、さすがに恥ずかしげな様子であるのが昔と変わらず、かえってひどくうとましく、情けないので、この物の怪にそれ以上ものを言わせまい、と源氏はお思いになった。

物の怪が恥じらいを見せるようすがうとましい。ここはなかなか秀逸な描写ですね。

小さな女童が、「辛い」と泣き叫びながら、成熟した女性の所作で恥じらいを見せるんです。見た目、なかなか不気味な絵が出来上がりそうです。

その恥じらいの所作を見て、確かに物の怪は六条御息所だ、と思い、源氏は不快で「それ以上物を言わせまい」と思います。

まあそうだよね。源氏にとって愉快なことを言うはずもありませんから。

しかし、六条御息所の死霊は、そのあとも長々と言葉を続けます。

中宮の御事にても、いとうれしくかたじけなしとなむ、天翔りても見たてまつれど、道異になりぬれば、子の上までも深くおぼえぬにやあらむ、なほ、 みづからつらしと思ひきこえし心の執なむ、止まるものなりける。

中宮の事は、たいそう嬉しくもありがたいことだと、天を翔けながら拝見しておりましたが、あの世の人になると我が子のことは深くも思えなくなるものなのでしょうか、やはり、自ら恨めしくお思い申し上げた心の執着ばかりがとどまるものなようです。

源氏は、六条御息所への罪滅ぼしもあり、彼女の遺言のこともあり、娘の斎宮を世話して冷泉帝に入内させ、中宮の位にまで就かせたわけです。
しかしその恩については「ありがたい」とは思っていても、死霊となっては子への愛情よりも恨みの方がしつこく残るものなようです、と物の怪は語ります。

 

その中にも、生きての世に、人より落として思し捨てしよりも、 思ふどちの御物語のついでに、心善からず憎かりしありさまをのたまひ出でたりしなむ、いと恨めしく。今はただ亡きに思し許して、異人の言ひ落としめむをだに、はぶき隠したまへとこそ思へ、とうち思ひしばかりに、かくいみじき身のけはひなれば、 かく所狭きなり。

そのとどまっている妄執の中でも、生きていた時に私を人より落としめて思い捨てなさっていたことよりも、思い合う同士で語り合うついでに、私のことを、性根が悪く、憎らしい様子だったとお話しなさったことこそが、ひどく恨めしいのです。
今となっては、死んでしまったことでお許しになって、他人が悪く言い貶めたとしても、悪いところをはぶいて隠していただきたいと思いますのに(まして自ら悪くお言いになるなんて)、とふと思ったばかりに、このようにひどくあさましい物の怪の様子になっておりますから、こうして大げさなことになってしまっているのです。

愛執・恨みが残っている…と言っても、生前に愛情が薄かったこと、他の女より下に思っていたことよりも、紫の上に源氏が彼女のことを悪く語ったことが許せなかった。死んだ身なのだから、欠点は庇って隠してくれてもよさそうなものなのに、と思ったために、このように大きく祟ることになったのだ…と物の怪は語ります。

 

この人を、深く憎しと思ひきこゆることはなけれど、守り強く、いと御あたり遠き心地して、え近づき参らず、御声をだにほのかになむ聞きはべる。

この人(紫の上)を、深く憎いとお思い申し上げることはないのですが、(あなたの)守りが強く、たいそうおそばが遠い気持ちがして、近づき申し上げることができず、お声をかすかに聞くだけなのです。

 

六条御息所の死霊は、紫の上のことを憎いと思ってはいない、と断言します。ただ、源氏自身は守りが強くて近づけず、声がかすかに聞こえるだけなので、この人の方に取り憑いたのだ、と語ります。

 

よし、今は、この罪軽むばかりのわざをせさせたまへ。修法、読経とののしることも、身には苦しくわびしき炎とのみまつはれて、さらに尊きことも聞こえねば、いと悲しくなむ。中宮にも、このよしを伝へ聞こえたまへ。ゆめ御宮仕へのほどに、人ときしろひ嫉む心つかひたまふな。斎宮におはしまししころほひの御罪軽むべからむ功徳のことを、かならずせさせたまへ。いと悔しきことになむありける」

よろしい、今はもう、この罪が軽くなるようなことをなさって下さい。修法、読経と騒いでいることも、私の身には苦しく辛い炎のようにまつわりつくだけで、尊いみ仏のことも全く聞こえてこないので、とても悲しいのです。
中宮にも、このことをお伝え申し上げなさって下さい。宮仕えをなさる時に、決して人と競ってねたむ心を持ってはなりません。斎宮でいらっしゃった頃に仏道から離れていらっしゃった罪を軽くするような功徳のあることを、必ずなさいますように。たいそう残念なことでございますよ

 

取り憑いたわけを語ったあと、死霊は「罪が軽くなるように弔って下さい」と願い、さらに娘の中宮に「宮仕えのときに、人と競ったり妬んだりしてはいけない」と伝言します。

さらにこの後、紫の上の病が小康を得た後、不義の子、のちの薫大将を産んだ女三宮が、産後の体調不良を理由に、源氏が引き留めるのも聞かず出家してしまった後、六条御息所の死霊がまた現れて、このようなことを言います。

 

後夜の御加持に御もののけ出で来て、「かうぞあるよ。いとかしこう取り返しつと、一人をば思したりしがいとねたかりしかば、このわたりにさりげなくてなむ、日ごろさぶらひつる。今は帰りなむ」とて、うち笑ふ。

夜半から朝までの加持祈祷で物の怪が出てきて、「どう、こんなことになったではないか。うまく取り返した、と一人のことをお思いになっているのが悔しかったから、気づかれないようにしてずっとこのあたりにいたのです。今はもう帰ろう」と言って、笑い声を上げた。

 

ここのところ、なかなか仕掛けが深い。

紫の上に取り憑いた時は、光源氏が嘆き惑う様を見過ごせなくて、最後まで取り殺さずにやめた死霊が、女三宮に取り憑いた時は、出家してしまうまでしおおせたわけです。
その時も光源氏は泣いて出家を引き留めようとはしていました。

【ポイント】

  • 六条御息所の死霊は、光源氏が本気で心底嘆き悲しんでいたら、昔の愛情がよみがえってやりおおせなかった→源氏の女三宮への愛情がそこまで本気でなく、紫の上が死んだと思った時ほどではなかった。
  • 紫の上が死にかけた時には出家を押しとどめたけれど、女三宮の出家は押しとどめ切れていない。朱雀院の強引さもあるが、出家願望が物の怪の仕業だとしたら、やはり源氏が本気で悲しんで止めていたら物の怪はしおおせなかったはず。
  • そして結局、死霊は女三宮を出家させたことで気が済んだらしく「今は帰ろう」と言って去っていっている。

まずは前提として、光源氏から女三宮への愛情が、紫の上に対するものほど本物ではないということを、六条御息所の死霊は見抜いているのではないか、という点があります。
それでいて、女三宮を出家させたことで、満足してしまっている。

そもそもなぜ六条御息所の死霊は女三宮に取り憑いたのか。
結局、彼女は何をどうしたくて、何をしおおせて快哉を叫んだのか?

 

現れた時からの言動を振り返ると、そもそも彼女、紫の上のことは恨んでいないと断言しているわけです。
紫の上は源氏最愛の人。その死を嘆き悲しむのが見過ごせなくて六条御息所の死霊が殺すのをやめてしまったというほどに。
また六条御息所は、「生前、源氏が自分への愛情が他の女より下だったことよりも…」と、そのこと自体はさほど妄執として残っているわけではなさそうなことを語ってもいます。


ここからして、そもそも六条御息所は、源氏への愛情ゆえに死霊になって祟っているわけではない、ということがはっきりします。

むしろ、源氏への愛情は、彼女が紫の上に祟るのをやめる動機になっているぐらいです。

六条御息所が祟るのは、愛情ゆえではない

では、何ゆえか。

そのことも、御息所ははっきり語っています。

死んだあとまで、自分のことを源氏に悪く言われたから

ここで彼女が源氏と別れる時の最後の心理描写を再引用してみます。

旅の御装束よりはじめ、人びとのまで、何くれの御調度など、いかめしうめづらしきさまにて、とぶらひきこえたまへど、何とも思されず。あはあはしう心うき名をのみ流して、あさましき身のありさまを、今はじめたらむやうに、ほど近くなるままに、起き臥し嘆きたまふ。
源氏は、御息所の旅の御装束を始め、お仕えする人々のものに至るまで、調度類なども、何かと立派に珍しいものを揃えて餞別としてお贈りなさったが、御息所はそういった贈り物にも何ともお思いにならなかった。
ただ、軽々しく嫌な艶聞を世に広めてしまった、嘆かわしい我が身の有様を、今始めたことのように、下向の日が近くなるままに、寝ても覚めても嘆いていらっしゃる。

 源氏が六条御息所を京に引き留めることをあきらめ、心づくしの餞別を贈ってきたことに対しては、もはや何にも、男が諦めたことを残念だとも、餞別を嬉しいとも思わなかった。
ただただ、自分が浮き名を世に流した嘆かわしい有様を、今あらためて嘆いていた。

…要するに、源氏との恋愛沙汰を通して、自分の評判が傷つき、プライド、女の矜持が傷ついたことを、最後に彼女は嘆いていました
その感情は、死霊となった後も変わらなかったわけです。

中宮に「人と競ったり妬んだりするな」と言っていることからは、自分が葵上と競う心があり、葵上を妬んで取り殺してしまったことへの後悔が伺われます。


しかも、六条御息所は、紫の上のことは妬ましいとも思っていなかった。恨んでもいなかった。紫の上は葵の上よりもっと愛されていたのだから、愛の競い合いというところからしたら六条御息所に妬まれたり恨まれたりしそうなものですが。

生前も、葵の上の死後は特に、紫の上は六条御息所にとって最大のライバルであったはず。葵上は紫の上のことを(実際に源氏が紫の上と契りを結ぶ前であったにも関わらず)嫉妬していました。

しかし、六条御息所が生前に紫の上のことをさほど(というか生霊になるほど)気にしていたような描写はなく、また、死後にも決して本人を直接恨んではいなかったのです。

六条御息所は、葵上が、車争いで、自分に恥をかかせてメンツを潰したことをひたすら恨んだ。愛情争いよりも、恥をかいた恨みの方が、実際にはメインだったわけです。


恥をかいた恨みで葵の上を取り殺した。
しかしそのことによって光源氏に見下げられて愛情が冷めてしまったため、余計に世の中で「あれだけの身分でありながら、正妻が死んですら、妻にもしてもらえない女」として、更なる恥をかいてしまった。

成仏できなかった彼女は、源氏が六条院に従順な女たちを収集するのをはるかに見ながら、「源氏が自分のことを悪く言った」ことをきっかけに怨霊化し、源氏に取り憑けなかったばかりに、紫の上に取り憑くのです。
しかし昔の愛情がよみがえってしまって源氏の悲しみにひるんでしまい、取り殺しきれなかったために、女三宮に取り憑いて出家させた。

 

嫉妬というものの本質は何なのか。愛情なのか。
それとも、他人と競い合う心、妬む心なのか。

それはやはり、他人と競い合い、他人を妬む心を持つ中で、誇りや矜持が傷ついてしまったことを恨む心が妄執として残るのだ…という作者の考えを、六条御息所の死霊はあらわしているのかも知れません。

 

ただ、「プライドや矜持が傷ついたことを恨む」というのを現代的な感覚で考えると、それは自意識の問題…というかアイデンティティの問題だったりもするわけで。

愛ではなく、誇りを傷つけられたが故に怨霊化した、と考えると、むしろ六条御息所はカッコイイ気がしてきます

 

そして、誇りが傷ついたが故に怨霊化した六条御息所が、最後に女三宮に取り憑いたのはなぜか、そして女三宮を出家させて満足したかのように「もう帰ろう」と姿を消したのはなぜか…ということを、改めて考えてみたい。

 

源氏の愛情という意味からではないだろう。それは自分をけなして生前の評判を汚し、誇りを傷つけた源氏への復讐であったわけだけれども、なぜ女三宮を出家させることが源氏への復讐になったのか。

通りいっぺんに見れば、源氏にも女三宮への愛情もしくは愛着は、紫の上ほどではなくてもそれなりにあったわけだから、出家させて源氏を悲しませるため…ということになりそうですが。
しかし、最愛の紫の上を奪うことは諦めてしまい、女三宮を出家させたことが、怨霊にとってかうぞあるよ」「今は帰りなむ」といって、恨みが晴れたとばかりに離れていくことができるほど、胸がすくことであったのか?と考えると、なんだか次善の復讐で満足しただけなような感じがして、ちょっと腑に落ちない気もします。

そこのところを、「誇りを傷つけられた恨み」という観点で見直してみたときに、六条御息所の祟りにはもう少し深い意味があるのではないかな…という気もしてくるのです。

 

というあたりでまた続く。

古典から下ネタ話を探してみた。その2

もいっちょ小ネタ。つか下ネタ。

宇治拾遺物語巻一の十一「源大納言雅俊 一生不犯(ふぼん)の鐘打たせたる事」より。

これ、きっと一部で有名な段だったりするんじゃないかな~って思うんですけど。
もう、全文引用してしまおう。

これも今は昔、京極の源大納言雅俊といふ人おはしけり。仏事をせられけるに、仏前にて僧に鐘を打たせて、一生不犯なるを選びて講を行はれけるに、ある僧の礼盤(らいばん)に上りて、少し顔気色違ひたるやうになりて、橦木(しもく)を取りて振りまはして打ちもやらでしばしばかりありければ、大納言いかにと思はれける程に、やや久しく物もいはでありければ、人どもおぼつかなく思ひける程に、この僧わななきたる声にて「かはつるみはいかが候ふべき」といひたるに、諸人頤(おとがひ)を放ちて笑ひたるに、一人の侍ありて「かはつるみはいくつばかりにて候ひしぞ」と問ひたるに、この僧、首をひねりて「きと夜部(よべ)もして候ひき」といふに、大方とよみあへり。その紛れに早う逃げにけりとぞ。

これも今は昔の話となったが、京極の源大納言雅俊という方がいらっしゃった。仏事をなさった時に、仏前で僧に鐘を打たせて、一生不犯(生涯淫戒を犯さないこと)である僧を選んで法会を行われたところ、ある僧が高座に上って、少し顔が正常ではない様子になって、橦木(鐘を打つための小棒)を取って振り回し、打ちもしないでしばらくそうしていたので、大納言が一体どうしたのだとお思いになっているうちに、長いこと物も言わないでいたので、人々も不審に思っていたところ、この僧が震え声で「かはつるみはいかがでございましょうか」と言ったので、皆は顎を外しそうになるほど笑った。一人の侍がいて、「かはつるみはどれぐらいなさったのですか」と質問したところ、この僧は、首をひねって「ちょっと昨夜もいたしました」と答えたので、一座はどよめくように笑った。それに紛れて、僧はさっさと逃げてしまったということだ。

源大納言雅俊というおえらいさんがいて、仏事をするといって、「一生不犯」の僧を選んで講会を行った、と。

この「不犯」というのは僧が戒律を守って犯さないことを言いますが、一般には特に「女淫をしない」、一生女と寝ませんよ、ってなことを指すことが多いわけですね。

んで、その会で鐘を打とうとして高座に上った僧が、棒を振り回すだけでためらって、なかなか鐘を打とうとしないので、大納言を始め、周囲の者たちが皆不審に想い始めたあたりで、その僧は震え声で「かはつるみ はいかがでしょうか」と言ったわけです。バナナはおやつに入りますか、的な?

さてここで質問です。

か は つ る み 」って何のことでしょう。

うん、この文章まるっと入試問題に出して、「かはつるみ」に傍線引いて、読解問題として十点ぐらい配点するといいね! 絶対出ないけどね!!

 

正解:手でいたすこと。(注:こういうぼかした書き方では、入試では減点されますyo!)

 

「つるむ」が「つがう」と同じような意味で、交わるとか交尾するとか。
「かは」は…「皮」ですかね?


この生真面目なお坊さん、女性とじゃなくて手でやるのは戒律を犯すことになるのかどうか、というのが気がかりで、鐘を打つ勇気が出なかったわけですね。正直に昨夜もやりましたと答えちゃうあたり、純情すぎて、何とも可愛がってあげたいタイプです。

ってかさ、よいこの皆さんは、学校の古典の先生に「かはつるみ」っていう古文単語はどういう意味なんですか、とか質問しにいっちゃ駄目ですよ。駄目ですったら。
まじめに、異性の先生だとセクハラにしかなりませんからね!

 

ちなみにワタシ、twitterbotのネタで、ちょっと前から「かはつるみ」って言葉の意味は知ってたんですが、実際その言葉にぶちあたってちょっと嬉しかったっす。

twitter.com

…なんかアレですね、私がすごく下ネタ好きな人間みたいでアレですが。
そりゃ好きじゃないわけじゃないですけどね。
タイトルにも「その2」とかついてますよね。本気で探し続けるつもりなんでしょうかね。
分かりませんけどね。

増賀上人、下ネタ尽くしで太皇太后宮を諭す?!

なんか源氏物語の話を始めるとそればかりになってしまうので、息抜きに、たまたま昨日拾い読みをしていた今昔物語でちょっと面白い話があったので、その話を。
なお、文中の今昔物語は「今昔物語集・新編日本古典文学全集 巻十九/小学館」より。

 

むかし、三条の太皇太后宮という人がいた。円融天皇の皇后で(『素腹の后』と言われた藤原遵子)、ご寵愛を受けていたが、年をとったので「出家しよう」と思い、多武峰に籠もっている増賀聖人という尊い僧に髪を切ってもらおうとして、使いをやった。
すると増賀は

「糸(いと)(たふと)キコトナリ。増賀コソハ尼ニハ成シ奉ラメ。他人(ことひと)ハ誰(たれ)カ成(な)シ奉ラム」今昔物語集・新編日本古典文学全集 巻十九/小学館

「それはたいそう尊いことです。この増賀こそが、尼にしてさしあげることができましょう。他の誰がしてさしあげられましょう(いや、できますまい)」

 と言ったので、増賀の弟子たちは「てっきり使者を怒ってなぐるだろうと思ったのに、こんなにおだやかに『参上しよう』というなんて、稀有なことだ」と言っていたそうな。

そうして増賀は三条宮におもむいたので、后宮は喜んで、では今日出家しよう、という話になり、上達部(高官)が何人か、他に高僧たちが立ち会い、出家することとなった。
立ち会うものたちが見るに、この増賀聖人は、恐ろしげな目つきをしていて、不気味な様子をしていたので「これだから恐れられているんだな」と思っていた、と。

そうして聖人は后宮の前に召し出されて出家の儀式をして、后宮の御几帳のもとで、書き出された長い黒髪を切ったが、切った後で急に、声高らかに言うには、

増賀ヲシモ召(めし)テカク令挟(はさまし)メ給フハ何(いか)ナル事ゾ。若(も)し乱(みだ)り穢(きたな)キ物ノ大(おほき)ナル事ヲ聞(きこ)シ食(めし)タルニヤ。現(げ)ニ人ヨリモ大(おほ)キニ侍(はべ)レドモ、今ハ練絹(ねりぎぬ)ノ様(やう)ニ乱々(くたくた)ト罷成(まかりなり)ニタル物(もの)ヲ。若(わかき)(かみ)ハケシウハ侍(はべ)ラザリシ物ヲ。糸(いと)口惜(くちを)シ」

 「この増賀を召し出してこのように髪を切らせなさるのは、どういうことなのか。まったく納得できませんな。もしかして、拙僧のこの汚いイチモツが大きいということをお聞きになってのことでしょうか。確かに、人よりも大きいですが、今は練絹のようにクタクタとなっていますのに。若い頃はまんざらでもなかったのですが、まったく残念なことだ」 

なんで后宮がわざわざ拙僧をお召しになったのかさっぱり分かりませんな。まさか、この私を、ただ出家するのに髪を切らせたいっていうだけの些細な用事で呼びつけなさったわけじゃありますまい。
拙僧のこの汚いイチモツが大きい(大事なところなので繰り返します)とご期待なさって、それで慰んでみたいとお思いになってお呼びいただいたのかも知れませんが、しかしさっぱり立たないんで、お役に立てそうにもありませんよ。これでも若い頃はブイブイ言わしてたんで、お相手もできたかも知れませんが、年には勝てず、残念なことです。

染殿の后とか二条の后とか、后が僧と密通みたいな話はよくあったので、それにあてつけて、「体目当て?」と言ったんでしょう。

さて、そんなことを増賀が大声で言い放ったので、周囲の女房たちはポカーン。后宮も茫然自失状態で、僧や高官たちも冷や汗ダラダラ。

そしてそのまま立ち去ろうとして、聖人は皇后宮大夫(皇后を世話する役所の長官・藤原公任だったらしい)に向かって

「年罷(まか)リ老(おい)テ、風(かぜ)(おも)クテ、今ハ只(ただ)利病(りびゃう)ヲノミ仕(つかうまつ)レバ、参(まゐ)ルニ不能(あたは)ズ候(さぶら)ヒツレドモ、態(わざ)ト思(おぼ)シ召(め)ス様(やう)(あり)テ召(め)シ候(さぶら)ヘバ、相(あい)(かま)テ参(まゐ)リ候(さぶら)ヒツレド、難堪(たへがた)ク候(さぶら)ヘバ忩(いそ)ギ罷(まか)リ出(いで)(さぶら)フ也(なり)」トテ出(い)ヅルニ、西ノ対ノ南ノ放出(はなちいで)ノ簀子(すのこ)ニ築(つい)(ゐ)テ、尻ヲ掻(かき)(あげ)テ楾(はんざふ)ノ水(みず)ヲ出(いだ)スガ如(ごと)ク脪(ひ)リ散(ちら)ス。其(そ)ノ音極(きはめ)テ穢(きたな)シ。御(おほん)(まえ)マデ聞コユ。

「拙僧は年老いまして、風邪も重く、今はひたすら下痢ばかりしておりますので、参上もいたしかねたのですが、あえてお考えになることがあってお召しになったことですので、どうにかこうにか参上いたしましたが、もはや耐え難くなりましたので、急いで退出いたす所存です」といって出ていき、西の対の南の放出の簀子縁のところにつと座って、尻をまくり上げて、たらいの水をぶちまけるかのように、下痢便をひり出した。
その音はきわめて汚らわしかった。后宮の御前まで聞こえた。


いや~年寄りなんで、風邪引いて下痢してましてね。わざわざ拙僧めをお呼び出しになるからには、よっぽどお考えがおありなのだろうと思ってあえて参上しましたが、そうでもなさそうなんでね。もう我慢もできないんで、失礼しますよ。

ってなもんで、皮肉を言いながら、ケツ出して下痢びしゃーっ!

 

若い殿上人や侍たちは腹を抱えて大笑いし、増賀聖人が退出したのち、年長の者たちは「カヽル物狂(ものぐるひ)ヲ召タル事ヲゾ極(きはめ)テ謗(そし)リ申ケレドモ甲斐無クテ止(やみ)ニケリ/このような狂人を召した事を、口をきわめて非難したけれど、どうしようもなくて終わった」、と。


…すごいね。うん。下ネタ2連発

 

最初斜めに読んだ時には、「かかる物狂を召したること」とかあったんで、この僧はオカシイ人で、后宮がうっかり変な僧を呼んでしまって大失敗、って話なのかなって思ったんですよ。

でもこの話の後には、「この后宮は、出家して熱心に修行し、毎年二回ずつ、きっちり厳しく、ちょっとでも不浄の者がいないように潔斎して読経もさせていた。この方は読経のことだけでなく万事こんな調子で、なにごとにつけてもきちんとしていて、いい加減なことをしなかった」なんて話が続きます。その中で「ここまできちんきちんと読経をさせているのだから、もっと霊験あらたかに現れても良さそうなものだが、そんなこともないのだから、たいした霊験でもないのだろう」と中傷するものもあった、なんてことが書かれています。


更に「比叡山横川の僧都の恵心僧都」の話になり、この方が京都中托鉢して歩いていたので、この后宮が、僧都のために銀の器をわざわざ作らせて、それに食事を盛ってさしあげたので、僧都が呆れて「(あま)リニ見苦(みぐるし)/これはあまりにひどい」と言って、その托鉢自体をやめてしまった、という話が続きます。
それに対して地の文で「此レゾ少シ余リ事ニテ、無心ナル事ニテ有ケル/これはいささかやりすぎで、思慮に欠けた振る舞いであった」と評しています。


つまりこの后宮は、潔癖症でこだわり症でもあり、何事にも適度とかほどほどとかせず、また本来の意味などを深く考えることもせず、あさはかな善意で、浅薄によりよいものを求めてやりすぎる人だった。

僧都が托鉢して歩いているのに銀の器をわざわざ作らせて食事をさしあげても、食事は食事。世俗の宝などの価値から離れた出家の身が食事をするためだけの器に、特別あつらえの銀など使っても、それに何の意味があるのか、ということになるわけです。
そういう財力を使って貧しい人に施す、とかなら意味があるかも知れませんが、后宮はそういう発想はない。ただひたすら、偉いお坊さんに尽くしたいだけ。

そもそも、増賀が后の宮に出家のために呼びつけられた時、増賀が「他の人には后宮を尼にしてさしあげることはできますまい」と言っていますが、これがそもそも皮肉。
出家したいという心を起こしたからといって、ただ髪を切るだけなら誰でもできること(自分で切っちゃうとかいうのもよくある話だし)。
それのためだけにわざわざ聖人を呼びつけたからといって、それに何か意味がありますか?
「偉い人に髪を切ってもらった」って思いたいだけ?
…ということにもなります。


出家のために聖人に髪を切ってもらおうとしたことも、恵心僧都に銀の器をさしあげたことも、仏教への信仰心篤さゆえにやったことかも知れませんが、しかし権力・財力を尽くしてやっていても、仏教本来の意義ということから離れてしまっている。

となると、それは権威・権力をただ振り回して、いわば札束で増賀聖人や恵心僧都のほっぺたをひっぱたいていることにしかならないわけです。

そういう、まったく后宮自身は理解できていない無意識に行っている無法な態度への抗議として、増賀聖人は下ネタ連発した…という話なわけです(多分、この后宮は潔斎へのこだわりからしても潔癖症っぽいので、わざわざあてつけで下ネタかましたんでしょうけど)。

 

いやーこの后宮みたいな人、よくいるよね。「良いこと」と思ってやってるのに何がいけないの?って言っちゃう人さ~。
ああ…教育業界とかPTA業界とかにも、よくいる。うん。すごくよくいる。
「子供のために良いことだから」ってお金だの手間だのかけまくって、かえって子供苦しめたり、長い目で見て子供のためになってなくない?みたいなのとかね。

しかしこの后宮は、出家の儀式を下ネタで台無しにされても全く自分の非には気が付かなかったようなので、一生そんな感じで終わったのだろうと思われます。
さうやうならむ人も、世には多かるめり。


この皇太后遵子という人は、皇子皇女が一人もいないのに、皇子を産んだ藤原詮子をさしおいて皇后に立てられたので「素腹の后」と揶揄されたり、大鏡だったかな、生まれつき知能に問題があるけれど容貌は美しかった八宮を養子にしようとして騙されかけて云々、みたいなエピソードがあるので、ちょっと世の中からは、人柄を軽んじて見られているようなところもあったのかも知れませんね。(あるいは後に政権側になった藤原兼家一派からは、かも知れませんが) 

賢木の巻での「光源氏の女たち総括・青春篇」

「賢木」の巻というのは、六条御息所との野の宮の別れが描かれているという印象も強いですが、実はそれだけでなく、それまでの光源氏の恋愛沙汰が総括へ向かっているような話がこまごま描かれている巻だったりします。

 

「賢木」にて、父桐壺院が病気でなかなか暇がなかったが、時間を作って9月の7日頃に六条御息所に会いに行った、という説明があるのですが、野宮での別れの後、10月に桐壺院の病が重くなり、11月に亡くなります(12月20日が四十九日だったとの記述あり)。
その後、桐壺院崩御により右大臣・弘徽殿大后が完全に権力を握ったことで、政治的にも色々な変転がある仲、光源氏は、いよいよ宮中に出仕して帝の寵姫となった朧月夜尚侍と密会してみたり、朝顔の姫君が斎院になったのを残念に思ってみたり。

昔に変はる御ありさまなどをば、ことに何とも思したらず、かやうのはかなしごとどもを、紛るることなきままに、 こなたかなたと思し悩めり
昔とは変わってしまったご境遇を、特にどうともお思いになるでもなく、このようなちょっとした恋愛問題の数々を、気が紛れることもないまま、あちこちと思い悩んでいらっしゃる。


源氏は、政治的不遇もものかは、朧月夜や朝顔の姫君とのことにかまけているばかり、と。

ある意味ふてぶてしいような様子でもありますが、逆に政治的に不遇な成り行きの気晴らしに、恋愛沙汰に身を入れてるのかも知れませんね。


そうかと思うと、里の三条邸に下がった藤壺のところに源氏が忍び入って、二日間に渡って居座って、源氏に迫られた藤壺が病気になってしまって見舞い客など集まり始め、困った女房たちに塗籠に隠される…というみっともない事件を起こします。

それでも懲りず、逃げる藤壺の髪をつかんで引き止めたり…といったご乱行にまで及んだにも関わらず、結局彼女に拒み通されてすごすご帰ることに。

藤壺に拒まれた源氏はすっかり不貞腐れて雲林院に籠り、朝顔の姫君に手紙を送る。それがちょうど野宮での六条御息所と別れてから一年後、同じ季節だと気がつく…

という話の流れになります。

父桐壺院の生前、いわば父の保護下でぬくぬく青春を謳歌してきた光源氏は、あれこれと恋愛遍歴を繰り返し、色んな女性との間に関係を築いてきたわけですが、ある意味膠着状態でもあった女達との関係が、正妻葵の上の死後、それぞれ一気に動いて行っている観があります。

六条御息所とはとうとう別れる。
朧月夜尚侍とは(彼女との結婚は断ったけれど関係は絶たないという選択をしたために)いよいよ兄との三角関係に。
紫の上とはむしろ落ち着いた夫婦関係になる。
けれど、一方で、源氏はいよいよ藤壺に焦がれて塗籠事件を起こし、拒否されてふてくされて雲林院に籠もる。
そして雲林院から、朝顔斎院に過去の関係を取り戻したい的な、不埒な手紙を送る。

そしてとうとう藤壺宮が、源氏の態度に困って、彼を振り切るために出家してしまう。


東宮の地位の裏付けとするためにわざわざ桐壺院が藤壺宮を中宮に据えたにも関わらず、地位を振り捨てるようにして宮が出家してしまったことによって、いよいよ東宮の後見たる源氏一派の政治的不遇は顕著となります(藤壺の出家は源氏の自業自得ですが)。
そんな中、同じく不遇をかこつようになった三位中将(いわゆる頭中将)らと一緒に、ろくに出仕もしないで遊び暮らしたり…といったふてぶてしいふるまいをしつつ、源氏は朧月夜尚侍とも密会を繰り返し、果てには「賢木」巻の最後では、尚侍の父右大臣に密会の現場を発見されてしまいます。

ここらへん、怒涛のような展開が続くのですが。

どうもこう…
それまで源氏にとって重要な位置を占めていた女達…葵の上、六条御息所、そして思いをかけ続けていた朝顔斎院が彼の周囲から消えてしまったこと、そして肝心の藤壺宮にも手ひどく捨てられてしまったことで、ちょっと源氏はやけっぱちになっている観があります。
それゆえ、朧月夜尚侍との関係に執着して、無理なことをして逢い続けたのではないかという気配もあり。

そしてそういう彼の行動が、政治的不遇な状況をいよいよ加速させるという悪循環に直接つながってしまう。

最後には、朝顔斎院との文通と、朧月夜尚侍との関係と、この二つの恋愛沙汰が問題になり、光源氏は須磨・明石に放浪することになっていくわけです。しかし光源氏の流浪は、むしろ本当は、藤壺宮との不倫、その関係から不義の子の東宮を儲けた…というより大きな罪への報いなのでは…と読者に思わせる仕掛けにもなっています。

 

「賢木」の巻のあと、須磨へ出立する前に、あちこちの女達を訪れる源氏の姿には「ここまでの女性関係総精算」みたいな風情がありますね。

 

それにしても、青春時代が終わり、女達に去られてやけっぱちになり、最後の青春の光とばかりに朧月夜との恋愛に執着する光源氏の気持ちも分かるけれど……

せっかく紫の上を妻にして落ち着いた夫婦関係を築いたんだから、それに満足しておとなしくしていれば、政治的にもそこまで追い込まれなかったんじゃないの、とつっこまずにはいられません。


それができない激しさを持つのが光源氏という人なのですが、しかし結局、光源氏がそういう「自分でも抑えきれない衝動」で行動してしまうのは、すべて「藤壷宮」絡み

六条御息所とは、哀れを誘うしみじみとした別れをしていても、「捨てないでくれ」と衝動的に振る舞ったことは一度もありません(口説く時にはもうちょっと情熱的だったのかも知れませんけどね。年上の貴女、元お妃という高貴な女性に、藤壺宮と似た何かがあるとでも思って)。
朝顔斎院に対しても、結局最後まで彼女の意思を尊重して、強引に妻にすることもなかった。


王朝物語の恋愛描写で、常套的に用いられる表現にうつし心」が失せた、とかなくなった、という表現があります。

「とりかへばや」物語で、宰相の中将が人妻である四の君のところに忍び入ろうとするときに「現し心もなくなりにければ」と描写されており、また、宰相の中将が男だと思っているはずの中納言(女主人公)と関係を
持つに至るときも、中納言が宰相の中将に「うつし心はおはせぬか」と言っていたりします。

狭衣物語で、狭衣が女二宮のところに忍び込んだときも「うつし心もなきやうにて」って描写があったり。
「夜の寝覚め」でも、男主人公が女主人公のところに忍び入った時に、自分で「うつし心もなくなりけるぞや」って言ってたりします。

まあなんていうか、基本、恋愛沙汰で理性を失って相手を求める行動(主に男)の言い訳?というか何というか…で「うつし心がなくなってしまった」みたいに言うことが多いようなんですよね。

 

で、光源氏が「賢木」で藤壺宮のところに忍び入ったシーンに、「うつし心失せにければ、明け果てにけれど、出でたまはずなりぬ/源氏の君は、理性も失ってしまったので、夜が明け果てたけれど、そのまま藤壺宮の寝室から出ないままになってしまわれた」という描写が出てきます。

光源氏の恋愛は数々描かれているけれど、「うつし心がなくなった」という描写があるのは藤壺相手だけなんじゃないかな…
ちょっと確信はありませんが(でもこういうのって、誰かが論文とか書いてそうな話ですね)。


逆に、他の女との恋愛は、常に光源氏はどこかしら理性を失わず計算したり、値踏みしたりしているところがあるように思います。
紫の上相手ですらそう。

そもそも、一時失脚の原因となった朧月夜との情事でも、源氏は一度も「うつし心がなくなって」密会したという感じじゃありません。
密会がバレた時でさえ、朧月夜の父右大臣の様子を、自分の舅の左大臣の振る舞いと比べて可笑しく思っていたり…と、どこか余裕がある。

結局、光源氏が恋に惑乱するのは藤壺宮相手だけ。

そう考えると………その藤壺宮への惑乱があり余って、少しでも藤壺に似た女を求め、心の隙を埋めようとしてあれやこれやと恋愛沙汰を繰り返すんですから、他の女たちにとってはある意味はた迷惑…
そして藤壺宮自身にとっても、「源氏の自分への執着がやむように」とこっそり祈祷までさせてたぐらいですから、結局は迷惑。

光源氏、すげー可哀想だけど迷惑男なんだなあ。しみじみと。

 

 

まあなんていうか、結局個人的に注目したいところはどこかというと、光源氏の須磨への退去までに、怒涛のようにそれまでの数々の女関係が煮詰まって収束していく物語の緻密な構造が、やっぱりすごいな~というところです。
別れの場面などなども、比べてみると光源氏のそれぞれの女への態度の違い、思いの違いが細かく描き分けられていて、何度読んでも味わい深い。

ただ、あんまり現代的な感覚で読んでしまうと、ひたすら光源氏という男にイライラしたり腹が立ったり「バカじゃないの?」としか思えなかったり、あるいは逆に現実感のないキャラクターにしか感じられなかったりしてしまうかも…というところが壁なのかな。

私自身は、読み込めば読み込むほど、一見現実離れしたチートキャラとして描かれているかのように思える光源氏というキャラクターのリアルさが感じられてきて、ホントに1000年読んでもおいしい話だな~と思ったりするわけです。

…でも、光源氏萌え~という話に共感してくれそうな人って、今まで出会ったことがないんですよ。何でだろう。うーん。

というわけで今回の結論は光源氏萌え友達募集」っていうところかな…

 

嫉妬のかたち2-2~六条御息所が源氏と別れ、死ぬまでの心理

今回は、光源氏六条御息所との別れから、その後御息所が亡くなるまでの、六条御息所の心理を追ってみようと思います。

賢木~野の宮での別れ

さて、いよいよ六条御息所が、源氏との仲を諦めて伊勢に下ることにした後。
源氏は「つらき者に思ひ果てたまひなむも、いとほしく、人聞き情けなくや(薄情な男だと私のことを結論づけてしまわれるのもおいたわしいし、人が聞いても冷酷だと思うのではないか)」という理由で、野の宮まで御息所に逢いにでかけます。

源氏くん、アンタちょっと外聞気にしてるね。

御息所は、物越しでなら…と会うことにしますが、源氏は「かうやうの歩きも、今はつきなきほどになりにてはべるを(このようにうろうろしますことも、今はふさわしくない身分になってしまいましたのを)」、つまり大将にまで出世した自分は、もう愛人に会うためにこんなところまで出かけてくるのもふさわしくない重々しい身分になってしまったのに、それでもあえて貴女に逢いに出かけてきたのですから、それを思いやって直接逢って下さい、と頼み込みます。

いやなんかこう…高い身分の人がわざわざ出かけてきたのに物越しに会うだけで帰すのはどうなのか、的な、当時の常識みたいなものがあるのは分かるけど、でも結局は「わざわざ来たんだから直接会ってよ」ってことだよね。
まあそれまで会いに来なかった言い訳も込みっていうのもあるんだろうけどさ。
なんかこう…もうちょっと、あなたに逢いたいんです的な情熱を、もうちょっとカサ増しして込めてやればいいのにって思わないでもない。

しかし女房たちは、源氏に同情して、御息所に「直接会うべき」とやいやい言います。
御息所は、ようやく別れる決心をつけたのに、今更逢うのもどうかと思っていますが…

 

「いさや。ここの人目も見苦しう、かの思さむことも、若々しう、出でゐむが、今さらにつつましきこと」と思すに、いともの憂けれど、情けなうもてなさむにもたけからねば、とかくうち嘆き、やすらひて、ゐざり出でたまへる御けはひ、いと心にくし。

御息所は 「さあ、どうしたものか。こちらの潔斎所の人たちの見る目の手前、体裁が悪いし、源氏の君がお思いになるだろうことにしても、こちらが年甲斐もなく若々しく振る舞って出ていくようなことも、今更気が引ける」とお思いになって、たいそう億劫だけれども、冷たくあしらえるほど気が強くもないので、何かとため息をつき、ためらいながらも、膝行して出ていらっしゃるご様子が、たいそう奥ゆかしかった。


やはり御息所、斎宮の側の人たち(神官とかそういう人たちでしょう、おそらく)が、潔斎のための場所で斎宮の母が愛人と逢っているなんていうのを知ったら体裁が悪いだとか、出ていって直接会うことにしても、それ自体源氏が「年甲斐もなく若々しい振る舞いだ」とか内心では軽々しいと思うのではないかとか、体裁・体面を非常に気にしています
源氏自身が逢いたいと要求しているのに、それに従って出ていったら源氏に年甲斐もない振る舞いだと思われてしまうのではないかと思う…っていうのも、何というか気を回しすぎな観もあり、一方で「確かに源氏ってそういう考え方するヤツだよね、六条さん分かってるね」っていう観もあり…

のちの話ですが、朧月夜尚侍に強引に迫ってよりを戻させておきながら、応じた彼女のことを『ちょっと軽々しい』的に軽蔑してたりしますからね。源氏ってそういうヤツなんですよね、うん。

それでいて、御息所は「情けなうもてなさむにもたけからねば」とあって、あくまで冷淡な態度を通せるほど気が強くもない、と…

このあたりの六条御息所のふるまいを、藤壺宮と比較すると…藤壺宮は、そののち二晩つづけて源氏をきっぱりと拒み通したりもしているので、藤壺宮の方が芯は強かったようです。
藤壺宮が気が強いといっても、弘徽殿大后のように、日頃の振る舞いからして見るからに気が強い、というタイプではないんでしょうけれど、いざとなると曲げない、みたいなところはあったのかと思われます。

しかし、六条御息所は、源氏を拒み通せない。気位高い彼女も、本音では、年下の恋人には何だかんだいって弱いのです。

そうして結局、気が進まないとか言いながらも端にいざり出て源氏 に逢った御息所ですが、源氏は源氏で、「心にまかせて見たてまつりつべく、人も慕ひざまに思したりつる年月は、のどかなりつる御心おごりに、 さしも思されざりき」、つまり長年逢おうとすればいつでも彼女に逢えた日々、自分より女の方がより慕っているように思えた年月には、のんきに構えていてさほど思わなかったけれど、こうしていざ女の方から見切りをつけて別れるとなると、昔の愛情を思い出して未練が出てきて、「伊勢に行かないでくれ」と引き止めます。

…まあ引き止めようとする源氏の心も嘘ではないんでしょうけど、この時点では御息所が斎宮と一緒に下向することは公的な既定事項となっていてひっくり返せなくなっているタイミングなので、どこかしらどんなに引き止めても翻意しないだろうと思って引き止めたところもあったりしませんか、と思います。

御息所が本気で「じゃあ伊勢へ行くのをやめます」ってなったら、それこそ「理由」が必要。源氏が御息所を引き止めたため…となれば、源氏も、御息所との仲を世間に公表せざるを得ません。
この時点で、光源氏が本気で六条御息所を京にとどめて妻にする気があったかっていうと…なかったんじゃない?
世間体を気にし、恋人より年上というコンプレックスに悩む六条御息所のことだから、どんなに引き止めても「じゃあとどまります」とは言えないだろうって、心のどこかで思ってたんじゃない?

と、読者としては勘ぐらずにいられませんが…

それでも惚れた女の弱さなのか、六条御息所も迷います。

 

やうやう、「今は」と、思ひ離れたまへるに、「さればよ」と、なかなか心動きて、思し乱る。
ようやく「今はこれまで」と思い切っていらっしゃったのに、「やはり逢わない方が良いと思っていた通りだ」と、かえって心が動揺して、思い乱れてしまう。

 六条御息所は、源氏の愛情の浅さも、言葉巧みに女をなびかせておきながら、なびいた女を「たやすい女」と軽く見る性癖も、そして逢ってしまうと自分の心が揺れてしまうだろうといことも、すべて知り尽くしているにも関わらず、やっぱり源氏の術中にはまって揺れ動いてしまうのです。
理性で分かっててもどうにもならない、という感じです。

その夜を共に過ごし、暁のうちに未練たっぷりな風情で別れ、翌朝、源氏から後朝の文が来ます。

御文、常よりもこまやかなるは、思しなびくばかりなれど、またうち返し、定めかねたまふべきことならねば、いとかひなし。

お手紙が、いつもより情愛濃やかな内容で、御息所の気持ちも下向をやめようかと変わってしまいそうなほどだったけれども、かといって今になってまた決定を変更できるものでもなく、どうにもならない。


それでもさすがに「じゃあ私、京に残ります」とまでは御息所としては言えなかった。
ここで無理やり決定を覆して京に残って、それでいて以前と同じように源氏に「愛人」扱いされては、大恥どころではないですしね。

 

光源氏も、こまごまと説得するようなことを書きつつ、「このさきの未来」を定められるようなことを言いはしなかったんでしょう。たとえば、自邸に迎えて妻にするので行かないでくれ、とかは。
きっと「見捨てないでくれ」とか、「愛してる」とか、気持ちのことばっかり書いていたに違いない。
源氏クンのことだから。

ここらへん、原文ではこんな風にほのめかされてます。

男は、さしも思さぬことをだに、情けのためには よく言ひ続けたまふべかめれば、まして、おしなべての列には思ひきこえたまはざりし御仲の、かくて背きたまひなむとするを、口惜しうもいとほしうも、思し悩むべし。

源氏の君は、そうもお思いにならないことであっても、恋のためにはうまい言葉を言い連ねなさるような方なので、まして、並一通りの相手と思い申し上げてはいらっしゃらなかった仲で、このように自分に背を向けて行ってしまおうとなさるのを、残念にも気の毒にも思い、悩んでいらっしゃるようです。

ここは、原文で「男は…」と始まっているのを、一般的に「男というものは」と言っているように解釈する向きもあるようですが、「思さぬ」「言ひ続けたまふ」と敬語が使われているということもあり、一般論というよりも、光源氏が恋愛沙汰では口上手なことを当てこすっているという解釈を採りたい。
古典では恋愛場面になると「男は」「女は」という三人称を使ったりするものですし。まあでも「めり」とか推量使っているのもあり、一般論と解釈できないこともない表現を使うところまで、紫式部の技巧と取りたい。

要は、こまやかな手紙に六条御息所は心揺れているけれど、光源氏もちょっと本音と比べると何割増しかで色々つづってるんでしょうね、的なことを仄めかす地の文ということでしょう。

六条御息所を失うことを本気で恐れているわけでもなく、惜しんでいるだけだ…というのは、この賢木の巻で、六条御息所との別れが描かれたあと、藤壺宮との逢瀬について描かれる場面での源氏の錯乱っぷりを見るとよく分かります(そこらへんの態度の違いについては、また日を改めてまとめようと思います)。

その叙述の後、源氏が御息所に餞別を贈ったことが下記のように書かれています。

旅の御装束よりはじめ、人びとのまで、何くれの御調度など、いかめしうめづらしきさまにて、とぶらひきこえたまへど、何とも思されず。あはあはしう心うき名をのみ流して、あさましき身のありさまを、今はじめたらむやうに、ほど近くなるままに、起き臥し嘆きたまふ。
源氏は、御息所の旅の御装束を始め、お仕えする人々のものに至るまで、調度類なども、何かと立派に珍しいものを揃えて餞別としてお贈りなさったが、御息所はそういった贈り物にも何ともお思いにならなかった。
ただ、軽々しく嫌な艶聞(「心憂き」と「浮き名」で「うき」の掛詞。「流す」は「浮く」の縁語)を世に広めてしまった、嘆かわしい我が身の有様を、今始めたことのように、下向の日が近くなるままに、寝ても覚めても嘆いていらっしゃる。

 源氏は色々思い迷ったけれど、結局御息所の伊勢下向を容認し、餞別を贈ったわけです。
非常に立派な贈り物であったけれど、御息所は何とも思わなかった。
ここは、贈り物を「ありがたい」とも思わなかったし、逆に、男が引き止めるのを諦めたことを「辛い」とも思わなかった…という、両方のニュアンスがあるのでしょう。

今更、男が諦めたことを辛く思うほど、男の愛情に期待をかけてなどいなかった。
かといって、別れの贈り物の立派さを嬉しく思えるほど、男から気持ちが離れてもいない。

それゆえに、贈り物自体には何とも思わず、ただひたすら、自分が源氏との仲をずるずる続けてきた結果、大切にしてきた自分自身の評判や体面すら駄目にしてしまったことを「今始めたことのように」嘆き続けます

ここらへんの心理描写は、非常に紫式部の筆が細やかだな、とつくづく思います。

結局のところ、御息所の嘆きは、「あはあはしう心うき名をのみ流して、あさましき身のありさ軽々しく嫌な艶聞を世に広めてしまった、嘆かわしい我が身の有様」に収束していきます。
この「今はじめたらむやうに」嘆いていた、という一言も、ここでは重要なのではないかと思います。

 

御息所はそれまで、光源氏の愛情の浅さ、自分の未練などに悩み続けていました。
そしていざ別れる段になり、男と最後のやりとりを交わした後になって、もはや愛情の浅さや自分の方が思いが深いこと、自分に残っている未練については嘆いていないのです。
「今始めたことのように」というのは、「今更のように」といった意味ですが、この言葉は、それまでの彼女は愛欲の悩みも含めて様々な悩みに囚われていたのが、二人の仲が終わった段階に来て初めて、彼女に残った嘆きが何だったかというと…といったようなニュアンスで使われているように思われます。

結局、彼女に最後に残ったのは、浮名を嘆く心。女としての矜持が傷ついたことへの嘆きでした。
最後まで、彼女の愛情に男が応えることはなかったけれど、もはや男の薄情さを嘆くよりも、六条御息所は、誇り高い貴婦人としての名を自ら汚してしまったことを嘆くのです。
ある意味、ここで六条御息所は、自らの心の中では、源氏への愛情に見切りをつけ、終わらせているのではないかな、と思います。



別れた、その後。

こののち、須磨明石の流離時代に光源氏との手紙のやりとりがあり、その際には、御息所はこまごまと源氏の状況を嘆き、慰める長い手紙を贈ってよこします。

その後に代替わりで斎宮が交代となり、御息所が京に戻った後は、今更「昔だにつれなかりし御心ばへの、なかなかならむ名残は見じ/昔ですら薄情だった御心なのだから、その冷淡な愛情の、中途半端な名残を見たりすまい」(澪標)と、きっぱりと思い切っていて、源氏にもう逢おうとはしません。


そののち、病を得たのをきっかけに出家してしまったため、源氏は驚いて御息所のもとを訪ねます。
もはや出家してしまった身として、御息所は几帳越しに源氏に対面し、娘の元斎宮の後見をして欲しい、と源氏に頼みます。
気楽に後見を請け負った源氏に、御息所は以下のように言います。

 

「いとかたきこと。まことにうち頼むべき親などにて、見ゆづる人だに、女親に離れぬるは、いとあはれなることにこそはべるめれ。まして、思ほし人めかさむにつけても、あぢきなき方やうち交り、人に心も置かれたまはむ。うたてある思ひやりごとなれど、かけてさやうの世づいたる筋に思し寄るな。憂き身をつみはべるにも、女は、思ひの外にてもの思ひを添ふるものになむはべりければ、いかでさる方をもて離れて、見たてまつらむと思うたまふる」

「後見するというのも難しいことですよ。本当に頼りにすべき男親などに後を任せた人であっても、女親に死に別れてしまうのは、たいそう哀れなことになるものでございます。まして、本当の親ではないのですから、情人のようにお扱いになられたりしたら、おもしろからぬことも出てきて、人に憎まれたりもなさるでしょう。嫌な気の回し方ですけれど、決してそのように男女の筋で思い寄ったりはなさいますな。辛い我が身の経験からしましても、女というのは、思いもよらないような悩みを身に重ねるものでございますから、斎宮には、どうにかしてそのような方面から離れていらっしゃって欲しいと思っているのでございます」

 

御息所、「娘には手を出すな」「娘には、男女の仲を思い悩むような経験をさせたくない」ときっぱりはっきり釘を刺します。

そもそも御息所が帰京した時から、光源氏斎宮が大人になって美しく成長したのではないかと気にかけていて、この場面の直後も、几帳の陰から御息所を覗きがてら、結局斎宮の姿に目を留めて観察していたりしますから。

さすが六条御息所光源氏の性癖を隅まで分かり切っている。

とはいえ、自分が死んだ後、娘の元斎宮にはこれといった頼もしい後見人は残っていません。元斎宮を自分の娘と同じように思うと言ってくれた桐壷院ももうこの世にはおらず、後見をしてくれそうなのは光源氏ぐらいしかいない。
なので、娘を愛人にしないで面倒を見てくれと、極めて現実的な遺言を最後に光源氏に残し、そうして六条御息所はあの世へと旅立っていったのでした。

嫉妬のかたち・2-1~光源氏と六条御息所の関係

源氏物語で嫉妬というと六条御息所、って感じですね。
嫉妬のあまり生霊になり、かつ死霊としても彷徨ってしまったという彼女。

 

とりあえず、六条御息所光源氏の関係について、原典での描写を拾ってみます。

 

夕顔

原典では、まず夕顔の巻の冒頭に「六条わたりの御忍び歩きのころ」として、光源氏17歳の頃に、六条のあたりにお忍びで通っていた…と話が出て、そのあとに夕顔との出会いの話のあと、また六条の話に戻り、このような描写があります。

 

六条わたりにも、とけがたかりし御気色をおもむけ聞こえたまひて後、ひき返し、なのめならむはいとほしかし。されど、よそなりし御心惑ひのやうに、あながちなる事はなきも、いかなることにかと見えたり。女は、いとものをあまりなるまで、思ししめたる御心ざまにて、齢のほども似げなく、人の漏り聞かむに、いとどかくつらき御夜がれの寝覚め寝覚め、思ししをるること、いとさまざまなり。

六条のあたりの御方に関しても、源氏の君の求愛を容易に受け入れないご様子であったのを強いてなびかせ申しあげた後、一転して、いい加減な態度になるようなことは気の毒なことである。しかし、他人でいた頃のご執心ぶりのようにひたむきなことはないというのも、一体どういうことであろうかというふうに見える。
女は、たいそう物を思い詰めるご気性で、人が噂を漏れ聞いたら、年齢の釣り合いも似つかわしくないと思うだろうに、このように源氏の君がいらっしゃらず、たいそう辛く感じる夜には、寝覚めがちに色々と煩悶なさるのだった。

六条の御方の性格として

  • 齢のほども似げなく」つまり、光源氏より年上で、年齢が釣り合わない。(年齢が釣り合わないというのは、女の方が年下のパターンもありえますが、この時点で光源氏はまだ17歳ほどの若い貴公子なわけなので、女が年上なのだろうと推察がつくわけです)
  • いとものをあまりなるまで思ししめたる御心ざま」つまり、物を思い詰める性格。
  • 人の漏り聞かむに」と、人聞きを心配している。

ということが述べられています。

また、

  • 光源氏が、気が向かない六条の御方に熱心に言い寄っていたが、関係を持つのに成功した後は、それまでほど熱心ではなくなり、訪れない夜も多くなった。

ということが書かれています。

釣った魚には餌をやらんってやつでしょうか。

「近劣りする」というか、よそで憧れていた時に比べると、多少幻滅があったんでしょうか。

ちなみに、源氏物語を鑑賞する上での重要ポイント。

原典では、この時点ではまだ、六条の女がどういう身分であるか、明かされてはいないのです。ただ、敬語の使われ方や、人聞きを心配しているというあたりで、世評を気にするようなそれなりの身分のある人なんだろう、ということが推察できる状況です。

そしてその場面のあと、光源氏が六条の御方を訪れた翌朝、

霧のいと深き朝、 いたくそそのかされたまひて、ねぶたげなる気色に、うち嘆きつつ出でたまふを

霧がたいそう深い朝に、ひどく急かされなさって、眠そうな様子でため息をつきながら源氏の君がお出になるのを

とあって、源氏がせっかく訪れた翌朝に、「早く帰って」と急かしている様子が見受けられます。
この時代、「露顕(ところあらはし)」のような披露宴をするとか、何らかの形で二人の仲を世間に公表して「夫」「妻」として遇するような仲になっていない限り、男女の仲は「秘密」のこととして、女のもとを訪れた男は夜が明けないうちに帰らねばならず、ずるずると居座るのはみっともないことなのです。
それは女にとっても…なんていうんですかね、男側が公的に関係を認めてもいないのに、女が男をずるずる日が明るくなるまで居座らせていたら、けじめがない女、だらしない女、安っちい女…みたいな印象になるというか。
ここで六条の御方は、やはり自分の体面を気にして、恋人に「早く帰れ」と急かしているわけです。
まあ六条の本音からしたら「居座りたいなら妻にしろ」って感じでしょうか。


そのあと、眠そうだった光源氏くんは、朝っぱらから六条の御方の女房である中将に目を留めて、口説きます。朝っぱらから口説きます。繰り返す。朝っぱらから、愛人の侍女を口説いてます
昨夜に不満だったんですか光源氏くん。六条さん、年上のわりにあまり床上手じゃなかったんですかね(下世話すぎる推量でスミマセン…)。

ま、中将には上手にスルーされるわけですが…

ここらへん、器量もよく、たしなみもあり、思慮深い良い女房を、六条の御方が揃えていることを示す場面にもなっています。
前栽の様子や、かわいらしい男童が良さげな格好をしていて、風雅に朝顔の花を折って源氏の君に差し上げるところなど、大変に風流で優雅な情景が続けて描かれていて、女房や侍童など、使用人の器量も装束も優れているところから、六条が、財力もあり、嗜みも深い貴婦人だということが知れるわけです。


その他、「若紫」巻、「末摘花」巻にも、ちらちらっと光源氏が六条のあたりに通っていた話が出ています。

末摘花

ここもかしこも、うちとけぬ限りの、気色ばみ心深きかたの御いどましさに、

こちらもあちらも、心打ち解けず、気取って思慮深さを競い合ってばかりいるご様子なので、

 こちらもあちらも…とほのめかされていますが、ここまでの描写からして、正妻である大殿の上(葵の上)と、愛人である六条の御方のことを指すのだろうと推測がつくわけです。
このあと、気が張らない愛人だった夕顔のことを惜しむ気持ちから、同じように心が休まる可愛い恋人を作りたい、とばかりに、源氏があちこち物色してあるき、すぐなびく女も多かったけれど、なかなか思うような女に巡り会えない…といったありさまが描かれます。

かの紫のゆかり、 尋ねとりたまひて、そのうつくしみに心入りたまひて、 六条わたりにだに、離れまさりたまふめれば、

あの紫のゆかりの方を引き取りなさって、その少女を可愛がることに心を入れていらっしゃるので、六条のあたりですら、あまり通われず離れていらっしゃることが多くなっているようで

 「六条わたりにだに」というあたりから、逆に、六条の御方が、愛人の中では重要な位置を占めていることも分かります。

 

こうして、六条の愛人が年上で、身分も高く財力もあり、世間体を気にする思慮深い人で、源氏としてはあまり気が許せない、ちょっと疲れるような女性だということが描かれた上で、「葵」の巻でいよいよ彼女がどういう人かが明かされる…という流れになるわけです。


なんていうか、注釈つきの本や現代語訳本を読んでいると、ここらへんの「作者の仕掛け」を味わいにくく、最初から「六条御息所」とネタバレ込みで読むことになってしまいがちなことがちょっとつまらないですね。
(それって玉鬘物語については顕著に言えることだとも思いますが)


そして、葵の巻での車争いの話に至る前に、六条の愛人がどういう人であるかということが明らかにされます。


まことや、かの六条御息所の御腹の前坊の姫君、斎宮にゐたまひにしかば、 大将の御心ばへもいと頼もしげなきを、「幼き御ありさまのうしろめたさにことつけて下りやしなまし」と、かねてより思しけり。

そういえば、あの六条御息所の御腹の前東宮の姫君が、(桐壺院から朱雀帝への譲位により)斎宮におなりになったため、(御息所は、)源氏の大将の御心も非常に頼りにならない有様なので、「斎宮の幼いご様子が心配なのにかこつけて、共に伊勢に下ってしまおうか」と、かねてからお思いになっていた。

いきなり「かの六条御息所の御腹の前坊の姫君」なんて出てきて、さも周知の事実のように語ってるんですが、源氏の愛人である六条の御方がどういう人だったかについてはここが初出です。
ここまで、身分も高く、たしなみ深く、源氏がなかなか軽く扱えなそうな愛人だということばかりほのめかされていたのが、いきなり「前東宮の妃であり、東宮との間に姫君を産んだ方」ということが明らかになります。
そしてまた、六条御息所と源氏の噂を耳にした桐壺院が、「故宮のいとやむごとなく思し、時めかしたまひしものを東宮が、たいそう大事に思い、寵愛なさっていた方なのに)」と、東宮妃として時めいた人であったことも語られています。

さらに、

また、かく院にも聞こし召し、のたまはするに、人の御名も、わがためも、好色がましういとほしきに、いとどやむごとなく、 心苦しき筋には思ひきこえたまへど、まだ表はれては、わざともてなしきこえたまはず。
女も、似げなき御年のほどを恥づかしう思して、心とけたまはぬけしきなれば、それにつつみたるさまにもてなして、院に聞こし召し入れ、世の中の人も知らぬなくなりにたるを、深うしもあらぬ御心のほどを、いみじう思し嘆きけり。

また、このように桐壺院が、六条御息所と源氏の噂をお聞きになって色々おっしゃるにつけても、御息所の名誉のためにも、自分自身のためにも、好色がましく困ったことであるが、源氏の君は、御息所をいっそう大事に、気遣うべき方とはお思い申し上げているものの、まだ表だって特別な待遇でお扱い申し上げることはなさらなかった。
女の方も、似つかわしくないご年齢を恥ずかしくお思いになっていて、気をお許しにならないご様子なので、源氏の君はそれに遠慮している風に振る舞っていて、女としては、二人の仲を院もお聞きになり、世の中の人々も知らぬ人がないほどになってしまったのに、源氏の君がそう深い愛情ではない御心であるのを、ひどく思い嘆いていらっしゃった。

 

あんなにも六条の御息所が、世評を気にし、体面を保とうと心を砕いていたのに、二人の浮名はあらわに流れて院の耳にまで入るほどになってしまっています。
東宮妃であり、東宮が亡くならず即位していれば、中宮にもなったかも知れないような高貴な人。そういう人をただの愛人にするのは恐れ多いことだ、と、桐壺院みずから源氏を叱るほどの相手であり、源氏もよくそのことは分かっている。
それなのに、源氏はどうしても表だって妻として遇する気にはなれず、御息所が自分が年上で不釣り合いなのを気にしているのをいいことに、それに遠慮している風をよそおってごまかすだけ
ここらへんの扱いはちょっと酷ですね、源氏クン。
当然、そういう源氏の愛情の薄さを、六条御息所は深く嘆いているわけです。

そういう状況で、光源氏の正妻である左大臣家の姫、大殿の上(葵の上)と六条御息所が、葵祭りで源氏の姿を見物しようとした時にかち合ってしまい、供人同士が争いになり、結果、六条御息所は大恥をかかされることとなります。

本来、身分的にも六条御息所左大臣家の姫にも引けを取らない高貴な方ですが、光源氏を中心に見るとなると、かたやれっきとした正妻、御息所はただの愛人。

その差を思い知らされて深く恨んだ六条御息所は、無意識のうちに生霊となって葵の上をとり殺してしまい、しかもそれを源氏自身に見顕されてしまう。
そのため、いよいよ源氏の愛情も冷めてしまう…という状況に陥ってしまいます。


世間的に見れば、正妻である葵の上が亡くなったら、いよいよ六条御息所が正妻として扱われるようになるのではないかと見ていたものの、生霊の件で源氏の心は離れてしまい、そうはならない。
そこでまた御息所は恥をかくことになる。

結局、御息所は斎宮について伊勢に下ることにするものの、光源氏との仲がうまくいかないので、娘にかこつけて伊勢に下って、捨てられる前に別れた」ということが世間的にもバレバレ。
せめて、葵の上が亡くなったりしなければ、六条御息所の方から源氏を見限って別れた、という体裁にできたんでしょうけれど、かえって葵の上を取り殺したために、自分の体面は救いようもなく傷つくことになってしまったという状況です。

 

 

嫉妬のかたち~葵の上と、紫の上・雲居雁の比較

光源氏が、紫の上の嫉妬については「そういうところが可愛い」的にプラス評価をしていた…ということを書きました。

しかし、光源氏は、他の女たちの嫉妬についてはどう考えていたのか?について。

 

大殿の上(葵の上)と六条御息所について、嫉妬に関する記述の他、光源氏が彼女らをどう思っていたかについてちょっと原典の記述を集めてみました。(長くなるので六条御息所については次に分けました)


「帚木」での描写

おほかたの気色、 人のけはひも、 けざやかにけ高く、乱れたるところまじらず、「なほこれこそは、 かの、人びとの捨てがたく取り出でしまめ人には頼まれぬべけれ」と思すものから、 あまりうるはしき御ありさまの、とけがたく恥づかしげに思ひしづまりたまへるを、さうざうしくて、

全体的な左大臣邸の様子や、葵の上の様子も、きわだって気品高くて、だらしのないところがなく、「やはりこの人こそは、かつて人々が(雨夜の品定めの折に)捨てがたいものとして取り立てて言っていた、誠実な人として頼みにするべき人だろう」と源氏の君はお思いになるものの、あまりにもきちんとしていて端正なご様子が、打ち解けにくく気詰まりなぐらいに落ち着いていらっしゃるのが心寂しくて

 大殿の上は非常に生真面目できちんとした方で、打ち解けにくい人だった、と。

 

「紅葉賀」での描写

宮は、そのころまかでたまひぬれば、例の、隙もやとうかがひありきたまふをことにて、大殿には騒がれたまふ。いとど、かの若草たづね取りたまひてしを、「二条院には人迎へたまふなり」と人の聞こえければ、いと心づきなしと思いたり。
「うちうちのありさまは知りたまはず、さも思さむはことわりなれど、心うつくしく、例の人のやうに怨みのたまはば、我もうらなくうち語りて、慰めきこえてむものを、思はずにのみとりないたまふ心づきなさに、さもあるまじきすさびごとも出で来るぞかし。
人の御ありさまの、かたほに、そのことの 飽かぬとおぼゆる疵もなし。人よりさきに見たてまつりそめてしかば、あはれにやむごとなく思ひきこゆる心をも、知りたまはぬほどこそあらめ、つひには思し直されなむ」と、「 おだしく軽々しからぬ御心のほども、おのづから」と、頼まるる方はことなりけり」

 藤壺宮がその頃退出なさっていたので、源氏の君は、いつものように隙でもないかと様子を伺ってうろうろするのに夢中でいらっしゃったので、大殿の方からは穏やかならぬように思われていらっしゃった。かの若草の君をお引き取りなさったことを、「二条院に女性をお迎えになったそうです」と人が申し上げたため、大殿の上はたいそう気に食わないと思っている
源氏の君は、「こちらの内情はご存知ないので、そのようにお思いになるのはもっともであるが、素直に、普通の人のように恨み言をおっしゃったりするならば、自分も正直にお話してお慰め申し上げるだろうに。それを、心外だという態度ばかりお取りになるのが気に食わなくて、しなくても良いような浮気沙汰も出てきてしまうのだ。
この人のご様子は、不十分だとか、ここが不満だと思えるような欠点もない。他の人より先に結婚した方なのだから、愛しく、大切にお思い申し上げている心をご存知ないのだろうけれど、いつかは見直していただけるだろう」と、「おだやかで落ち着いていて、軽々しくない御心であるから、いずれ自然と」と、頼みになさる方面では格別である。

 

大殿の上(葵の上)は、光源氏が情人を自邸に引き取ったと聞き、それが若紫のような幼い少女であるとも知らないので、「心づきなし/心外だ」と思っていたが、素直に源氏にそれを追求するということもなく、ただひたすら不機嫌な態度を取っているわけです。
それに対して光源氏「素直にヤキモチ妬くなら可愛げもあるしこっちも何だかんだと慰めようもあるのに、素直じゃないのが気に入らないんだよね。そんな態度だからこっちも浮気したくなっちゃうんだ」と考えます。

いやでもさ、今現在、若紫がまだ子供で情人ではないってったって、将来的には妻の一人にするつもり満々で引き取ったわけじゃないですか。
「あの子もいずれ妻にしますが、それはそれ。あなたはあなたで正妻なんだから、頼みにもしてますし大事に思っているんですよ」
でしょ、源氏の本音って。

「この人のことはこの人のことで大事に思ってるんだけど、分かってもらえてないんだろうな。ま、でもいつかは分かるでしょ」という源氏の態度、相手が年上だというのもあるのか、めっちゃ妻に甘えまくってますね。

浮気を妻のせいにするんじゃね~よ!!

まあでも、帚木でも似たような男の考えが語られていたりもしますが、一夫一妻じゃない時代(…というよりも、妻相手以外の恋愛が道徳的に悪いものではない時代、といったほうがいいかも知れない)、夫を浮気させないのも妻の甲斐性、みたいな考え方も厳然としてあったわけなので、時代からすれば、光源氏の考え方も理がないわけではなかったのでしょう。

 

「紅葉賀」は、藤壺宮が源氏との不義の子、のちの冷泉帝を産む…という物語上の重大事件が起こる頃合いなのですが、そのことは勿論、源氏の正妻である大殿の上は知らないわけで、ただひたすら、二条院に引き取った若紫の一件を根に持ってツンツンしている…という感じです。

同じ紅葉賀にて、新年を迎える場面。

内裏より大殿にまかでたまへれば、例のうるはしうよそほしき御さまにて、心うつくしき御けしきもなく、苦しければ、「今年よりだに、すこし世づきて改めたまふ御心見えば、いかにうれしからむ」など聞こえたまへど、「わざと人据ゑてかしづきたまふ」と聞きたまひしよりは、「やむごとなく思し定めたることにこそは」と、心のみ置かれて、いとど疎く恥づかしく思さるべし。しひて見知らぬやうにもてなして、乱れたる御けはひには、えしも心強からず、御いらへなどうち聞こえたまへるは、なほ人よりはいとことなり。

内裏から左大臣家に退出なさったところ、大殿の上は、いつものようにきちんとして立派でお美しい様子で、素直な態度を取る気配もなく、源氏の君はそういう態度が辛く思えたので、「今年からは、せめて少しは普通の夫婦らしく態度を改めようというお心が見えれば、どんなにか嬉しいことでしょう」などと申し上げなさったけれど、大殿の上は、「わざわざ(二条院に)女性を住まわせて大切に世話なさっている」とお聞きになって以降は、「妻として特別な扱いをしようと決めていらっしゃるのではないか」と思って、心に隔てばかり置かれて、ひどくよそよそしく、気が引けるようにお思いになっていらっしゃるようだった。
源氏の君は、あえて何も分かっていないように振る舞って、くだけた態度でふざけかかったりなさるのには、そう心強くもできず、お返事などなさっている様子は、やはり他の人よりはたいそう優れている

 

四年ばかりがこのかみにおはすれば、うち過ぐし、恥づかしげに、盛りにととのほりて見えたまふ。「何ごとかはこの人の飽かぬところはものしたまふ。我が心のあまりけしからぬすさびに、かく怨みられたてまつるぞかし」と、思し知らる。同じ大臣と聞こゆるなかにも、おぼえやむごとなくおはするが、宮腹に一人いつきかしづきたまふ御心おごり、いとこよなくて、「すこしもおろかなるをば、めざまし」と思ひきこえたまへるを、男君は、「などかいとさしも」とならはいたまふ、御心の隔てどもなるべし。

女君は四歳ほどお年上でいらっしゃるので、大人っぽくて、源氏の君が気詰まりなぐらいに、女盛りで整っているようにお見えになる。
「いったいこの人のどこに、ものたりなくお思い申し上げるような所があるというのだろう。あまりにもふとどきな自分の浮気心から、こうして恨まれ申し上げるのだ」と、源氏の君はお考えになる。
同じ大臣として知られる中でも、この方の父の左大臣は帝のお覚えもたいそうすばらしくていらっしゃり、その皇女腹の一人娘で大切にお育てなさった方であるので、この上は気位がたいそう高くて、「少しでもおろそかな扱いは心外である」とお思い申し上げなさっているのを、男君の方では「どうしてそこまで」と反発して態度を変えさせようとなさる、そういったことからお二人の御心が隔たることになっているようだ。

 
ともかく葵の上は素直な態度を取らない。
気位が高く、二条の女のことも根に持つだけで口に出しては言わない。ひたすら自分がおろそかに扱われることに怒っているわけです。

「葵」での描写

そののち、六条御息所と源氏の仲が世間で噂され、桐壷帝の耳に入るまでになった頃のことですが、

大殿には、かくのみ定めなき御心を、 心づきなしと思せど、あまりつつまぬ御けしきの、 いふかひなければにやあらむ、深うも怨じきこえたまはず。 心苦しきさまの御心地に悩みたまひて、もの心細げに思いたり。 めづらしくあはれと思ひきこえたまふ。

大殿の上は、源氏の君のこのように定まりがたい御心を不愉快だとはお思いになっているが、あまりにも遠慮もなく恋愛沙汰を繰り返すご様子が、言っても甲斐もないからだろうか、深くお怨み申し上げたりもなさらない。痛々しいご容態でお悩みになっていて(妊娠したことを指す)、心細そうにお感じになっている。源氏の君も、珍しいことと思って、愛情を感じていらっしゃる。 

こんな感じで、「少しでもおろそかな扱いは心外だ」という態度を取っていたものが、源氏が全く悪びれずに遠慮会釈もなく浮気沙汰を繰り返すので「言ってもしょうがないわこの人」と諦めて、恨みがましいことも言わなくなっちゃった、と。

源氏が「などか、さしも、とならはいたまふ」効果が現れたってことですかね。
妊娠したこともあって、他の女達のことは諦めてしまったようです。

葵の上の嫉妬と、紫の上・雲居雁の嫉妬の違い

葵の上の嫉妬の描写、そしてそれに対する光源氏の態度と、紫の上の嫉妬の描写と、それに対する光源氏を比較すると、光源氏…というより、男が好きなタイプ?の嫉妬と、そうじゃない嫉妬の態度というのが見えてきます。

 

元来、嫉妬という感情の裏には、大きく分けて三種類の感情があると思うのです。

  1. 自分が妻として(あるいは恋人として)軽んじられた・相手に負けているなど、プライドが傷つく
  2. 夫の愛情が自分以外の女に少しでも分けられることに腹を立てる、独占欲という面。
  3. 夫の(あるいは恋人の)心が他の人に移ってしまい、自分への気持ちがなくなってしまうのではないかとか、減ってしまうのではないかと、愛情面の不安を抱く面。


この点、大殿の上(葵の上)は「すこしもおろかなるをば、めざまし」と思ひきこえたまへるとあるので、「プライドが傷つくゆえの嫉妬」っぽいんですね。「自分に対しておろそかなのが気に食わない」わけなので。
嫉妬している様子の描写に使われているのも、「めざまし」とか「心づきなし」とか「心のみ置かれて」「いとど疎く恥づかしく思さる」といった言葉。
気に食わないとか、心が遠く感じられるとか、だいたいそういった感じで、嫉妬から生じるのは、夫への心の距離が遠くなる感覚
葵の上について、「2」の独占欲という面があったかというと…そこはどうも、最初からそこまでこだわっていない気配があります。「葵」巻で妊娠した頃には、完全にあきらめてますね。


一方で、紫の上や雲居雁がどうだったかというと、「もの怨じ」/「もの妬み」するという表現。そういうことをすることについて「執念し」とか「腹悪し」とか、マイナスイメージの言葉で評してもいます。

葵の上についてはそのようなマイナスイメージの言葉を使っていないことからすると、紫の上や雲居雁の腹の立て方は、上流貴族の女性にはふさわしからぬものなのでしょう。

紫の上から明石の君に対する嫉妬の時は、どちらかというと「2」の独占欲でしょう。
また、雲居雁から藤典侍に対しても同じく、独占欲
自分よりは格下で、その女の存在で自分の立場や自分への夫の愛情が揺らぐとは考えていなくても、それでも夫の愛を分けることが我慢ならない…そういった感じです。

一方で、自分を差し置いて光源氏の正妻となった女三宮については、紫の上は「1」と「3」両方なようでした。
相手にこちらから挨拶にいかねばならぬような格下の身分であることで、源氏の「一の人」として抱いていたプライドが傷ついた気持ち。
それだけでなく、若い女三宮に対して、いずれ気持ちが移ろっていくだろうと考えて不安に思う「3」の気持ちと。

 

 雲居雁は、藤典侍に対しては「独占欲」っぽいのですが、落葉宮の際は、どうもひたすら「3」の「今まで独占してきた夫の愛情が冷めることへの不安」。プライドが傷つくという面があるのかと思うと、意外にそういう描写がない。

「1」の「プライドが傷つく」という嫉妬については、ぶっちゃけ自分から夫への愛情が冷めていても感じるものですが、「3」の「愛情不安」については、夫への愛情があるからこそ…という面もあるのかも知れません。

独占欲については、「プライド」に近いところからの独占欲と、「愛情」からきた「独占欲」と両方ありそうです。

 

結局のところ、ひたすら気位高い態度を取ってきた葵の上に対する光源氏の態度との比較からいっても、男はプライドから来る嫉妬が嫌い なんでしょう。

一方で、こんなふうに嫉妬しているのは、それだけ自分のことを愛しているからなんだな、と思えるような嫉妬は、かえって二人の仲の刺激剤にもなるし、魅力にもなる…と。

…気持ち、分かる。確かにプライド振り回して嫉妬されるのはウザいだろうと思う。うん。
葵の上については、もうちょっと可愛げのある態度を取っても良かったんじゃないかっていう気はする。

でも、でもな。

人間、生きてくのにプライドだって必要なんだし。
そのプライドを支えるものが、紫の上みたいに夫の愛しかなかったとしたら…そこが折れちゃったらどうしたらいいの、と。

それが分かっているからこそ、紫の上は、女三宮の降嫁の際、当初は源氏の愛情をさほど疑ってはいなかったかも知れないけれど、それでも折れたプライドを抱えながら、それゆえの嫉妬を光源氏になるべく見せまいとしていたんでしょう。

そして光源氏は、ひたすら「私の愛情は変わりません」と言って紫の上を慰めるけれど、問題はそこじゃなかった、と。

 

一方で葵の上については、彼女のプライドの支えどころは「出自」「身分」「地位」「権勢」など他にも色々あったので、そこが鼻につくと夫に嫌がられながらも、自分を保っていくことができた。
しかし逆に、夫の愛を誇りとすることができない状況であったがゆえに、正妻としての地位へのプライドに強くこだわりすぎて、余計に源氏と心が離れてしまっていた面があったのかと思われます。

そういった煮詰まった夫婦仲も、「子供ができる」という新しい夫婦の絆ができたことによって、良い方向に変わっていきそうだったのですけれどね。

 

 

本日の教訓。

ヤキモチを妬く時は、「アナタへの愛情ゆえ」という様子を見せながら妬くのが男には効くようです。

以上。